音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

43, Aja / Steely Dan〜理屈を越えるために理屈を知る-君の気持ちイイは君だけの感覚★★★★

2017.10.7⇨2019.9.22更新

スティーリー・ダンの不定調性進行分析

43, Aja / Steely Dan

 

あまり勉強をせず「俺は理屈じゃなくて、自分がいいって思ったものをやったほうが気持ちいいんだ」と考える人がいます。

自分がいいって思うものは気持ちよくて当たり前です。だって自分が「気持ちいい」って先に思っちゃってるんですから。だけどそれはあなたにとってのみの真理であって、宣言しても通じないでしょう。それらの経験則を一般化してまとめたものが知識です。それが背景にあった上で「気持ちいいの種類」を判別しないと、自分の好きにやるだけでは稚拙な好みで止まってしまったり、知らずにすでに極め尽くされ淘汰されたものに自分が向かっていても気がつきません(先人の同じ過ちを繰り返す)。

だから自分なりに音楽を聴いたり勉強することは避けられないんです。そして聴いた曲の種類があなたの個性を補強もしてくれます。

 

この「自分にとって気持ちいい」を極めたバンドがSteely Danではないでしょうか。

今回は名曲の中にある幾つもの「進行感」について考えてみましょう。

 

『彩(エイジャ)』です。
当初、「むずかしい」というのが最初のこの曲の私の「音楽的印象」でした。

なんでこんなに難しいんだろう、っていうのは今聞けば理由がわかります。いくつもの既存の連鎖を複数用いて展開しているからです。音楽構造の展開を勉強してないと、ああ、これはあれじゃん!!てわからないんです。

バイクを分解してもそれぞれのパーツのことを知らなければ、「うわ!これをここに使ってるんだ!」という驚きはありません。Steely Danはそういうバンドだと思っています。ここではコード構造しか扱いませんが、旋律、楽器の音色、グルーヴ、間、ミックス、様々なところに彼らのびっくりが詰まっていますので、このバンド勉強するだけでも商業音楽の知識全部入ってくると思います。

open.spotify.com

 

要点をまとめるために歌の部分だけみてみましょう。

BM7 |% |A/B |BM7 EM7 |
Bm7(11) |% |CM7 |% |DM7(9) |% |
E7 |% |GM7 A/B GM7 |G |Gb7 |Eb7 |Ab7 |% |
Bm7 |% |CM7 |% |
FM7 Em7 |3/4 DbM7(b5) |CM7(b5) |% |BM7~

 

音楽に存在するのは不定調性論では「進行感」だけです。

それは作曲家の「音楽的脈絡」であり、それを聴いた聞き手はまた自分なりの脈絡を作り、理解します。そして皆が皆同じ脈絡を感じることはありません。

 

======
BM7 |% |A/B |BM7 EM7 |Bm7(11) |% |
A/BはVIIbを感じさせます。このバンドが好きなコードです。
つぎのBM7-EM7-Bm7(11)はII-V-I的な、いっせーのっせ!というケーデンス的な進行感を感じます。

不定調性論では、コードマトリックスというコンセプトで、「拡大した調性を用いる機能感」という方法論があります。

Cのサブドミナント特性音を持つ和音、ドミナント特性音を持つ和音、トニック特性音を持つ和音を並べてハイブリッドなII-V-Iを作り上げる手法です。

一つ例を挙げると、
Cメジャーキーの
サブドミナント特性音f,a
ドミナント特性音f,b
トニック特性音c,e
を持っているコードがそれぞれの機能となる、と定めると、
BbM7--Eb7(#5,9)--Ab7(b13)
をみてください。

特性音は確かに持っています。ですから「CメジャーキーのII-V-Iが希少に内在されている解決進行」と言えてしまうわけです。
また「解決進行だ」と思って弾くと、それなりの進行感を得られます。これを「音楽的クオリア」といいます。印象は作り出せるし、そう感じようとすればある程度感じることができる場合があります。
でもそれは特性音のせいではなく、単に和音が連鎖した時に感じる人の印象、と考えると、どんな和声進行でも進行感が得られます。

BbM7--Eb7(9)--Ab7(13)

と、ちょっと変えた方が、解決感がある、となれば、おいおい何でも良いんじゃん。
となってしまいます。

また、同部分の最後のBm7(11)はAsus4/Bのようにも響きます。B-E-Aという根音進行をBM7-EM7-Asus4とした連鎖進行といえます。上部の和声単位は、適宜決めることができます。

この感覚こそが不定調性論で音楽の展開について最も重要になる「個人の進行感の確立」となります。これが出来上がればあなたはあなただけの音楽理解の方法論を得ます。音楽は個人的なものになりますが、ますます楽しくなります。そこからの感覚感については個人の気質が関係するかもしれません。

・人と同じように感じられないものなんて意味があるのか?

・伝統的学問に立脚しない感じ方なんて価値があるのか?

