アーシングの効果を考える
先月から始めたアーシングの効果について随時加筆していきます。
基本的に疑っています。その意味でも意義のある記録を続けたいです。
体が元に戻ろうとしている
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8月後半になり、アーシングの効果をあまり感じないようになりました。でもやってないときとやってるときは雲泥の差がありますから、効果は同じ程度続いているのでしょう。
手の痺れはアーシングしているときは感じません。しなくなると一時間ほどで発生します。
(追記2121、今はアーシングしなくなって1週間ぐらいで痺れが出てきます:概算ですが。)
元気になったので、少し食べ過ぎたのたのか、2キロ体重が増えました。
当然、いくら血液がサラサラになったとはいえ、いきなり2キロ増えたら心臓にも内蔵にも負担でしょう。手荒れや唇の荒れなどが出ました。体からプラシーボ感が抜け、
「お前いくら何でもやり過ぎやで」
と各内臓からのストライキが発生しました笑。
これについては、よくよく考えれば分かる事です。
使っているのはこちらです。
riraku-life(リラクリフェ) 大地と繋がるアーシング健康法用 アーシングマット 50cmx50cm
効果の持続について考えること
まず最初は不安や、疲労、ストレスなどに対して体は全力でそちらとの対抗に生命力の全てを費やしていたのでしょう。
それがアーシングによって、精神的にも、肉体的にも開放されて、それらに向かう抵抗力がいきなり必要なくなったのです。
その力は行き場を失い、「すげー元気」な活力になり、何度も家まで15キロ歩いて帰る、ということが可能になりました。これについては以前も何度もやっているので(ここ2,3年やってなかった)それらによって「元気も消耗できるだろう」と無意識に考えて実行していたので、こういう活力の出所については個人個人で差があるでしょう。
もともと自転車で週末に400kmほど乗っていたので距離感とか運動の強度などは人より強いので他の方の場合はここまで如実に出ないかも知れません。
自転車で東京から山梨の峠(柳沢峠)まで行って戻ってくる、というのを1日かけて行い、翌日早朝三浦半島を一周してから職場に寄って、仕事をしてそのまま35km遠回りして帰るみたいな行動が普通だった、という体力を想像してください。それがストレスや疲労、年齢による不安定によって崩されていったのです。それを救ったのがアーシングでした。
次の段階からの重要性
そうした元気=ストレスに対する体の抵抗が必要なくなれば、当然その力は次の機会まで温存されるでしょう。いくら元気になっても食べれば太ります。ストレスが軽減されたらますます太ります。そのまま維持したら、今度はさすがに負担増になり別の症状になってくるでしょう。
元気になったからと言って鍛錬を怠れば、元に戻る。老いは迫ってくるのだから。
という直感を感じました。
だからここからが常日頃の管理になってくると思います。
音楽制作の仕事は精神的修養に似ていて、自分に甘えると作品は本当に怠惰なものになります。本人はそれに気が付かなくても作品は外に向かってその怠惰を容赦なくアピールします。ちゃんと仕事がしたければ、自らをコントロールしなければなりません。
元気になったら研ぎ澄ますことをしなくちゃ。そんな風に自分に言い聞かせる9.1です。
まずは2キロ落として、通常の小負担体重に戻すところから、アーシング第二章に入ってみたいと思います。