音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

和音の印象と進行感について考える~独自感覚の再起動★★★★

2017.9.13-2019.9.9更新

方法論をまとめて⇨創作活動をして作品を残していくこと

が大切だと考えています。

だからコンセプトができたら作品作りをしながら方法論をまとめていってください(そう、二重に手間なんです笑)。

作曲しているときは方法論を考えているときとは脳が全く違う働きをします。

作曲しているときの脳でも扱える方法論が必要です。

「音の印象を自分の言葉感で語ることで理解・展開する」というやり方を提唱しています。音楽理論研究会などでも発表してまいりました。

不定調性論は、実際制作活動に入り、どうやって方法論を実践するか、について考える段階に入っています。

www.youtube.com

こちらの動画で、実査に作っている風景も出せるようになりました。

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音楽に対する感覚は、自分だけのものです。最初に重要だと思うことを書きます。

・あなたが聴いた感覚をあなた以外とリアルタイムで完全に共有できる人などいません。

・和音に進行感があるのは、和音が内部でそう感じるような動きをしているのではなく、あなたがその和声の動きに対して、そう感じているだけに過ぎません。

これが自在に毎回豊かに固定しない印象で感じられるからこそ音楽創作は刷新されていきます。ときに言葉にならないこともあり、その正体不明感がクリエイティブな意欲を掻き立ててくれます(と私は考えて方法論を作りました)。

和音の進行感や音楽の印象を捉えるには、得体の知れない模様感・言葉にならない意味感・しかし強く感じる抽象性、等という脳の反応を言語で理解する段階をスルーしてそのまま創作燃料に投下する素早いプロセスが必要です。声部が何で、こう動くのは何モーションで、構成音は何で、テンションがどうなって、と創作の時にはいちいち考えない、という発想です。

しかし分析の時は違います。音は静的なのでいかようにでも音の流れを冷静に分析できます。しかしそのようにロジックを感じては作曲者が作っていないとするならば、その分析方法はあなた自身があなたのロジックの中で曲を観察したい、と思っているだけに過ぎなくなります。ある意味でこれが音楽理論と作曲活動に現実感の剥離を生みました。

理論で曲が作れないのはこの脳活動の性質の違いをまだ学習者が知らないからです。

そこで不定調性論は「なんでも分析できる」という視点で分析学側を独自化・進化させていくのではなく、より音楽理解のニュアンスを作曲者の作曲時の脳の状態を意識させる方法になりたい、と思っています。

例えば、フェスで盛り上がってモッシュ状態にいるお客さんは声部の動きを分析的に感じてはいないでしょう(推測)。もっと理解できないけどエキサイティングな音の動きを抽象的にとらえ、体が先に動いている、と考えると、そのように分析できる方法のほうが観客の意識に近い分析、といえます。そのような分析方法があったでしょうか。

また作曲者もそういう聴き手の熱さみたいなものを感じて制作はしたと思いますが、声部の動きにそこまで注視して「この声部の動きや機能感は客がモッシュしたくなるだろう」とは考えないでしょう(私は、ですが)。

そういうことは無意識に処理し’(たいと願いながら考えてる場合あり)、もっと全体の流れ、シンセの音色がエキサイティングか、とか、ビートは腹にくるか、という全体を感じて作っていくほうが作業はスマートです(そうでない人はそれで良い)。

頭の中で和音の機能を感じるのではなく、頭の中でお客さんと一体化してモッシュしている・・・そう感じて・考えて作れる作曲方法論を具体化したいわけです。

 

初期学習時に和音の機能や声部の動きを分析できる力を養うのは大切ですが、すぐ、その先に進んでいただきたいのです。自ら感じ、自らの心象・印象で確かに動機付けできる方法を見つけていただきたいです。この直感的思考が癖になれば、楽曲の創作や創造物創作のプロセスでも活用できます。そのイメージは動機となり、分析的に考える前に行動するパワーになるからです。またそれを爆発させればモッシュしたくなります笑。

不定調性論は「機能和声論」ではなく、そうした創作者のための「心象連環論」でありたいと思っています。

=====

改めまして。

音楽に対する感覚は、自分だけのものです。

でもこれを受け入れるのは難しいです。

30人がいて自分の感覚だけがその他全員と違っていても、自分の感覚を信じることが出来ますか?

