音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「不定調性論」の使い方(2021)

「不定調性」とは

元々の意味は、調性が定まらない音楽状態を指す私の造語です。

パンダイアトニック、複調性、などという言葉に類似していますが、これらは調性という存在があることを前提としているように感じます。

私自身は、より「調性という前提自体をそもそも考えない方が良いのでは?」という考え方の上にある言葉として考えています。

「調という概念は不定である」

「そもそも調性という存在は不定である」

という解釈でも結構です。

 

感性と知性のバランスを意識する

超存在がそもそも定まらないということが前提になると、V7⇨Iも本来

"進んでも進まなくても良い"

ということができます。機能和声論はV7⇨Iを前提としています。だからそれに対して、それらを前提としない考え方の方法論を持っておけば、便利、と考えました。

実際に機能和声と不定調性の間のどこかで活動すればいいだけです。

さて機能和声概念が全て曖昧な世界では、頼るものは、あなたの感性、またはあなたが振るサイコロの目(偶然性か規則性)のみに左右されます。

不定調性論は、音の連鎖を、感性で判断構築していく制作手法です。

 

でもあなたは普段きっとそれを行なっているはずです。

もしあなたが次に弾くコードを、次に歌うメロディを、次に刻むリズムを音楽理論的知識や理性によってではなく、感覚によって、直感のうちに繰り出せたとしたら、それは不定調性論的思考を用いた、と言えます。

・弾いてるうちにできちゃった

・突然閃いた

・街で流れているノイズを聞いていたら今作っている曲の展開にピンときた!

これらは機能和声論ではありません。これらの感覚的知覚を存分に用いることのできる方法論として、私は「不定調性論」を展開しています。

 

これまではこういった勘に頼ったような手法(理論に基づかない感覚だけの作業)は「いい加減」で「無学ゆえの浅はかな行為」でした。または一部の達人だけに許された方法論でした。

 

しかし言葉を発するとき、あなたは文章を考えてはいないはずです。

歩くとき、歩き方をイメージしないはずです。

訓練によって音楽もそれと同様になります。その感覚に「不定調性論的思考」と私が銘打っただけです。誰でも自然にやっていることを逆に研ぎ澄ますわけです。

それらは音楽経験や、音楽学習記録が脳に蓄積され、必要な時にそれがポン!!と飛び出すある種の才能、スキル、です。それを持っている人がたくさんいます。

 

もちろん論理的思考も重要です。考える時間があるなら。

私自身達人でもなんでもないのですが、その私ですら不定調性論的思考によって「自分の作る音楽に意味を与えられる経験」ができました。

自分が思ったように音楽がやれる、というのは感動的ですらあります。

とても素晴らしい気づきだったのでこうしてシェアしています。

直感的素養の優れた、これからの若い人のなんらかの思考の気づきに役立ってくれたらとても嬉しいです。

 

勉強したことを活用しよう、と思わなくて良い

勉強したことを"活用しよう"などと思うな、という発想です。

学習時にちゃんと集中していれば、実際の作業時や作曲時に"ポッと"学んだことが浮かんできます。

それが直感であり、不定調性論的な思考で推奨している事です。

それこそが学習の成果である、と感じてみてください。

できればそれがいつも降ってくるようにトレーニングしたくありませんか?

教材を横に置いて作曲する必要はないんです。

そのトレーニングとは、できる限り自分が感じていることを具体化する生活を送るだけでOKです。

そしてこの難しいところは、いつもケーキが食べたいから3食ケーキを食べていい、というような方法論ではない、ということも知っていただきたいです。

体の細胞全体が、今どんな栄養素を欲しているか、どんな運動をしたらいいか、どんな姿勢で仕事をしたらいいか、と行った「細胞が求めていること」まで総合して判断できるようなところに押し上げていく、という作業です。

ケーキが好きなら、1週間ケーキを食べ続けてもOKです。

でも体が悲鳴をあげます。そして食べたくなくなります。それを感じることが大切です。そうやって教育機関が教えてくれなかった「直感」「自分が感じる小さなこと」を気がつける自分を構成できた人は、青空一つにも感動できて、それが旋律になります。

