音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「不定調性論」の使い方(2019)★★★★

「不定調性論」ていう存在はわかったけど、どう使うの?
というご質問に関わる記事です。 

不定調性論ってなに?(2019) - 音楽教室運営奮闘記

こちらも宜しくお願いいたします。

 

自在な表現の発信の根拠として  

以下を機能和声アナライズしてみてください。

C |Bbm |Gb |Em |
B |G#m7 |E |Dm |

できますか?

これは、P.メセニーの楽曲「Sirabhorn」です。わざとアナライズさせまい、というような進行ですね。でも優れた経験値によって、機能分析もできるかもしれません。

 

しかしながら、たとえ機能和声で分析はできなくても、この曲を聴いたとき、何らかの「印象」は感じますでしょ?

 

C→Bbmに流れた時、あなたは何も感じませんか?それとも「変な感じ」を感じましたか?人によっては「緑色を感じた」とか「倦怠を感じた」とか色々あるでしょう。

スーパーコンピューターである脳は様々な反応を意識の上に上げてくれます。どの反応を受け取るか、受け取らないかはあなたの自由です。そのコントロールの方法を音楽学習時に学んでしまおう、というのが不定調性論の一つの学習コンセプトです。

 

これを誰が見ても明らかなものに統一したのが機能和声論の作り上げた方法論であり、これを印象分析する、というのが不定調性論が得意とする分析方法です。

 

今生きているあなたが感じたこと、考えたこと、思ってしまったことは、意味があって意識の上で引っ張り上げられてきた信号です。潜在意識とは、無数の体の反応や過去の記憶が作り出す信号の海のことです。それは絶えず信号を受信送信し続けますが、そのほとんどは気がつきません。

音楽を聴いた時だけではなく、綺麗な人を見たとき、美味しい食事を食べたとき、美しい風景を見たとき、頑張って仕事が完成したとき、ふとさまざな印象刺激が意識の海から顕在意識を刺激します。あなたの意識はランダムにそれを拾い上げています。

日頃ポジティブに感じていればポジティブな情報を、ネガティブに生きていればネガティブな情報を受け取ってしまいます。

人の意識は日頃の行いで全て決定されていきます。そうしないと膨大な情報をさばけないからです。あなたが今感じるべきことは、普段感じようと試みている感覚です。願望が現実を生むのはそのせいです。

音楽理論の学習も行き着くところは、「その次にどんなメロディを置くか」ということの答えにつながるヒントを意識の沼から汲み上げられるかどうかです。常にヒントの信号はでてますが、くみ取ることが難しいのです。

 

その感覚感そのものを「機能論に変わる分析方法の手段」にしよう、というのが不定調性論です。

 

あなたが音楽を作る時、「コードを知らないから」とか「聴いている音楽の数が少ないから」とか「あの人が自分を"お前は才能がない"と言ったから」とかいうことに囚われるのではなく、あなたが「作りたい!」と思ったそのことだけに集中して、その感情を信じてもっとプライベートに作ってみてください。不思議な曲になるかもしれません、くだらない曲になるかもしれません、でも出来上がる作品はあなたの分身です。

こうしたプライベートな感情や思いを、パブリックな教育や常識と並行して膨らませるためにどうやって機能和声論と提携していくかについて考えました。

既存の知識とあなた自身が上手に手を組めれば、あなたは伝統技法を身につけながら、同時にあなた自身の特異性を理解します。あなた自身で、「あなたの使い方」が見つけれらればすごいことです。

 

 

音楽の印象を独自に解釈するときの根拠として

不定調性論では、音楽の読解を自分の言葉で行います。

また当ブログ記事で紹介されているような音楽家、ビートルズ、ユーミン、スティービー・ワンダー、スティーリー・ダン、チック・コリア、パット・メセニー、その他ジャズ、プログレ、フュージョンミュージックが持つ自在な和声において、小刻みに転調解釈できる和声進行全般を「不定調性進行」と言います。
「Bメロの転調が不定調性的で、いっちゃってるね」
「この曲のイントロはちょっと変わった不定調性的なブルース7thだね」
とか、非機能的な進行についての表現で自由に使ってみてください。

ブルース進行も不定調性進行です。

しかし本来はバッハやモーツァルトなども独自性を持っています。バッハを機能和声音楽に押し込めても大事な価値を見失うだけです。バッハはバッハ。あなたはあなた。

またシェーンベルグ以降の12平均律音を用いた現代音楽の印象も、「不定調性的」と表現することが可能です。

無調=無表情・無意味ではありません。さらに、12音以上の細かい音表現を用いているような音楽、自然音などから「何らかの音楽的心象」を与えられる場合も同様です。


人の口調がイライラしているか、ウキウキしているのかを聴き分けるのと同じです。口調には「機能」がないのに、感情的な要素をくみとれるのはなぜですか?

それはあなたの中に入ってきたそれらの音をあなたがそう解釈しているからです。役者がイラついているようにしゃべれるのは「どのようにしゃべればイラついているように聞こえるか」を感覚を知っているからです。

嫌いなものは嫌い、好きなものは好き。一人一人「運命の人」が違うように、思想も本来あなただけのものです。誰とも共有できないんです。

なんで恋人は共有しようとしないのに、音楽は共有しようと思うの?おかしくない笑?

 

意味不明なものに意味を与える

音楽の印象力は進化しています。

あなたの好きな人や家族が、超ヘッタクソな歌や演奏を披露したとしましょう。

そのときあなたはそれを正直に伝えますか?

それとも表情がいい、とか、元気がいい、とか良いところを見つけますか?

もし後者であれば、それが不定調性論的な発想とも言えます。

そうあなたが感じたことは素晴らしいことです。

それは音楽の良し悪しが生み出したのではなく、相手の行為全体が、あなたに与えた印象です。それを音楽だけを捉えて判断するのが機能和声が確立した方法論です。

波の音、風の音、虫の音、猫の声などにあなたが感情豊かに反応するなら、これもまた音に対する"印象"を持った、ということです。これらの印象と、クラシック音楽への印象に敷居を設けない、というのも不定調性論的な意識の展開になるわけです。 

 

非機能進行という用語からの脱却
不可思議な和声進行は「非機能進行」でいいじゃないか、という考えもありますが、「機能していない進行」が機能して音楽になるのはやはり変です。
それは「従来であれば機能しないとされた進行が持つ、新たな機能感による進行」です。
そもそも和音の機能は実際に「機能している」のではなく、聴き手それぞれの頭の中で機能しているだけであり、教育の賜物です。音楽は人の頭の中に入った時、その人だけのものになっています。これがとても大事で「こう感じませんか?」というのがプロモーションです。MVによって曲から洗脳を受けます。

意味不明なノイズでも、現代絵画と一緒に流したら、それは意味を持ちます。

テンポ120の曲を1/4のスピードで聴いたら全く違う音現象になります。

なぜそう誤った聴き方をしてはいけないのですか?

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こうしたことをなんとなくご理解いただき、あとは自由に「不定調性」という用語を使っていただいて構いません。

 

また、巷間で起こる不定調性論に対する齟齬は、私の紹介営業活動不足によるものですので、このブログを通して私の責任で可能な限り解決してまいります。

 

また、ご理解いただける音楽スクール、音楽教室、音楽大学の先生方には、ぜひ「音楽を独自に表現することの楽しみ」「未知の表現を求めようとする、若い創造性」を伝統的学習と並行してすくすくと伸ばしていただけるために拙論のようなアプローチを独自に上手に展開・ご活用いただければ幸いです。 

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