音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「不定調性論」の使い方(2018)

「不定調性論」ていう存在はわかったけど、どう使うの?
というご質問に関わる記事です。 

不定調性論ってなに?(2018) - 音楽教室運営奮闘記

※こちらも宜しくお願いいたします。

 

自在な和声・構成・概念の発信の根拠として  

以下をアナライズしてみてください。

C |Bbm |Gb |Em |
B |G#m7 |E |Dm |

できますか?

これは、P.メセニーの楽曲「Sirabhorn」です。わざとアナライズさせまい、というような進行ですね。機能和声で分析はできなくても、何らかの「印象」は感じますでしょ?

C→Bbmに流れた時、あなたは何も感じませんか?それとも「変な感じ」を感じましたか?人によっては「緑色を感じた」とか「倦怠を感じた」とか色々あるでしょう。スーパーコンピューターである脳は様々な反応を意識の上に上げてくれます。どの反応を受け取るか、受け取らないかはあなたの自由です。これを機能分析する、という手法に特化して誰が見ても明らかなものに統一したのが機能和声論の作り上げた方法論であり、これを印象分析する、というのが不定調性論が得意とする分析方法です。

この意味を拡大しますと「事象に対する、自我が持つ印象の発信」が不定調性論で推奨している鑑賞方法です。それを制作にも、その他の音楽活動にも、音楽家の人生にも生かして、自分を生き生きと活かそう、という点を掘り下げていきます。

あなたは自分の感覚が未熟だ、と思っているかもしれません。

でもそれは忘れましょう。今生きているあなたが感じたこと、考えたこと、思ってしまったことは、意味があって意識の上で引っ張り上げられてきた電気信号です。潜在意識とは、無数の体の反応や過去の記憶が作り出す信号です。それは絶えず意識の上に顔を出していますが、気がつきません。何らかの拍子でそれは顔を出します(意識できるものになる)。音楽を聴いた時、写真を見た時、絵を見た時、仕事をした時、食事をした時。どう感じたか、そしてどうしたいか、という流れを一般論や、一般常識にとらわれるk遠なく、自分の真ん中に置いた上で、どうしたいか考えよう、というのが不定調性論的な思考になります。

あなたが音楽を作る時、「コードを知らないから」とか「聴いている数が少ないから」とか「あの人が自分を、お前は才能がないと言ったから」とかいうことに囚われて行うのではなく、あなたが作りたい!と思ったそのことだけに集中して、その感情を信じてもっとプライベートに作ってみてください。不思議な曲になるかもしれません、くだらない曲になるかもしれません、でもあなたの子孫です。あなたと音楽にある関係性だけでも音楽は生まれます。こうしたプライベートな感情や思いを、パブリックな教育や常識と並行して膨らませていくことをするためにどうやって機能和声論と提携していくかについて考えた方法論が不定調性論です。これらが手を組めれば、あなたは伝統技法を身につけながら、同時にあなた自身の特異性を理解します。ヒット曲が生まれればそれに越したことはありませんが、そうでなくてもあなたは自分が行いたい、という音楽を行う喜びを覚えることはできるのではないか、と考えます。

 

音楽の印象を独自で解釈するときの根拠として

不定調性論では、音楽の読解を自分の言葉で行います。

当ブログ記事で紹介されているような音楽家、ビートルズ、ユーミン、スティービー・ワンダー、スティーリー・ダン、チック・コリア、パット・メセニー、その他ジャズ、プログレ、フュージョンミュージックが持つ自在な和声において、小刻みに転調解釈できる和声進行全般を「不定調性進行」と言います。
「Bメロの転調が不定調性的で、いっちゃってるね」
「この曲のイントロはちょっと変わった不定調性的なブルース7thだね」
とか、非機能的な進行についての表現で自由に使ってみてください。

ブルース進行も不定調性進行です。

しかし本来はバッハやモーツァルトなども同じ独自性を持っていると思います。バッハを機能和声音楽に押し込めても大事な価値を見失うだけです。バッハはバッハでありそれ以上定義出来ようはずがありません。

またシェーンベルグ以降の12平均律音を用いた現代音楽の印象も、「不定調性的」と表現することが可能です。

無調=無表情・無意味ではありません。さらに、12音以上の細かい音表現を用いているような音楽、自然音なども「何らかの音楽的心象」を与えられる場合も同様です。
人の口調がイライラしているか、ウキウキしているのかを聴き分けるのと同じです。口調には「機能」がないのに、感情的な要素をくみとれるのはなぜですか?