 

初期学習時は「音楽の価値観」を他者から学習します。

しかしあなたが好きと思える音楽には「範囲」や「型」がある程度あります。教えられる以前から、母親の胎内にいる頃から音を感じ、細胞にその音を刻みながら命を作ってきたからです。とても原初的なあなた独自の価値観はずっとそこにあったんです。

それを社会で生きる洗脳教育の中で巧みにかき消され上書きされてきたわけです。

このブログではかすかに残る"あなた自身"をもう一度揺り起こすために書かれています。

 

他者と全てが同じのはずがありません。

よく考えれば分かる事です。でも普段はなぜか「共感」を探して求めてしまいます。

ゆえに自分で自己を確立するのは勇気がいります。 

すごい勇気が。

「バカじゃないの?(笑)」と言われます。そして「とても恥ずかしいことだ、高慢だ、無知だ」と必ず言われます。伝統的なやり方がしっかりしかも無数にあるのに、それらを飛び越え自分で方法論を作るなど何たる傲慢だ、君が思いつく程度な事、絶対誰か先にやって失敗して残っていないだけだ、等と誰でも瞬間的に察知しますが想いにして言葉にするほどの価値はないので誰もそれを進言してくれたりしません(しかし一定以上の知識を持つ教授陣になると、こうした独自論は大切なので頑張りなさい、と助言くださいます。それが励みになります)。私は機能和声論と対極にあるのはどのような位置か、と考え、「個の音楽方法論」を作るための様々な発信をしています。

 

ゆえに無名な独自論は「無視」されます。致し方のない差別、という表現をします。これは差別されていたほうが社会にとって無難である、という社会全体の発想を反映していると思います。そもそも精査されていない以上、それが役立つかどうか試さないことにはわからないし、他者が試すことなど何のメリットもないのが新規独自論です。

全部自分でやるしかありません。

しかも生きている間は報われないかもしれません。

真の意味で方法論の完成は提唱者の死によって成されます。だから早く軌道に乗せて創作活動に入らないと、人生もったいないです。理解されないなら、理解してもらうために費やす時間がもったいないのです。

(皆さんは機能和声論と不定調性論の中間の心地の良いところで音楽をやってください!!)

 

自分にとって不定調性論的思考の発見は奇跡でした。

こんなに音楽って楽しくて、やり易いんだ!!!

って今も思います。

不定調性論の可能性をシンプルに感じて頂くためにこの記事を作りました。

   

 

和音の印象を創造してみる

CM7

bloguitarCM7(flashを有効にしてください。)

リンク先の「♪」マークをクリックすると音が鳴ります。


この和音、単品で弾くと、どんなイメージを感じますか?

下記は私が考えた印象ですが、
「さわやか」「洗練的」「都会的」「すずやか」「さみしげ」「白色的」

皆さんも音楽的感性のある方は、いろいろなクオリアを感じると思います。

このように音現象がなんらかの言語的表現になるきっかけとなる心象を「音楽的なクオリア」と言います。不定調性論は音楽学習の前にこの音楽的なクオリアの表現力を鍛えていきます。こうやって音の意味を把握できれば、続く和音も、その印象を展開していく和音にすればいいんです。機能や調に対する絶対認識はさほど必要なくなっていきます。"あなたがそう思うままに作る"ことを実践します。勇気が要ります(天才は別)。


では、

CM7 |AbM7 |EbM7 |GM7 |

rechord.cc(↑こちらで音が聴けます)

(もし速い!という場合は、

f:id:terraxart:20190920192853p:plain

リンク先の操作画面で、テンポ数を下げて聴いてみてください。上の「piano」のところで音色とかも変えられるよ!セルフサービスですみません。)

というコードの流れには、どんな"感じ"を得ますか?

「うーん、微妙だなあ、別に何も感じないね」

でしょうか。それとも

「あぁ、これは春のさわやかな風だね」

とぱっと印象が決められるでしょうか。

不定調性論は、より後者のような人のためにある方法論です。

これは最初は、無理くり感じようとしないとなかなか出てきません。逆にこれが出来れば、街のノイズにさえ「郷愁」を感じてしまうことができます。

普段は「自分が学んだ価値や美意識は美しい音楽で感じるべきものだ」というフィルターを作らされているので、ノイズから美しさなど感じる必要はない、と勝手に決め込んでいるので感じないだけです。

 


Cm7

こちらで音が鳴らせます。

これはどうでしょう。先のCM7と比べると、
「さみしげ」「だんまり」「ひとり」「すきま風」「秋」
ちょっと淋しいイメージが多いでしょうか。

何でも感じたままを書いてみたりしてください。「真夏!」って思う人がいてもいいと思います。サーフミュージックではテレキャスギターでCmガギョーン!で常夏!でしたしね。