これまではこうしたことが熟練の仕事人が身につける技術、とされていましたから誰も教えることをしませんでした。

私は自分が教える立場にあることから、若いうちから、自分の感じる感覚に責任を持って大事にして研ぎ澄ませよ、と言っています。小学生でもシニアでもそれぞれの年代で皆、自分で考えることができます。

  

「不定調性」的な楽曲〜心象で情報を把握する

少し話を戻します。

以下を機能和声アナライズしてみてください。

C |Bbm |Gb |Em |
B |G#m7 |E |Dm |

これは、P.メセニーの楽曲「Sirabhorn」です。

アナライズさせまい、という進行ですね。

でも、この冒頭を聴いたとき、あなたは何らかの「印象」を感じるはずです。

C→Bbmに流れた時、あなたは何を感じますか?何でもいいです。

最初は「変な感じ」でも「ただ疑問」とかでも良いです。

人によっては「緑色を感じた」とか「倦怠を感じた」とか具体的に感じることもあるでしょう。それが感じるということを知覚する行為です。

当ブログ記事で紹介されているような音楽家、ビートルズ、ユーミン、スティービー・ワンダー、スティーリー・ダン..彼らの自在な和声において、小刻みに転調解釈できる和声進行全般を「不定調性的な進行」と言います。

ブルース進行も不定調性的な進行、といえます。 

それらは「転調しようと思ってなくてできた感じ」を持っています。

ここには「そもそも音の配列は調に従わなくても人が感じる表現はできるのでは?」という考え方があります。

 

人は仕組みはわからなくても何からの心象を"自動的に"知覚しています。

綺麗な人を見たとき、美味しい食事をとったとき、美しい風景を見たとき、頑張って仕事が完成したとき、強烈な感情の変化が自動的に沸き起こると思います。

 

最初はネガティブなことも考えます。ネガティブな情報も吸収するからです。

しかしあなたに必要なのは、自分が求める曲を作るためのイメージを優先できる印象を的確に察知できることです。ネガティブばかりでは作業が進まないことをやがて学ぶでしょう。物事のどの側面を見るか、もテクニックであり大切です。

だからそういった「感じ方」を訓練するわけです。

できればあなたを理解してくれる講師にあなたの良いところ、できるところ、可能性を指摘してもらいながら進めるとより確実です。

  

自分の印象は自分にか通じないという前提を持つ

一般的な感覚を測ろうとする音楽と感情想起の論文も多数出ています

しかし拙論では、あなたがイイ!!と思ったものはあなたにとってのみイイに過ぎない、という過程で話を進めていきます。

あなたに同意する人がいたら、それは利害の一致である可能性があります。

SNSなどでの同意は、本当に同意見である場合と、仲間意識が同意の雰囲気を作ってしまう場合などがあります。また世界が優れていると認識させたものに人は同意する傾向があります。同調的圧力も強烈ですし、洗脳的感覚もやすやすと人の精神に入り込みます。錯覚やパレイドリア、思い込みなどもおきます。同意を得ることは容易であり、危険です。ましてやそれを基準に自分の価値観を採点するのも危険です。

本当に愛し合ってる二人の人間でも時間が経てば価値観がずれます。利害の一致とは意外と脆いものです。むしろいかに一致しない互いの利害を尊重できるか、の方が有益なスキルになります。

 そして何より難しいのは、こうした社会の中で自分を信じ続けること、だと思います。

故に自己を貫いた音楽、自分を信頼して発した音というのは感動的であると思います。ただありのままなのに。ありのままであるが故に稀有であり憧れを感じるからだと思います。

 

逆にそれらの印象論を、誰が見ても明らかなものとなると仮定して、啓蒙し統一を試みてきたのが教育上の音楽理論である、と言えます。

V7→Iには解決感がある、と決めて啓蒙してきた考え方であり商業的音楽の発展に寄与した成果と信念、そしてそれを時代に繋いできた音楽家は全て例えばノーベル平和賞に値すると感じています。

 

