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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

マイナーコードはなぜ悲しい響きがするのですか~不定調性論の挑戦

2017.9.10→2020.2.7更新

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「マイナーコードってなんで悲しい感じがするの?」二年に一度ぐらい、この質問を受けます。そのときにこう答えます。

では、カレーライスはなんでおいしいのか、と。

このときカレーがおいしい科学的根拠を知りたいなら科学者に、芸術的根拠を知りたければアーティストを目指すべきだと思います。

この短調認知問題の科学的解明が待たれる中、いま大切なのは

「あなたが今そう感じた」

ということです。音楽家ならそれをどう活用するかを考えるかが有意義だとすぐ気付くでしょう。またそう感じる、ということを活用して音楽理論・制作・鑑賞を展開する方法論が不定調性論です。

 

   

 

この問題、本当にその感覚は自分で得たのか、それとも誰かから聞いた話か?でもだいぶ異なります。自分で感じたならある種の共感覚的知覚が備わっていますから、芸能的素養があるかもしれません。

 

たとえば『東京音頭』は、いわば短調ですが、この曲、悲しいイメージします?

東京音頭 - YouTube

もし「悲しい」(又はその人の内で類似する感情)、を感じたなら、本当に「悲しい」というイメージだけですか?

この感覚的知覚を吟味して行きつくところは、

自分が本当にそう感じるのであれば、その和音は今の自分にとって、そういう存在足り得ている

としか言いようがない、となります。

その上で、

あなたが美味しいカレーを自分でも作りたい、というのなら、料理学校に行くべきです。

作るのではなくただ美味しいカレーを食べたいだけなら、あなたにとって大事なのは「おいしいなぁ」と感じることを自分に許し、発信し、感謝し、人生と生活にフィードバックすればよいと思います。

逆に自分が感じたことを無視したり、卑下したり、逆手にとって誰かを罵倒したくなるのなら、あなたは自分に自信がないので、あなたの自己評価を上げてくれる良い先生を探すべきです。

あなたが音楽家なら「その感情的解釈を音楽表現にどのように活用するか」が問題になるべきです。感じた感情を音にできなければ音楽家になれません。楽器でピアニッシモを表現するには相応の技術が必要です。感じるだけでは不十分で、それを音楽にできるかどうかが長年を要する鍛練ですから、早く鍛練期に入らないと間に合いません。

あなたは歌で「悲しさ」をどう出せばいいか言えますか?できますか?

言えずともできればOKですし、できなければ技術を磨く必要があります。

なぜ悲しいのか、を解明したいなら、やはり科学者にもならないといけません。両立は大変です。今自分がなにをしたいか、選択しなければなりません。

追記;2020

www.youtube.com

私なりに「悲しさ」を昇華してみました。

("正統派な一風変わった音楽動画"(?)を作っています。チャンネル登録いただければ幸いです。)

 

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以下、より深いところに行ってみましょう。

たとえばその曲を友達も「悲しい」と言った、としたら、あなたの「悲しい」と、友達の「悲しい」が完全に等しい、となぜ言えるでしょう。

 

Bb-Cm-Dm
と流れる時、間で経過するCもマイナーコードですが、私はあまり暗いと感じません。

(こちらで音で聞けます→)https://rechord.cc/WLdL3td2O3s

(Bbメジャーキーを先に感じてしまうことでCmをCm/Bb△=Eb6/Bb的に感じるからでしょう。)


感情は複雑な脳というブラックボックスを経由して意識の上に生み出されます。

人は知識として理解するより先に、反射的に感情を感じます。

まるで自我が考える前に計算機で答えをはじき出すように。

科学者であればこの原因を解明しなければなりません。

音楽家はそれを豊かに使えばよい、と信じます。

不定調性論は、この「科学的根拠ではなく、この湧きあがった感情そのもの」を動機と直結させて活用する、という方法論です。


短三和音はなんで悲しい響きがするのか、という問題意識自体が実は表面的過ぎてまだまだユルユルなわけです。

先人はどんどんその先の表現にすすんでいます。根拠を探すのではなく、そう感じたことを活用することに徹したほうが音楽家としてはその表現達成への道が早いわけです。

いくつか考える例を箇条書きしましょう。

 

・ユーミン氏は『ツバメのように』で自殺をテーマにしながらテンポの良い曲を書いています。それは悲しみという枠組みを越えて、もっと何か別の悲しみの果てのドライな感受性にさせてくれます。短調の先の"新たな悲しみの表現"は常に模索されています。

