2017-09-06→2019-8-26(更新)
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2曲目 "In Bloom"
パターン1
Bb G |F Ab |
パターン2
Bb Gb |Eb B A |
パターン3
Bb G |~C Eb |
これも長三和音にしても良いですが、三度を抜いてパワーコードで弾いたほうが正確でしょう。
地平がグニャグニャと動くような感じを受けました。
まるでパニック発作の時に起きる足下の感覚です(私パニック持ちでした)。
これも調性的に考える事もできますが、そんな理屈よりも、指が動くままに出てくる心象の変化から音楽を感じたほうが私はnevermindできます。皆さんはいかがでしょうか。
不定調性論は、作曲者、演奏者が感じる「音と音との脈絡」を音楽を行う時の最も重要な動機にします。実例としてのニルヴァーナは有効です。
和声進行が持つ「退廃感」をカートが感じ、メロディを乗せた、のであれば、彼は『和声の流れの中に退廃感を出すコトができる』ことをロック、パンクという音楽理論とあまり接点のない分野において発見して表現した功績が、音楽表現方法の発展に寄与したといえ、さらにそのやり方により商業的成功まで収めた、という実績にも大きな意味があると思います。
パターン2のBb Gb |Eb B A |のB-A→Bbなんて云う流れは、ぐんにゃりと歪んでけだるそうな心の流れを反映しているようで、とても秀逸だと思います。機能和声の理屈で理解しようとしても、しっくりこないでしょう。
これを
Bbm7 GbM7 |Ebm7 BM7 Adim7 |
とすれば、同曲の進行を少しお洒落にした心象表現になるでしょう。これはニルヴァーナのこの曲からインスパイアされた表現だ、といえば、この曲の進行が持つ独特の退廃的心象の豊かさが分かるのではないでしょうか。
これは個人で感じて頂くしかないのですが。
全ての和音の流れには進行感があります。例えば、
1.半音+全音~
|C△ C#△|D#△ E△ |
2.全音+短三度~
|C△ D△|F△ G△ |
3.短三度+完全四度~
|C△ D#△|A#△ C#△ | etc...
連鎖される和音の連鎖感を活用して、音楽的脈絡を作っていくわけです。
音楽理論的な根拠は、機能和声論ではなく、不定調性論的な思考によって根拠づけます。
ここでも短三度の移動が「雰囲気」を出しています(と、私は感じます)。
これはリフに五度をのせただけの音楽と云えるかもしれませんが、この徹底ぶりがアルバム全体に不思議な統一性をもたらしています。退廃がもはや美しいです。
3曲目"Come as You Are"
パターン1
E |D |
パターン2
Esus4 |G |
三度を意識させないペンタトニックな旋律作りになっています。
パターン2でsus4がでていますが、これはsus4を作っている、というよりも、
E A |G |という感じで分解できます。この記事シリーズの最後に出てくる「弱いパワーコード」です。
三度の響きを意図的に避けてる感じもします。
まるで三度音が退廃さを和らげようとする事実から逃げていくようです。
三度抜きコードは空虚で無表情な五度和音ではなく、コバーンによって、決してマニアックで歪んだ音楽性の持ち主しか理解できない響きではないことをその世界的成功によって証明しました。ロックがクラシック音楽理論を新たに乗り越えた一つの瞬間とも言えます。
4曲目"Breed"
パターン1
F#7のリフ
パターン2
D A |C B |
これだけです。。
リフものですから、これだけ見ても、この音楽性に「深み」を感じるのは最初は難しいかもしれません。この深みをカートは自分の死で証明してしまった、とでも云えば良いのでしょうか。
通常D→A→Cときたら次はGだろ、と思うじゃありませんか。このほうがキャッチーだし。
しかしあえてそこは不安定なBにおりる、というのがここまで述べてきた退廃さの表現であり、意識をカンナで削っていくような焦燥感になっていくわけです。
ロックの「何でも良い」というのは、"本当に自分が感じたままをありのまま出せるか"、という命題が背景にあると思います。だから音や響き、言葉や社会に何も感じないのではロックはできないし、それを感じさえすれば旧来の音楽理論は必要ありません。ただしコバーンがその人間性と共に退廃的な音楽性に共感していったということが、ひょっとすると彼の死を早める遠因として潜在的に心に降り積もっていったのではないか、なんて思うと、まさに自己表現は諸刃の剣、ですね。
その3に続く