デイヴ・フォスターはカートの家で「ニルヴァーナ」と書かれたバンドのチラシを見た。「これ誰?」と尋ねると、「俺たちのことだよ」とカートは答えた。「理想に到達したという意味さ」。...Heavier Than Heaven
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彼はニルヴァーナを崇める人々を群がる羊に例える内輪のジョークにちなんで、セカンドアルバムのタイトルを『シープ』とするつもりだった。彼は「誰もが求めるから、僕は興味がない」というスローガンを掲げた偽の広告を作っただけでなく、「Bowling Stoned誌の表紙を2度飾り、Thyme誌とNewsweak誌によって『現在最もオリジナルで影響力のあるバンド』と評される」という、皮肉にも後に事実となる偽のバイオグラフィーを公開した。
ローリングストーン誌記事より。
nevermind=興味を向けるな。
とでも訳しましょう。シャイなカートらしい皮肉、です。
まさか嘘の誇大広告が事実になるとは。
現代であればYoutubeで顔を隠して、名前を出さず、ひっそり音楽投稿をして生きていくこともできたかもしれませんね。。
2曲目 "In Bloom"
パターン1
Bb G |F Ab |
パターン2
Bb Gb |Eb B A |
パターン3
Bb G |~C Eb |
長三和音表記しましたが、パワーコードで弾いたほうが正確です。
地平がグニャグニャと動くような、パニック発作の時に起きる足下の感覚です(ニルヴァーナの音楽の雰囲気に共感するのは、私自身がパニック発作の焦燥感の雰囲気を体験してきて、思い出すと動悸を感じるからも)。
この曲も気持ちもそぞろに、押さえたコードを左右に動かしながら出てくる音が自分にもたらす心象を感じ取りながら、言葉を紡いでいって作った曲
なんて私は感じてしまいます。
ニルヴァーナは『和声の流れの中に退廃感を出すコトができる』ことを再発見して難しい現代音楽ではなく、商業音楽として表現した(成功までしちゃった!-このスタイル、ニルヴァーナだけが作ったわけではないけど/それはビートルズも同じ-)ことが音楽表現方法の発展に寄与した功績といえます。
パターン2の
Bb Gb |Eb B A |のB-A→Bb
は、ぐんにゃりと歪んでけだるそうな心を反映しているようで、秀逸。
これを
Bbm7 GbM7 |Ebm7 BM7 A7(b9) |
とすれば、同曲の進行を少しお洒落にしたR&B系っぽい進行、になります。
全ての和音の流れには「進行感」が生まれます(不定調性論の基本)。
これを感じとれる人は、音楽理論は必要なく、むしろ自分で好きに作らないと納得しません。音楽理論が示す「一般的すぎる進行感」がダサく感じられ、魅力を全く感じないからです。
そうした人が頼る方法論として、私自身もそういうタイプなので「不定調性論」を作りました。これは「独自のやり方で音楽を作る方法を編み出す」ための方法論です。
ニルヴァーナが作った方法論を応用すれば、例えば、
1.半音+全音~
|C△ C#△|D#△ E△ |
2.全音+短三度~
|C△ D△|F△ G△ |
3.短三度+完全四度~
|C△ D#△|A#△ C#△ | etc...
