音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

マイナーコードはなぜ悲しい響きがするのですか~不定調性論の挑戦★★

2017.9.10→2019.9.8更新

「マイナーコードってなんで悲しい感じがするの?」二年に一度ぐらい、この質問を受けます。そのときにこう答えます。

では、カレーライスはなんでおいしいのか、と。

このときカレーがおいしい科学的根拠を知りたいなら科学者に、芸術的根拠を知りたければアーティストを目指すべきなのだと思います。

 

   

 

この問題、本当にその感覚は自分で得たのか、それとも誰かから聞いた話か?でもだいぶ異なります。自分で感じたならある種の共感覚的知覚が備わっていますから、芸能的素養があるかもしれません。

 

たとえば『東京音頭』は、いわば短調ですが、この曲、悲しいイメージします?

東京音頭 - YouTube

もし「悲しい」(又はその人の内で類似する感情)、を感じたなら、本当に「悲しい」というイメージだけですか?

この感覚的知覚を吟味して行きつくところは、

自分が本当にそう感じるのであれば、その和音は今の自分にとって、そういう存在足り得ている

としか、言いようがなくなります。

科学的根拠はまだ特定されていません。それを知りたければこれから脳科学の分野に進むべきでしょう。

カレーがおいしい科学的根拠を知りたい場合も同様に科学者を目指してください。

あなたが美味しいカレーを自分でも作りたい、というのなら、料理学校に行くべきです。

作るのではなくただ美味しいカレーを食べたいだけなら、あなたにとって大事なのは「おいしいなぁ」と感じることを自分に許し、発信し、感謝し、人生と生活にフィードバックすればよいと思います。皆があなたの感性によってハッピーになります。

逆に自分が感じたことを無視したり、卑下したり、逆手にとって誰かを罵倒したくなるのなら、あなたは自分に自信がないので、あなたの自己評価を上げてくれる良い先生を探すべきです。

あなたが音楽家なら、「その感情的解釈をどのように扱うか」が問題になるべきです。

=====

たとえばその曲を友達も「悲しい」と言った、としたら、あなたの「悲しい」と、友達の「悲しい」が完全に等しい、と決めつけてはいないか?と考えてみましょう。

 

Bb-Cm-Dm
と流れた時の経過するCmは、私はあまり暗いと感じません。

(こちらで音で聞けます→)https://rechord.cc/WLdL3td2O3s

(Bbメジャーキーを先に感じてしまうことでCmをCm/Bb△=Eb6/Bb的に感じるからでしょう。)


本来はもっと複雑な神経機能によってこの解釈は入り組んでいるように思います。

人は知識として理解するより先に、反射的に「結果」を感じます。

まるで人が考える前に計算機が答えをはじき出すように。

科学者であればこの原因を解明しなければなりません。

音楽家はそれを豊かに使えばよいのだと信じます。

不定調性論の奥義は、この「科学的根拠ではなく、この湧きあがった感情そのもの」をそのまま活用する、という方法論です。


短三和音はなんで悲しい響きがするのか、という問題意識自体が実は表面的過ぎてまだまだユルユルなわけです。

 

もし倍音や、生理的、心理学的、生物学的な方面から勉強したいなら、その専門家に質問してください。最新の研究結果が聞けるでしょう。

音楽家は和音が与える「悲しさ」をどんどん発展して、ストーリーに反映し、どんどん展開していただきたいです。

・もし短調を悲しいと感じることに、あなたが同意するなら、そういう気分の曲を書くときに手がかりにすればよい。感じないなら感じるままに扱えばよい。

・ユーミン氏は『ツバメのように』で自殺をテーマにしながらテンポの良い曲を書いています。それは悲しみという枠組みを越えて、もっと何か別の悲しみの果てのドライな感受性にさせてくれます。短調の先の"新たな悲しみの表現"は常に模索されています。

・『神田川』は、暗い歌のように言われますが、学生運動が頻発した時代の不穏な時代の中で、闘争を求めるか、家庭を求めるか、つい女性の優しさに惹かれて自由への闘争を見失いそうになる男性を描いた、映画なような断片歌です。当時の一時を削り取るのではなく「貴方は もう忘れたかしら?」の一節によって、いつの時代までも思い出され歌い継がれる歌になっていると感じます。どちらかと言えば、暗くも悲しくもありません。甘酸っぱく切ない歌です。そう思って歌詞を読むと、「暗さ」という印象も変化していきませんか?

・『あの素晴らしい愛をもう一度』は、実はとっても暗い歌です。曲調が明るいことで、暗いメッセージを昇華させ変質させる、という効果が起きています。これは「ツバメのように」と同じで、明るい曲調で歌う「悲しさ」は作曲技法のひとつになっていると言えます。

・『We are the world』も、前向きな曲調ですが、その歌が生まれた背景にはたくさんの悲しみや絶望があったわけで、その先の一縷の希望が描かれているという意味では、とても切ない曲だと思います。短調=悲しさ、の先の表現を求めて音楽家は進化してきました。

先輩の音楽は、すでに短調=ネガティブという表現を乗り越えています。だから勉強して、あなたもどんどん自分の感じ方そのものを鍛えましょう。

不定調性論でも、感じ方を鍛え、独自性を高めることが目的です。

     

短調は暗い、マイナーコードは悲しい、はあくまで音楽理解の最初の一歩です。

とても大切な気づきです。

「何故短調に悲しみを感じるのか」ではなく最期は「自分の内に悲しみを産み出してくれた」という事実が大切になります。これも共感覚的な知覚の程度差の話なので、当然それを感じない人もいます。人種間の違いのようなものもあります。その仕組みの発見は科学者に委ね、あなたは自分のなすべきことを成しましょう。これはそう感じた自分自身の発見の旅そのものです。なぜそれが生まれたか理解できないなら。