 

・『神田川』は、暗い歌のように言われますが、学生運動が頻発した時代の不穏な時代の中で、闘争を求めるか、家庭を求めるか、つい女性の優しさに惹かれて自由への闘争を見失いそうになる男性を描いた、映画なような断片歌です。当時の一時を削り取るのではなく「貴方は もう忘れたかしら?」の一節によって、いつの時代までも思い出され歌い継がれる歌になっていると感じます。どちらかと言えば、内容は暗くも悲しくもありません。甘酸っぱく切ない歌です。深みのあるマイナーコードだと感銘を受けます。

 

・『あの素晴らしい愛をもう一度』は、実はとっても暗い歌です。曲調が明るいことで、暗いメッセージを昇華させ変質させる、という効果が起きています。これは「ツバメのように」と同じで、明るい曲調で歌う「悲しさ」はだいぶ以前から作曲技法のひとつになっていると言えます。

 

・『We are the world』も、前向きな曲調ですが、その歌が生まれた背景にはたくさんの悲しみや絶望があったわけで、その先の一縷の希望が描かれているという意味では、とても切ない曲だと思います。それを短調=悲しさ、のより先の表現として昇華し、音楽家は悲しみの先にある希望を表現することで世界の切なさを訴え、進化させてきました。 

 

先達の音楽は、すでに短調=ネガティブという表現・概念を越えています。だから勉強して、あなたもどんどん自分の感じ方そのものを鍛えましょう。今の質問のレベルのままでは逆に音楽の本質を理解できないでしょう。

"ちょっと知るなら、何も知らないほうが良いんだよ、、芸術なんて。"

って教わりました。

 

     

短調は暗い、マイナーコードは悲しい、はあくまで音楽理解の最初の一歩です。

でも、とても大切な気づきです。

「何故短調に悲しみを感じるのか」ではなく「自分の内にその情感を産み出してくれた」という事実のみが大切になります。これは共感覚的な知覚の程度差の話で、当然それを感じない人もいます。人種間の違いのようなものもあります。その仕組みの発見は科学者に委ね、音楽家であるあなたは自分のなすべきことを成しましょう。

 

また、この理屈でいうならマイナーコードより暗いdim7は絶望なのか?という話にもなるでしょう。

S.Wonderの『Christmastime』の下記0:06

open.spotify.com


のII#dim7はいかにもクリスマス!!って響きがしませんか?

dimコードはアニメや映画などでの危機一髪シーンでも使いますが、型どおりに思いこんでしまうと、クリスマスの曲で使う、という発想は生まれないと思うのです。またクリスマス=絶望、でもありません。

和音の様々な側面を感じて使えるようになるためには、やはりたくさんの音楽に触れ、たくさんの価値観を受容できる素養が必要です。音楽学習では、どうしても教科書からのインプットに頼りがちです。そこで不定調性論的な価値観も同時確立して頂きたいのです。あなたが普段の物事に対してどう感じるか、どう感じたことをどう音楽に活かすか、どう表現すれば自分が納得するか、あなたとはいったい何を考える生き物で、何を得意とした、どんなことがしたい人物なのか、を積極的に毎日探るのが表現を仕事にできる人です。

これは伝統と歴史の学習と相反するものです。伝統より、自分を重んじろ、と言っているからです。

この「矛盾のバランス」が不定調性論ではとても大切な思考のアプローチになります。

「和音の響きは、その前後関係によって元の響き感を変質させ、多解釈を生み出せる」

不定調性論では機能や調がないので、和音と和音のつながり、音現象の質感に対して、あなたが何を感じたか?が大切になります。他人がどう言おうと、教科書に何て書かれていようと、あなたがもし感じた感覚があったなら、それを信じる力が必要です。

自分を信じるには勇気がいります。

 

現代って、やっぱり未来の人から見たらまだまだ私たちにとっての江戸時代、みたいなものでしょう。我々はまだ何も知らない、はずです。

また逆に現在は未来よりも自然が豊富で、のんびりと自由に生きられる時代かもしれません。私達はどこか平安時代の人達に、江戸の人達に憧れを持つ時があります。

時代劇は廃れません。

だから深く学んで「マイナーコードは悲しい」なんて言わず笑、今生きている生き生きとした響きと感じられる音楽家になっていただきたいと思います。

人生に嘆いてもそれでも作品を残した過去の歌人達はやはり偉大だ、と、自分が大人になり人生に苦しんで初めて実感しました。中学の頃は分かりませんでした。

 

