結局最後は「あんまり考えず、まず作品を仕上げてみては?」となりますし、その変な音がかっこいい根拠を上げてみろ?と言われたら「それは不定調性論の奴に聞いて。全部答えてくれるから」で済みます。
気持ちいいから使ってる時に、価値だの根拠だの言われたらうるさくないですか?
ここから独自論を多めに含む話になるので舌打ちしながら蹴り飛ばしてください。
<上下の倍音列音をどう扱うか-独自論の形成->
私は「下方倍音」という概念を一旦傍に置いて、倍音現象を使うのではなく、そこに現れる数理的規則性や集合性だけを用いて、私自身の和音/音連鎖の作成に活用しました。
用いる音は"下方倍音"ではなく、現実の音、です。
3音の音集合の基音を特定できる集合として上下の第8倍音までの出現音を用いる、というルールを決めています(こうした使用音限定の考え方を反応領域の考え方、と言います)。
例えば上方倍音第8倍音までをピックアップすると、C-E-G-Bbです。
そしてCの下方倍音列を第8倍音までピックアップするとC-Ab-F-Dという音の種類であることがわかります(このそれぞれの四音が8倍音までに現れる倍音列はcを基音のみ=基音が特定できる音集合)。
だから別にあなたが方法論を作る場合は、別のやり方で音組織を構成しても構いませんし「音集合を決めるときは12面体のサイコロを振ってきめる」とかでも良いです。
ポイントは「自分が望む音楽構成を作る」ために必要な方法論を構築するわけです(独自論)。
私は平均律12音が好きなので、全ての振動現象を12種類の音に割り振るように設定しました。
あなたがもっと細かい音律が必要だと感じるなら、ご自身が用いたいと考える音律に割り振るようにしてください。
次にA♭、F、Dそれぞれの音の上方8倍音までに現れる音をみてみください。
F-A-C-Eb(cが3倍音に現れている)
Ab-C-Eb-Gb(cが5倍音に現れている)
D-F#-A-C(cが7倍音に現れている)
全てにCがありますね。
cの振動数から割ってきて現われる、音ですから当然です。
下方倍音列は、「順に基音を発生する音の列」です。
それぞれが上方倍音の何番目にCを持つか、という音の集合なのです。
この関係性を活用して和音を作ると論理的に様々な変態和音が作れます。
この関係性を拡張すると、西欧音楽とブルース、各種民族音楽を上手に一つの方法論の中に取り込むことができたので、とてもありがたかったです。
次の図を見てください。
これは、基音cに対して、上下の八倍音までの配列(黄色と緑色のセルの音名)と、さらにどの音を基音とした場合現れる倍音列音かを列挙したものです。
色を塗ったセルが左に表記された「○方○倍音」で、色の塗っていないセルの音は色付き音を基音とした時のそれぞれの上下の倍音で埋めています。
ここから展開していろいろ倍音の相互連環が発見できます。
cの上方八倍音まではc,e,g,a#です。
で、
dの下方八倍音まではd,g,a#,eです。
発生音名が一致しています。
これを「完全結合領域」と教材では紹介しています。
倍音の数理関係は互いに補完しているようです。
ゆえに「上方倍音は用いるが下方倍音は用いない」という意見は、音の一つの側面しか見ていないことがわかります。音の数理は様々に絡み合っているので、より正確に述べるなら「上方倍音か下方倍音かは関係なく自在に音を用いることができる方が合理的だ、下方倍音を用いたというが、本当に下方倍音かどうかは見方による」という言い方のほうが批判として適切ではないか、と思います。そして実際に皆さんが音を用いるときは、その音がどの基音に従属するか、などと考えないで用いていると思います。
こうやって、12音の相互関係を作ると、シェーンベルクのregion表などで見られる12音の配置図のようなものができます。不定調性論にも十二音連関表、というのがありますが、歴代の先生方とは違う目的なのに類似している点が興味深いです。
同じ数理が絡んでいるからでしょう。
自分の音楽を作るためには、音楽理論を勉強するというよりも、個々人それぞれが12音の連関表を再構築していくという作業に還元されます。
アイドルグループのメンバー全員を自分なりに関係づけていく、みたいな感じです。
制覇した気になれます。
あとはそこからその関係性を用いた自分なりのゲームとかストーリーとか解釈とかが構築できるかどうか(作品ができるかどうか)、です。
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一つの基音から八倍音までの出現音を関連づけて用いていくと、様々な和音がそれらの「組み合わせのバリエーション」として作り出せるので私にとっては十二音連関表は便利です。
三度堆積和音はもちろん、四度和音も、二度和音も、神秘和音も、クラスターも作ることが可能です。
和声の分子構造表記で響きの差異を表現する〜不定調性論全編解説14
伝統和音が存在した当時はこうした特殊和音をつくる必要がなかったので、露骨な下方倍音の数理の展開は必要ありませんでしたが、近代以降の和音やジャズ/フュージョン和音を関連つけようと思うと下方倍音列の数理を合わせて用いることは大変は便利です。
この利便性を何と例えれば良いでしょう。
それまでは全て自分の畑で作れるものしか食卓に並べることができませんしたが、そのツールを使ったら、世界中の食材を自在に取り寄せることができた、的な感じでしょうか。
でも多分そこまでの利便性は普通の人は必要ないのだと思います。大体コンビニ(ポピュラー音楽理論)かスーパー(ジャズ理論)で済んでしまうと思います。
それ以上が必要な人は稀でしょう。
C△にd#の音を足したC△(#9)のようなサウンドは、C7(#9)の省略形として用いられますが、あなたはなんでC△(#9)が成り立つのか、従来の理論に基づいて説明できますか?