しかし、これを並べると、

Cm7--Ebm7--Bm7--C#m7→最後にもう一回Cm7 

rechord.cc


どうでしょう。

淋しい、というよりも「淡々とした冷静さ」とか「面倒くさい焦り」とか、より具体的な感覚の混じった状態になる方もおられるでしょう。まず何より悲しさとかは無くなります。というか変質します。

もちろん最初は「何か茶色っぽい印象」とか「何も浮かんでこないけどモヤモヤした感じ」というような印象でもOKです。言葉にできなくても具体的になんらかのクオリア=質感、を強く感じればOKです。それが先々「音楽する動機」となります。

まず音を聴いて、何かを感じること、それが不定調性論では重要になり、それが個人らしさを生み出すと同時に、「もっと真剣に先人の音楽理論を勉強しよう」と思えたり、音楽性を研ぎ澄ます自分なりの方法の発見につながります。音楽理論はむしろそうやって自己の感覚を一般的概念で補うために学習されるべきです。

なぜそう感じるかを脳科学に求めず、そう感じる自分を率直に認め、それを動機に音楽をやります(そうすればすぐ制作作業に移れる)。あなたは十分に他者の方法論を勉強してきました。これからは自分がどういう感覚を持った人間かを学べばいいと思います。あなたは自分の体と脳と意識の機能についてまだ何も知りません。他人からあなた自身のことは教わっていないはずです。

それを知る手掛かりを、こうして外部刺激から生まれる感情を通して"識る"わけです。

トニック、ドミナントという感覚はF.リーマンらが作った独自論の体系の名残りです。

あなたがそれに全て賛同する必要もなく、そもそも100%の受諾は難しいです。あなたとリーマンは人種も、生まれた時代も環境も思想も全て異なるからです。あなたはやはり自分で自分を知ろうとしないと、自分が今からその和音から次にどこに行きたいかを知ることができません。

 

     

 

Cm7(11)

こちらで音を鳴らしてみてね!


いわゆるテンションコードですね。

一般的なそういう呼び名で考えてしまうと、なんだか硬いイメージがしますが、この和音は、大変柔らかいです。
「雨上がり」「静かな午後」「しっとり」「思い過ごし」「忘却的」
とか。

どことなく空虚感がありながらも、暖かい感覚を残してくれると感じます。

m7だから暗い、ということはなく、こういう微妙な既存論との差異を多くに感じ、私は従来のコード理論から自分なりに感じることを改めて洗い出して並べ直す必要を感じました。
 

Cdim(M7)

音はこちらで!
クリスタルコードですね。島岡譲先生の門下生の皆様にはおなじみです。ジャジーなサウンドですが、バッハの時代から使われているそうです。
どんなイメージですか?

「近代音楽的」「コンテンポラリージャズ的」「解決しない疑問」「水銀の味」
まさにきらきらとしたクリスタル、ですね。

2014年3月の音楽理論研究会発表では、これを「台座からずれた墓石」という印象を堂々と宣言し、ちょっとへんてこな小楽曲を作りました。当然島岡先生、青木先生以外ちょっと白い目で見られました笑。先生方はある種の理解を示してくださいました。

 

当時はこれが共感覚的知覚であり個人のみの感覚だ、ということを知らずにいたので、堂々と、これこそが和音の感じ方だ!!とか言ってましたから、その点は恥ずかしいです。笑。

 

===

不定調性論では、どんな和音にも、情感がある、と考え、和音の機能で連鎖するのではなく、それらの連鎖された印象を感じ取り、音を探していきます。だから既存の機能感を一切伴わず、連鎖感を作れます。その代り調からの逸脱がすぐ起きるので、「調性を定めず」というこの名がついています。

こういう感じです。

www.youtube.com

これは音だけを聴いて作っています。

(上記アレンジ解説記事)

普段の音楽のように音楽を考えてしまうと、美しいけど自分の響きではありません。

幾ら細身がいいって言って小さいサイズのスタイルの良い服を着てもあなたの足は明日には壊疽しているでしょう?あなたにはあなたに合うものがあるはずです。

それを探すのは楽しいですよ?それが売れる音楽であった人は「あたり!」ですよね。

私は見事(?)外れた、かも?笑。だから方法論策定として真逆に振り切りました。

 

上記のようなアレンジが自分にとっても最もしっくりくる響き、と知った時は絶望でした笑。でも見つけたんです。機能和声論の真逆に位置する思想を。

 

