音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

「期待の科学」3~軽いうつ状態にある人のほうが、正確に未来を予測する

2017-08-09→2019-8-3(更新)

前回

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いつも人生に不安を感じていたら子孫は残せない

ゆえに、人間は楽観主義にならざるを得ないように進化したのだ、と書かれています。

 

 確かに、死ぬことが分かっていてそれがいつも不安で頭から離れなければ、子孫を残そうとか思いませんものね。楽観主義は本能を活性化させるための手段であるからコーチングなどで活用されるのでしょう。

でも楽観したら人生が変わる、という事はありません。だから行動して、辛酸を味わっても、あきらめずどんな現実を突きつけられても突き進めるくらい好きなことを探せ、と言うわけです。

「期待」の科学 悪い予感はなぜ当たるのか 

 

「人間にとって、総じて未来は過去より明るいということだ」

と思いたい生命体なんですね。生き抜くためにも。

でもポジティブでも事故や病気、トラブルは必ず起きます。平等に起きます。

同書によれば、軽いうつ状態にある人のほうが、正確に未来を予測する意見を出している、ということです。ポジティブな人は自分は病気などならないと思っているから、その確率を進めば進むほど減らしていけるのでしょうが、その一瞬を切り取ったら病気の起こる確率は未来をフラットに予測できるうつ状態の人の方が的確だ、というわけです。

面白いですね。

大切なのは、正確な予想ができても、それはポジティブで変えられる可能性が上がる、という事です。

 

脳の働きは、未来の幸福を考えた時、活発になるそうです。そういう性質であることは散々述べてきました。

感情と縁が深いのは偏桃体と吻側前帯状皮質(rACC)という領域だそうです。

 

人生の過程で何をやっても最後は死んでしまう

この事実をどの程度受け入れられるでしょうか。

脳はそういうことのリアリティを本能的に避けようとします。

そしてこれを本当に理解したら、なにもやる気が無くなります。

やっぱり目的を達成し、一瞬でも幸福を味わい、それを連続させ、何も後悔がなく死を迎えたい、と思っているはずです。

そのために脳が事実を騙す必要があるわけです。また脳の欲求に従うことが生命体として図太く生きるための工夫なのでしょう。

真実を受け入れられる人はなかなか少なく、自分の判断で、ほとんど好き嫌いで決めているわけです。そしてそれを補う科学的根拠を探します。そうするとそれっぽい科学的根拠しか見えなくなります。不定調性論が活用するのもこの部分です。少なくとも音楽活動はストレスなく楽しくなります。しかしただ中身も理解せず好き嫌い、で文字通り短絡的に評価して批判しているだけではダメだと思います。自分の奥底にある感性を普段から呼び覚まし、それが生き生きとしているからこそ初めて「好き」に導かれ、「嫌い」をそっと避けていく、そういう行動ができるのではないでしょうか。「好き」の正体などわかりませんし、まずそれで身の回りを固めていかないと本当に自分がやりたいことってわからないような気がします。

だから「俺の方が正しい、こいつはおかしい」というだけ時間の無駄、というわけです。 

人生でやりたいことを見つけ、それを職業にしたり、食い扶持にして生きることが一番自分に対して正直になれるし、その精神的な安定が他人への配慮にもなります。

 

でも彗星が急に落ちてきたら終わり。何か良いことをやったからご褒美がもらえて生き残れる、ということは保証されません。

いろいろ考えさせられます。でもそんなこと考えても無意味だから、脳は世界を騙して、子孫を残せよ!と呼びかけ続けるのでしょう笑。

他人ではなく、自分の脳に振り回されているのではないか??

 

お金がたまっても幸福ではない、というのはお金がない人が信じたいやっかみであって、または稼がせず会社員で奴隷のように働かせるための理由に使われるだけであって、そんなことよりも、自分はやりたいことをやっているか、ということを問い続けて自分の人生を自分の意志で貫く方が無条件な幸福を得るわけです。

 

ホテルの備品が勝手に持ち帰られて困る場合

「当ホテルでは他のホテルで起きるような、備品の紛失はほとんどありません」

と書くのが良いのだという。

人は他の人の評価を気にして生きるので、この方が効果的なのだといいます。

 

でも逆に「じゃあ、一枚ぐらいいいか」って言って盗む人もいるでしょうね。人は多様ですから。ひょっとすると「じゃあ2枚ぐらい無くなってもいいだろう」とか笑。

でも人の本能を突いたうまい言い回しだと思います。

 

なぜスマートフォンを買うのか

2009年のハーバード・ビジネススクールの教授の論文に関連して、同問題(同書には「スマートフォン」とは書かれていない)を、

「自分の選択が他人に知られ、評価されると知っているときには高価で多機能な電子機器を買う人が多い」

ということなのだそうです。使いづらい機能も、ほとんど使わない機能も多く、画面の割れのリスクが高いのになぜ買ってしまうか、の答えですね。サポートが充実した頑丈で燃費の良い国産車ではなく、真逆の某ヨーロッパのスポーツカーを買ってしまうような行動ですね。

言われてみれば納得です。

だから宣伝も必要。良いものが必ずしも売れるのではなく、消費行動をしっかり促進して初めて経済的な結果も出る、というわけです。

 

追加の研究結果で、15機能がついている機器と30機能がついている機器でどちらを選んだ人を他人がどう評価するか、という結果で、多機能なほうを選んだほうが、

・テクノロジーに明るい人

・新しいものに積極的に取り組む人

というイメージを持つのだそうです笑。

ゆえに新しいものを手に入れる人は、総じて何かが優れた人、のように見えるのですね。これもトリックだとは思います。

 

おばあちゃんの知恵が廃れるわけです。

 

この問題の本質は「地球上での科学的性質や法則は何一つ変わっていない」ということです。だから新しいものが良い、わけではない、のです。

人が知る「法則」は新しくなっていますが宇宙がそれによって何か新しくなるわけではありません。「科学的根拠」は宇宙の真実ではない、というわけです。

怖いですね。権威による洗脳。だから自分でたくさん学ばないと社会的な意見を言うことができない、という考え方は好きです(それも最後は短絡的な好き嫌いで選ばれるのですが笑)。

 

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