不定調性論の最も簡単な説明は、結局
「あなたが"用いることができる"と認めたから」
となります。
連関表があるの関係性がいくつも見えてしまうんで、それが根拠であるか?とかまず判別がつきません。残った最後の最後の結論はいつも「それで良いと自分が思ったから」しか根拠が残らないんですね笑。「絶対に(人間にとって)正しい」が宇宙では人間に常に都合が良いとは言えないから、正しさをプレゼンするか、決断しない限り演出できないんです。
だから、あとは、あなたが認めるか認めないか、という意思表示の違いだけが、それを成り立たせるが成り立たせないかを決める訳です。
こう書くとちょっと特殊かもしれませんが、独自論を追求すると必ず「意思についての問題」に落とし込まれると思います。
しかしポピュラー音楽理論だけだと「それ根拠のないお前の感想やろ?」と言われますが、不定調性論で関係性の構築に慣れておけば、
「私がいいと思ったから」
このジャイアン的結論は通例の学業的音楽論を用いると崩壊しますが、不定調性論的思考があれば非常に意義あるわかりやすい結論として君臨してくれます。
何より先に進めます。
そして失敗したら最後に決断した奴の責任、というのは社会でも変わりません笑。
C(#9)について、下記のように図表を用いてみます。
十二音連関表(中心音を設定しない12音の配置図)ならd#は、
「cを中心とした場合、その側面領域の音を反応させた」と表現できますし、数理親和音モデル(一音を中心音に設けた場合のモデル) なら、
下方領域の八倍音までの反応領域音を用いた(数理親和音モデルに現れる音を活用した)、としてブルーノートと関連づけることもできます。
「あなたの意思」でC△(#9)を認めたとしても、その根拠が「意思」だけでは物足りない、という場合、先に掲げた十二音の関係性を示す様々なモデルを活用して、#9の存在を認めることができます。
矛盾や偏見をどのように独自論に整理して落とし込んでいくかで、自分の好みがわかり、自分の音世界が作れます。
独自論ですから、誰かに啓蒙する必要はありません。その方法論は、自分に通じればいいのです。
矛盾が矛盾でなかったことを自分に教えてくれる場合もあります。
"好みの問題"が自分にとってどれだけ重要な選択であったかも独自論を整理するとのその体系が教えてくれます。
自分の作品を自分が作りやすくするために、独自論を作るわけです。
一般化は後の世代の人々や音楽理論家に委ねます。少なくとも私には一般化できるほどの知識もセンスもありませんし、一般化に興味がありません。
d#は#9であり、基音cの側裏面領域ですから、もしこのC△(#9)を用いた部分について、あなたが「これでよし」と思えたなら、あなたはそこで基音の側裏面領域を活用を良しとした、という表現が可能になる、という意味です。
こうした判断に基づく直感や判断行為のことを「音楽的なクオリアに基づく判断」と呼んでいます。
側面領域は基音に対して数理的に無理数の世界であり、そうした感覚をそこで、よし、としたあなたの感性の科学的理由は、現代の科学では上手に説明ができません。
強いてこじつけるなら「私は今無理数の美を知覚した」とかでいいのかな、とも思います。でもそれってちょっとダサいかなって思うタイプなので笑、そういうふうに言わなくて済むような方法論を私は私に対して作った、というだけです。
こうした本人の意思を他人に強要したらオカルトになると思います。
cに対してfは「上」と感じるのか「下」と感じるのか「増三度と感じるのか、完全四度と感じるのか」.etc...こうした個人の共感覚的な知覚や判断を含めた信念を図表にしていくと、あなたが感じる音世界ができます。
自分の勝手な思いなんて....なんて卑下していると自分の好きを探求できません。
そしてそれを実研究でやろうとすると難しいし、作品制作まで行き着く前に死んでしまいます。私はなんとしても早く作品制作に移りたかったので、独自論を作る、というスタンスに落ち着きました。
"自分の選択の確かさ"を簡単に具現化できる方はこんな図表をわざわざ作る必要すらないでしょう(頭の中で音を確信印刷できる天才タイプ)。