連鎖される和音の連鎖感をあなたが感じるなら、音楽的脈絡を作っていけます。
その有用性はニルヴァーナも証明してくれています。
彼らの音楽が訴えているものを感じ取れた人が世界中にたくさんいたわけです。
作り出せば共感する人も生まれます。
この、和音を変な感じにつなげるだけのサウンドにリフを作るという徹底ぶりがアルバム全体に不思議な統一性をもたらしています。
聞いていると"統一感のある退廃"が瞬間的に美しく感じられたりします。
また、この曲の進行を「クロマチックレイヤー」システムで分析した例を下記ページであげています。
ハンブルグに来て、自分と同じ趣味のポルノ愛好家がいることを発見したカートは、まるで文化人類学者が未開の地で新たな部族を発見したかのように大喜びをした。中でも彼を魅了したのは、彼が「クソまみれの愛」と呼ぶ、いわゆるスカトロジー雑誌だった。「カートは普通じゃないものなら、なんでも大好きだった。心理的に異常なもの、物理的でも社会的でも、とにかく異常なものならよかったんだ」とダニエルソン(Tad のベーシスト)は言う。...Heavier Than Heaven
変なものに対する執着、が感じられますが、音楽も普通ではダメだったのではないか、と匂わせます。自分が知っているようなものではダメ、だと。
カートのコード進行を「発明」と賛美しましたが、単に嫌がらせをしたかっただけ?とか今感じました笑。
肉体的にも精神的にも苦しかったが、カートは自分と同じくキッチュなものにこだわる日本という国を気にいっていた。(中略)
「彼はアニメと『ハローキティ』が大好きでした。」
(92年のツアー、25歳前後)
彼らと少年ナイフとの会談は、日本のおもちゃを囲んで戯れる感じで、カートも穏やかで敬意を持ち、すごくピースフルな雰囲気でした。彼が苦しんで悲鳴を上げているなんてまるで感じられない雰囲気でした(youtubeなどで対談記録が見れるかも。「少年ナイフ ニルヴァーナ」で検索してみて)。
誰かが言ってたのですが、カートは、美しさに敏感すぎて、美しさをいちいち表現することをやめた男、という表現が言い得て妙です。
3曲目"Come as You Are"
パターン1
E |D |
パターン2
Esus4 |G |
三度を意識させないペンタトニックな旋律作りになっています。
パターン2でsus4がでていますが、これはsus4を作っている、というよりも、
E A |G |という感じで分解できます。この記事シリーズの最後に出てくる「弱いパワーコード」です。
三度の響きを意図的に避けてる感じもします。
まるで三度音が退廃さを和らげようとする事実から逃げていくようです。
三度抜きコードは空虚で無表情な五度和音ではなく、コバーンによって、決してマニアックで歪んだ音楽性の持ち主しか理解できない響きではないことをその世界的成功によって証明しました。
ロックがクラシック音楽理論を新たに乗り越えた一つの瞬間とも言えます。
4曲目"Breed"
パターン1
F#7のリフ
パターン2
D A |C B |
これだけです。。
リフものですから、これだけ見ても、この音楽性に「深み」を感じるのは最初は難しいかもしれません。この深みをカートは自分の死で証明してしまった、とでも云えば良いのでしょうか。
通常D→A→Cときたら次はGだろ、と思うじゃありませんか。
このほうがキャッチーだし。
しかしあえてそこは不安定なBにおりる、というのがここまで述べてきた退廃さの表現であり、意識をカンナで削っていくような焦燥感になっていくわけです。
売れたいけど、注目されたくない、というyoutubeのない当時のヒットメーカーには許されない感情の葛藤であり、それを音にできたカードの運命は、運が良かったのか悪かったのか、本当に色々な事を思わせてくれます。
ロックの「何でも良い」は、"本当に自分が感じたままをありのまま出せるか"、という命題であると思います。
だからある程度"社会的に不良なヤツ"でないと、そうしたアウトローなやり方を表出することはできません。怖いからです。葛藤と怖さをちゃんと感じていないとこの二つを両立できません。パンクミュージシャンは「矛盾を表現/両立できる」人たちです。
マサチューセッツの事だった。ジェイソンがショーの後に、女の子を連れて帰るという間違いを犯したのだ。バンド内では、こういう行動は趣味が悪いことだと思われていた。カートもクリスも、貞節とかグルーピーという問題に対しては、驚くほど古風な態度をとっていた。女のためにバンドをやっているミュージシャンは、迎合的だと二人は思っていたのだ。...Heavier Than Heaven
女連れこむなんて普通、と思ってやってみせたら、カートらは引いちゃった、という感じが大学生の年頃の彼ららしい若い信念を感じさせます。
そこはちゃんとするんだ...みたいな。平和的英雄的理想がありながら退廃を目指す「矛盾の両立」がメンバー内で共有できていなかった頃のエピソードですね。
その3に続く