しかし。音楽の教科書とも言えるバッハやモーツァルトなども結局は優れた独自性を持っています。バッハを機能和声理論に押し込めてもバッハはバッハです。

音楽理論通り作ったらバッハになる、ということはありません。

あなたもやはりあなたです。

無調の曲も=無表情・無意味ではありません。

ジョン・ケージの作品「4:33」だって、それそのものは「印象」を与えます。


人の口調がイライラしているか、ウキウキしているのかを聴き分けるのと同じです。こうした口調には「和声の機能」のようなものはありませんが、明らかに感情表現です。役者がイラついているようにしゃべれるのは「どのようにしゃべればイラついているように聞こえるか」を知っているからです。

波の音、風の音、虫の音、猫の声などにあなたが感情豊かに反応するなら、これもまた音に対する"印象"を持った、ということです。

それを感じ取れること、具体化できること、は機能和声論的ではなく不定調性論的思考であると考えています。

 

一人一人「運命の人」が違うように、思想も感覚も本来あなただけのものです。

 

 

 

 

自分に向けて有益な意味を創造できる人

意味のないものに意味を与えるのが音楽の楽しみです。

たとえばあなたの子供が、超ヘッタクソな歌や演奏を披露したとしましょう。あなたは「下手だな」と一瞬思っても、それを吹き飛ばしてつい笑顔になってしまうでしょう?

そのときあなたはその「下手さ」を正直に伝えますか?

それとも笑顔が可愛い、とか、元気がいい、とか、一生懸命やってる、とか良いところの印象を述べますか?どちらが気分がいいですか?もし相手を褒める言葉がたくさん浮かんでくる人は、創造的な仕事に就ける可能性があります。

その感情は音楽の良し悪しが生み出したのではなく、その子の行為全体が、あなたに与えた印象からあなたが感じたい感情が作り出した結果です。

それらの印象を自分の中で上手にピックアップして、音に翻訳し、表現していくのが不定調性論的な音楽思考です。

これを行うには愛と勇気が必要です笑。

 

「つまらない」と思わないこと、もスキルかもしれません。

人生つまらない、と思っても(それが事実だけに)、ただ無意味を確認するだけです。

その先はありません。

何かを評価して自分の活力にするにはそれなりの努力が必要です。いつもできる訳ではないし、愛する人が助けてくれることがほとんどです。

あとはどちらがいいかその都度自分で選択するしかありません。

人と助け合いながらなんとか生きていくしかない、と知っている人は素晴らしい、と思います。

 

非機能進行という用語からの脱却

「機能していない進行」が音楽として感じられるのは変だ、と学習当初感じました。
言い換えれば「従来の理論で機能しないとされた和音進行がもともと持っていた、印象を感じ取れるぐらい人の芸術的感覚が進化した」すれば良いと思います。

 

そもそも和音の機能は聴き手の頭の中で機能しているだけであり、教育の賜物です。ピアノや音現象が人に作用している訳ではなく、人の中に入ってきた時に人体の知覚機能が相応の把握をさせているだけです。パターン認識も意味も把握も科学的真実ではありません。人の知覚システムがそれをそのように理解させているだけです。

その仕組みは未解明なので、近くの外に出た結論を活用しよう、というのが不定調性論的な考え方です。

音楽は人の頭の中に入った時、その人だけのものになります。

意味不明なノイズでも、現代絵画と一緒に流したら、それは意味を持ちます。

テンポ120の曲を1/4のスピードで聴いたら全く違う音現象になります。その曲を早回しして聴いても、オーディオのデータを眺めて「聴いた」と言ってもいいんです。あなたがそれを望めば。

 

実際に不定調性論にどんな制作技法があるかは、下記のページなどから。
www.terrax.site

 

自由に使用してください

こうしたことをなんとなくご理解いただき、あとは自由に「不定調性」という用語を使っていただいて構いません。

巷間で起こる不定調性論に対する齟齬は、私の紹介営業活動不足によるものですので、このブログを通して私の責任で可能な限り解決してまいります。

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当ブログの一般楽理関連記事目次はこちら

www.terrax.site