「こんなインスタントのカレーを美味しいなんて言ってたまるか」と強く普段から念じているとインスタントカレーを食べても美味しく感じません。
しかしそんな人でも、遭難して極限まで腹が減れば、そのカレーをとても美味しく感じるはずです。感じ方とは理論ではなく、個人の意識が左右します。
一時解釈問題は「CG問題」として教材でも書いています。
拙論では恣意的な関連性を自在に扱うためにCにとってのGの立場、GにとってのCの立場を平等にしました。
Cにとっての3倍音g、Gにとっての1/3倍音cという相互関係です。
現代の音楽論は「自由」ではないんです。gがcに属することを認めるのなら君に自由に作る権利を与えてもいい、って感じなのです。
私のように才能が半端だと、そういう踏み絵を10枚くらいやらないと"まともな"音楽作れない感じがしたんです。被害妄想ですが。
さらに、たとえば、Fmadd9。
これは構成音は、F,Ab,C,Gです。
下方の数理を用いると、基音をcとした時の下方倍音f,a♭,cとcの上方倍音gを合体させている、という発想も可能になるわけです。この和音、あなたはfに重心を感じるように教えられて刷り込まれていることでしょう。
基音が絶対なら、この時重心はcに感じなければならないはずです。しかし人はそう感じません。感覚が恣意的だからです。
その「恣意的」さを活用できる自己方法論が各位で必要です。www.terrax.site
ブルーノートはどうでしょう。
ブルーノートを初めて方法論の中で機能和声と関連づけたのが『ブルーノートと調性』でした。同書は一般論としての音楽理論の思考を行いました。
拙論は、独自論を作ることによって、12音を位置づけるという発想でこれらのブルーノート、カラートーン、オルタードテンションまで自分なりに使えるようにしました。
こちらの63以降を読んでいただくと脳みそが洗濯されます。
伴奏がC△のときに、旋律の流れでEbを用いることのできる感覚がブルースです。先のC△(#9)の話と同様です。
このブルージーのサウンドはなぜ使えるのか?を説明する材料としても不定調性論はこれらの上下8倍音までの関係の拡張で導き出すこともできます。
基音Cなら、
上方領域に、C,E,G,Bb
下方領域に、F,Ab,Dです。
そしてこれらのF,Ab,Dの上方音を全て並べてみます。
F-A-C-Eb
Ab-C-Eb-Gb
D-F#-A-C
すると、ブルーノートのEb,F#,Bbが現れるのはもちろん、C#とDb以外全て出てしまいます。
この集合は下方倍音が基音を発生している状況をモデル化したものですが、これが都合よくブルーノートを発生させるため、重用しているに過ぎません。
しかし、こうすることで、機能和声の理屈の中にブルーノートを放り込むことができる訳です。これらの音は遠く、基音に属するという構図がこの図の中に作れるからです。
(数理親和音モデル)
あとはこれらの出現音をどこまで用いるかを作曲者、演奏者が判断します(反応領域の決定)。
C△ |C△ |C△ |C△ |
において、Cを中心にしたスケールで各領域の基音だけなら、
C-D-E-F-G-Ab-Bbです。
cの上方倍音はc,e,g,b♭、下方倍音はc,f,a♭,dだからです。
これを五度音まで反応させると、
C-D-Eb-E-F-G-A-Ab-Bbと使える音が増え、三度音まで用いると、
C-D-Eb-E-F-F#-G-A-Ab-Bbとなります。これをどこまで許容するか、をあなた自身が決めればいいんです。
また同様にCとFだけに絞れば、
C-Eb-E-F-G-A-Bb
となります。
これはもちろん一般のブルーノートの考え方とは異なりますが、スッキリ同じ土俵でブルーノートスケールとメジャースケールの存在を考えることができるようになります。
最初はバラバラだったジャンル、思想、音楽、全ての考え方をフラットに戻して、もう一度作りなおすと、こうした音の連関性が見えてくるのが下方倍音列の数理の使用のメリットであると考えています。