今の私には、マイナーコードの響きは、「マイナーコードの響き」そのものであり、そこから先の感じ方はいつも違います。違うことを楽しんでいます。

そう感じることを大切にしていきたいです。

 

しかしながら。

人生は切なさを感じることのほうが多いですから笑、マイナーコードの響きって単純に、人生でよく得られる感情への共感を喚起する響きとして様々な場面で使われているのでしょう。母親の胎内にいる時からそれを感じ、もし母親が悲しさを感じたから、きっとあなたにも影響されたのだ思います。その時、逆に興奮してアドレナリンが出てしまうような母親であれば、きっと胎児も違った感覚を持っていくのではないでしょうか。

 

なぜ皆、人生に切なさを感じるのですか?

が本当に問うべき問いかけなのかもしれませんね笑。

 

私の最初の強烈な短調の記憶はベートーヴェンの「運命」です。

あの肖像画といい、音楽の先生(小学校?中学校?)の熱弁といい、ハ短調の曲ですが、「怖さ」を感じました。短調にはそれ以後、怖さを感じ、「怖さがぬるくなって、微熱を帯びたもの」=悲しさ、と感じました。「悲しさ」は怖さの一種だったんです。自分には。そして悲しさから憂いを差し引くと「美しさ」が残ると思います。

「悲しみ」なんて誰も感じたくないです。音楽の作る悲しみは音楽でしか感じない「感じ」がします。

現実の悲しみとは違います。

自分は、短調に「悲しみ的な色合いを持つ美しさ」を感じているのだと思います。かっこよさを感じる時もあります。

でもモーツァルトの葬送曲を毎日聴くわけにはいかないので、何らかのネガティブな感情や陰鬱とした思いとリンクしているのだと感じます。

 

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これ聴いて「よっしゃ!!今日もピーカン天気でぶち抜くぜ!!!!」と思う人がいたら、あなたは天才です笑。早く作曲の技術を学んで曲を作って!人類に新しい価値観を提供してくれ!

 

もし幼少時から、めちゃくちゃノリノリのシーンでこのレクイエムを流す人生だったら、おそらくまた感覚は違ってくると思います。

 

最初の問です。

いまカレーライスが美味しいって思ったことをそのまま認め、忘れないうちに書き留める、ということが、その「印象」を感じたことの証明になるでしょう。

「自分がそう感じたから」

です。他者は関係ありません。他者に影響されることもあります。でも最後はあなたがそれを感じることを許諾しているから感じるんです。

 

矛盾を感じますか?

たとえ真実でも心が受け付けないこともあります。愛する人を失ってもしばらくはその事実が真実でも受け入れられないんです。

これは事実を曲げた間違った認識です。でも誰もそれを間違いだとは思いません。当然だ、と同調もしてくれます。

なぜでしょう。

"はいあの人死んだから明日からまたリセットしてまた頑張ろう"、とはならないことが重要なのはなぜでしょう。

人は事実を無視できる時があります。それが感情の力ですし、その思い込みの力で私達は音楽を作っています。音楽は幻想であり、素晴らしい発明だと思います。そしてその幻想が、感情を事実なものとして感じさせてくれます。本当に不思議。

これらの現象はなたの身体が懸命に生きているからだと思います。

 

ヒトは幻想が好きな生き物だと思うと同時に、この「幻想」こそが、まだ人類が答えを出せていない量子論へとつながる何らかの答えに直結しているように思えてなりません。

 

最近、不定調性論は「矛盾を認めること」に徹しています。ここが自己論だけを語る相対主義と異なる点です。自分はそれでだいぶすっきりしました。

他の記事でもいろいろ書いているのでかいつまんでお読み頂ければ幸いです。

 

あなたが今想ったことを大切に。

そうすると、今日、何がしたいか、みたいなことにも素直になれると思います。

音楽からそういうところも感じ取っていただけると、ちょっと音楽への認識が新たになると思います。

 

==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題== 

ほら、怖くない?巨匠、笑顔で映っているわけにはいきません笑

「運命」って感じのジャケにしちゃうんですよね。

 

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」&第9番「合唱」他