それはあなたの中に入ってきたそれらの音をあなたがそう解釈しているからです。役者がイラついているようにしゃべるのは「どのようにしゃべればイラついているように聞こえるか」を感覚が知っているからです。それをトニックとサブドミナントとドミナントと和音の連鎖の構造で説明しようとするのが従来の分析方法です。

それが進化して来ました。EDMの高揚感は、音とリズムと周囲のお客さんの熱狂、照明演出にあります。

あのステージ照明設備でマーラーとかやったら結構感動するんじゃないか、と思います。照明と音楽は現代では一つです。それを一つにしているのが「感情」です。

不定調性論はこの未知の存在、脳が導き出した答え「印象と感情」を音楽読解のメイン回路として用います。

その独自解釈や思想を別に誰かと共有する必要はありません。共有の言語は「機能和声論」があります。あなた自身を心底納得させる思想こそ不定調性論的な自己解釈であると思います。そしてこれを確立しておくことで、あなたは自分だけの考えをそっと心の窓辺に気持ちよく掲げて置けます。嫌いなものは嫌い、好きなものは好き。一人一人「運命の人」が違うように、思想も本来あなただけのものです。それを確立しそれをエネルギーに今日も活動しましょう!笑。

 

意味不明なものに意味を与える

先の印象力が進化します。

あなたの好きな人や家族が、超ヘッタクソな歌や演奏を披露したとしましょう。

そのときあなたはそれを正直に伝えますか?

それとも表情がいい、とか、元気がいい、とか良いところを見つけますか?

もし後者であれば、それが不定調性論的な発想です。様々な心理学がそうしたことはすでに確立していますね。その活用です。

もし演奏はめちゃくちゃでも、一生懸命弾いていたら、それはあなたを良い気持ちにさせるはずです。その気持ちは、10000円払って演奏会に行ったとき以上の体験と劣る、となぜ言えましょうか。

そうあなたが感じたことは素晴らしいことであり、それを伝えることも大切であると考えます。それは音楽の良し悪しが生み出したのではなく、相手の行為全体が、あなたに与えた印象です。それを音楽だけを捉えて判断するのが機能和声が確立した方法論です。当たり前ですね。音楽が上達するためのセオリーですから、音楽だけを見て改善点を指摘すべきです。不定調性論的思考は、その陰に隠れてしまった、人の豊かな情動全ての反応について機能和声的思考をサポートするわけです。

もっと様々な感想が出るはずです。赤色が浮かんだ、とか、9thが好き、とか、今日の服装が引き立った、とか髪が乱雑になるところが素敵、とか笑。全て音楽行動が引き起こした感情であり、それらすべてが考慮されて初めてその音楽行動は相手に評価されます。完璧でも魅力がない演奏になってしまう秘密、または無知無学でも素晴らしい演奏が生まれる理由もこの辺がヒントになっています。

同時に波の音、風の音、虫の音、猫の声などにあなたが感情豊かに反応するなら、これもまた音に対する印象を持った、ということです。これらの印象と、音楽への印象に敷居を設けない、どれも人の感じた印象である、として意味を与え、無意味を意味化できるのも不定調性論的な意識の展開になるわけです。 

非機能進行という用語からの脱却
不可思議な和声進行は「非機能進行」でいいじゃないか、という考えもありますが、「機能していない進行」が音楽になるのはやはり変なのです。またはセオリーへの諦めにつながるだけです。
それは「従来であれば機能しないとされた進行が持つ、新たな機能感による進行」です。
そもそも和音の機能は実際に「機能している」のではなく、聴き手それぞれの頭の中で機能しているだけであり、教育の賜物です。音楽は人の頭の中に入った時、その人だけのものになっています。

 

 

 

AD

     

====

教材や動画サイトで述べていること

www.youtube.com

不定調性論の理論的な基礎部分です。

12音を自在に使うための精神的土壌を作っていきます。 

そして機能和声論が設けている「枠組み」を適宜自在に取りはらえるようにします。 

 

======
こうしたことをなんとなくご理解いただき、あとは自由に「不定調性」という用語を使っていただいて構いません。

 

また、巷間で起こる不定調性論に対する齟齬は、私の紹介営業活動不足によるものですので、このブログを通して私の責任で可能な限り解決してまいります。

 

また、ご理解いただける音楽スクール、音楽教室、音楽大学の先生方には、ぜひ「音楽を独自に表現することの楽しみ」「未知の表現を求めようとする、若い創造性」を伝統的学習と並行してすくすくと伸ばしていただけるために拙論のようなアプローチを独自に展開・ご活用いただければ幸いです。 

 

 AD