・個人の感じ方なんてなんのメリットもなくない?

と感じる方に不定調性論は無理でしょう。でも今挙げた3点も結局は個人が判断した個人の思想なんです。

 AD 

     

 

======
CM7 |% |DM7(9) |% |E7 |% |
ここはおなじみ、VIb--VIIb--I7という形態が作られています。

従来のVIbM7-VIIb7--Imの印象の発展代用といえるかもしれません。
最初のCM7は、Bm7からの繋がりでBm7-CM7というフリジアンのI-IIb進行感の感覚が代用されていると感じました。

ここでもM7が和声単位として主に用いられます。
和声単位が統一されると、色彩感が似てきますので、逆に変化をつけたいところが見えてきます。和声単位の統一連鎖は”調とは異なる統一性の概念”と言えます。

 

GM7 A/B GM7 |G |Gb7 |Eb7 |Ab7 |% |
ここでは、G-Gb7においてIV-III7の進行感の印象が転用され、次のEb7は「VIb7に飛んだよう」に感じ、またAb7はその「II7-V7に感じ」ます。
まさにコードの進行感を知り尽くした人が作っている、という印象を与えます。
ビートルズ楽曲などの先にある感覚ではないかと。

既存のコード進行はそれ相応の印象を人に与えます。それを感じ、覚えておける人は、単品でその連鎖感を使うことができます。

CM7  |Dm7  |G7  |CM7 |

において、CM7  Dm7という流れをあなたはどう感じますか?私は

「ああIIm7に流れる感じだなぁ」と覚えています。

これを活用するわけです。

CM7|Dm7|EbM7|Fm7|GbM7|Abm7|---

こうした流れがある種の規則性と音楽的な脈絡を作っている、と感じるのはあなたがそれらの進行感を覚えているからです。進行感を慣用句にして連鎖していくんです。

またDm7に続くEbM7は、下記の印象感と重ねて理解していきます。

:Am7 |Dm7 |Am7 |Dm7 Em7|FM7 |FM7 :|

この進行で、Em7--FM7の流れに「飛翔した感」とか「リリースされた感」というようななんらかのイメージを受け取りませんか?これを覚えておくんです。

”半音上のM7って飛ぶよなぁ”

と。あとはそういう進行に出会ったら、このクオリアを活用していけば、どんなへんちくりんなコードでも「あ、半音上のM7感」と理解できます。

この感覚が入っていけば、機能和声から解放されることでしょう。

 

Bm7 |% |CM7 |% |
FM7 Em7 |3/4 DbM7(b5) |CM7(b5) |% |BM7~
これはまとめの部分です。
Bm7-CM7は今述べたIm7-IIbというフリジアン進行的です。

そしてまたFM7でCにおけるIVに飛んだように感じさせます。

またダイアトニックから離れて「どんな流れになっても、俺は頭のBM7に戻ってみせるぜ」というぐらいの訓練は必要です。ユーミン氏もこの感覚強いですね。"どこに行っても主調にカッコよく戻して見せるわ感"がすごいです。

 

それからダイアトニック進行的に、ベースラインが下降していきます。
Fm7-Em7-Dm7-CM7といってしまっては、調が明らかになり過ぎるので、
FM7-Em7-DbM7(b5)-CM7(b5)-BM7~
という流れになっています。
このDbM7(b5)は、疑問符で終わる偽終止DbM7の変化系です。その響きをならしてみたら、「良い感じだなぁ」と感じられる創造性が自在に出てくるのが不定調性論の訓練成果です。
 

最後にCM7(b5)について、
ふつうにCM7にすればいいのに、と思うところですが、この和音、聴き比べてみてください。CM7よりもCM7(b5)のほうが潤いというか、湿ったかんじがありませんか??もちろん各位の感じ方でOKですが。

ゲームでは経験値が大切なように、ミュージシャンにとっても耳の経験値の向上によってこうした「普通の人が使えない武器」を使えるんですね。

たとえば、
Dm7-G7-CM7
Dm7-G7-CM7(b5)
Dm7-G7-CM7(#5)
Dm7-G7-Csus4M7

など、いろいろケーデンスの部分で試してみて、それぞれが自分の中にもたらす色彩感、印象の変化を確認しながらどんどん使ってみてください。

 

これを鍛えるのが不定調性の和声論です。その先に「理屈を超えたもの」を直感的に受け取れるようになるのだと思います。勉強と努力なくして直感はなし、です。「感性でやる」っていうのは「自分は極限までいきました」っていう人の話ではないか、と思いますそこ待っではどうしても一人一人の方法論をブラッシュアップし続ける旅が待っていると思います。

 

「俺は理屈は散々やったけど、いつのまにか自分がいいって思ったものを最後は選んでいるんだ」という達人の言葉を変に劣化させた思考が「俺が気持ちいいものしかやらない」になっているのかな?と教育現場的には感じています。多少の修正が要りますね。