 

それではマイナーコードより暗いCdim7は絶望なのか?という話にもなるでしょう。

S.Wonderの『Christmastime』の下記0:06

open.spotify.com


のII#dim7はいかにもクリスマス!!って響きしませんか?

dimコードはアニメや映画などでの危機一髪シーンでも使いますが、型どおりに思いこんでしまうと、クリスマスの曲で使う、という発想は生まれないと思うのです。またクリスマス=絶望、でもありません。

そう感じて使えるようになるためには、やはりたくさんの音楽に触れ、たくさんの価値観を受容できる豊かな経験が必要です。音楽学習では、どうしても教科書からのインプットに頼りがちです。不定調性論的な価値観をそこに確立して頂ければ、教室の外の活動こそが大切である、といえます。あなたが物事に対してどう感じるか、どう感じたことをどう音楽に活かすか、あなたとはいったい何を考える生き物で、何を得意とした、どんなことがしたい人物なのか、を積極的に探るわけです。

「和音の響きは、その前後関係によって元の性質を変質させ多解釈を生み出せる」

不定調性論では機能や調がないので、和音と和音のつながり、音現象の質感に対して、あなたが何を感じたか?が最大のヒントになります。他人がどう言おうと、教科書になんて書かれていようと、あなたがもし感じた感覚があったなら、それについて話し合いましょう。そこに興味を持ったうえで、既存の教材を好きなように学習するといいでしょう。学校が与える教材だけを勉強していると違和感しかないはずです。自分で見つけないと。

 

現代って、やっぱり200年後の人から見たらまだまだ私たちにとっての江戸時代、みたいなものでしょう。我々はまだ何も知らない。

また逆に現在は未来よりも自然が豊富で、のんびりと自由に生きられる時代かもしれません。

だからマイナーコードを悲しい、なんて言わず笑、生き生きとした響きと感じられる音楽家になっていただきたい、と思っています。

 

私は、マイナーコードの響きは、「マイナーコードの響き」そのものであり、そこから先の感じ方は自分のものであり、遺伝的、生物学的な根拠はともかく、そう感じることを大切にしていきたいです。不定調性論は同じように考えてくださる方のための方法論です。

 

でも、切なさを感じることのほうが人生多いですから笑、マイナーコードの響きって単純に、人生でよく得られる感情への共感を喚起する響きとして様々な場面で使われているのかもしれません。母親の胎内にいる時からそれを感じ、もし母親が悲しさを感じたから、きっとあなたにも影響されたのだ思います。その時、逆に興奮してアドレナリンが出てしまうような母親であれば、きっと胎児も違った感覚を持っていくのではないでしょうか。

 

人生はなんで皆、人生に切なさを感じるのですか?

って問いが本来の問いかけなのかもしれませんね笑。

 

私の最初の強烈な短調の記憶はベートーヴェンの「運命」です。

あの肖像画といい、音楽の先生(小学校?中学校?)の熱弁といい、ハ短調の曲ですが、「怖さ」を感じました。短調にはそれ以後、怖さを感じ、「怖さがぬるくなって、微熱を帯びたもの」=悲しさ、と感じました。「悲しさ」は怖さの一種だったんです。自分には。そして悲しさから悲しさを差し引くと「美しさ」が残ると思います。

「悲しみ」なんて誰も感じたくないんです。音楽の作る悲しみは音楽しか生み出せません。現実の悲しみとは違います。

 

 

最初の問ですが、

いまカレーライスが美味しいって思ったことを、そのまま認め、忘れないうちに書き留める、ということが感じたことの証明になるでしょう。

音楽家にはこれこそが「なんでそう感じるのか」の根拠になります。

「自分がそう感じたから」

です。他者は関係ありません。

矛盾を感じますか?

「根拠」って「根拠だと認められる感情」が伴わないとたとえ真実でも心は受け付けません。むしろ心は壊れてしまいます。人の心は科学的根拠だけで形成されていません。愛する人を失ってもしばらくはその科学的根拠を受け入れられないんです。

でも音楽家はやがてそうして傷ついた感情を熟成させ、音楽として生み出していきます。「真に受け入れられないこと」を認め、「真の悲しみ」感じることを認めることは実はとても複雑で難しい行為だと思います。音楽はそれを代替できますし、それは癒しにもなります。音楽が生み出す「悲しみ」は美しい、と思いませんか。現実の悲しみよりも。では音楽が作り出す悲しみってなんなのでしょう。

これについて音楽家が科学的に研究して勉強して理解していくには人生は短すぎると思います。そこは科学者の皆様に敬意を持って委ね、勉強をさせて頂き、自分は「感じたこと」を根拠に展開していく不定調性論が自分にありますので、それによって現状は感覚が即創作に直結しています。

不定調性論が行き着くのは「矛盾」を認めること、です。ここが相対主義と全く異なる点です。

自分はそれでだいぶすっきりしました。矛盾というのは意識の上で確実に存在するようなのだ(断定できない、というのがポイント=断定したら矛盾は生まれない)、ということを理解できるのは、科学者ではなくクリエイターなのかな?と思うのです。

ちょっと他の記事にもいろいろ書いているのでかいつまんでお読み頂ければ幸いです。

 

==コーヒーブレイク〜M-Bankロビーの話題== 

ほら、怖くない?笑顔で映っているわけにはいかないのかな?笑「運命」って感じのジャケになっちゃうよね。

 

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」&第9番「合唱」他