当然機能和声的な経験も避けず、II-V感が欲しい時はそのまま使います。その代り前後の流れで変に調性音楽価値の自動流用にならないように、ただ通過せず、印象をさらにきわどいところまで一音一音詰めていきます。ヴェロシティやタイミングも詳細に設定します。DAWでしかできない新しい現代音楽です。

 

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たとえば、メロディ音にc音があったとしましょう。
そしてそれらのcの音を下記、それぞれの和音の一番高い音(トップノート)において弾いてみてください。ただあなたはcを弾いていれば良いだけです。

「ドードードードー」ってずっと同じ音でみて歌ってください。

C△-Cm-Csus4-Caug-Cdim-CM7-Cm7-CmM7-C7-Cm7(b5)-B7(b9)-BbM7(9)-Bbm7(9)-A7(#9)-Am7-AbM7-Ab7-G7sus4-F#M7(#11)-FM7-Fm7-E7(b13)-EbM7(13)-Ebm6-D7-Dm7-C#M7

同じcでもこれだけの音色を背後に備えることができるわけです。

これと同じことが島岡先生の「総合和声」にも載っていた(p464下)ので感銘を受けました。

rechord.cc

 

そうなると、和音が示すのは「調」ではなく「無限の響き」であり、和声進行は「コード進行」ではなく、「響きの連鎖」であり「響きが作る言語」です。そう考えると、一般学習的に分析しようとするのではなく、自分だけの印象や序列を紐解くしか解読の糸口はありません。そう感じているのはあなただけです。あとはあなたの感覚が一般的かどうかを一般的学問を学びながら鍛えればいいだけで、あなたがない状態で一般的概念だけを入れても音楽の動機を燃やす燃料がありません。

 

では

問;「寒々とした灰色の空の湿り気」を和音四つで表現してみてください。

 

どうでしょう。例えば、私なら、


CM7(b5) |Bm7(11) |A7sus4 |Db7(#9) | 

はどうでしょう。

rechord.cc

どう作ったか、というと、最初のCM7(b5)はなんとなく楽器を持って直感的に置いただけです。あとはイメージと照合しながら、CM7(b5)からのヴォイスリーディイングを展開するだけです。だから最初の和音は別にこれでなくても良かったんです。今作ったらまた違うでしょう。ヴォイスリーディングも禁則を無視し、そう思う方向に作りました。一般論に寄せるか寄せないかはクライアントの有無で考えればいいことです。


さてここにメロディ乗せる必要ありますか?
これだけでなんか湿り気を感じちゃう人は、旋律乗せる必要がないかもしれません。

私がそういうタイプ。和音だけでいいんです笑。。これじゃ普通の作曲なんて労力多すぎて興味が無くなっちゃいますよね。困ったものです。

これが発展すると、景色とか、感情だけにも同じような「印象」を感じるので、音楽すら要らなくなります笑。ポップスと現代音楽的思想との境目が無くなります。『4:33』は響きだらけ、そしていつも違う響きだらけ。もう音楽辞めろよ!って話ですね笑。

でも悟り、が瞑想中に訪れるのなら、音楽やってるうちはまだまだなのかもよ???

悟りたくないけど、音楽家にとっても瞑想が音楽活動の究極のものかも??笑。

 

まずは、それを聴いて自分がどう感じるかを受け入れる作業です。「用語」はいりません。それを創作や1日の生きるエネルギーにすればいいだけです。むしろ音楽理論を学習しない人こそこのような音楽理解を上手に使っているはずです。それを言うと無知だ、とバカにされるので言わないだけです。でもそういう人の方が感性が鋭かったりするのはなーぜだ。

これまでの人はこんなこと誰も許可してくれなかったし、最初は戸惑うでしょう。

 

皆さんがこの記事をどうとらえるかは分かりませんが、自分の欲望を反社会的な行為に昇華せず、創造活動にしていけば良い、とだけ述べます。工夫だと思います。工夫して工夫して、諦めず自分が残せる「方法論」一緒に模索しましょう。

その先にやっぱり普通のポップスが一番好き!となればそれでいいと思うのです(年齢たつと変わるよ笑)。不定調性論的思考は一歩間違えば反社会的思想に繋がります。だからあえて安易に不特定多数の人には勧めません。安易な思想を許容してはいないんです。自己を確立する、という厳しい道のことを言っているんです。

あなたの最左翼に不定調性論を置いておいてください。

 

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