2017-07-21→2019-7-29(更新)
ネガティブハーモニーの考え方は、「本人が予想もしない音を作り出す」という音楽手法です。これは「偶然性の音楽」にも結び付きます。また変換した後の音楽を予測するように訓練することも可能ですが、それらはAIによっていくつもの変換を短時間に行うことで自分の求める変換を見つけやすくする、ということを考える方が現代的であると考えます。
写像音楽という発想
音楽のある旋律音j,l,nを
j→k
l→m
n→o
というような対応関係に固定して曲全体に利用するという発想です。
Dm7 G7 CM7
において
G7とDb7は同一のトライトーンを持つから、
Dm7 Db7 CM7
もまた成り立つ、という発想に似ています。
これは
G7=Gミクソリディアン
g-a-b-c-d-e-f
に対して
Db7=d♭-f-a♭-b
の間をGミクソリディアンの構成音で埋めて、Cメジャーキーを保たせようとすると、
一つの例としては、Db7=d♭-d-e-f-g-a♭-b=ほぼD♭コンビネーション オブ ディミニッシュ的な音階が写像される、という事になります。
IIb7はIIbリディアンb7スケールが用いられるのですが、どちらでも構わないと思います(そのコード上で、キーセンターを何処まで保ちたいかによる)。
リディアンb7を用いると、
Gミクソリディアンの小節に対してD♭リディアンm7(別名;リディアンドミナントスケール)が対応されるとするわけです。
d♭-e♭-f-g-a♭-b♭-c♭
そしてこのリディアンm7の各音はG7における、オルタードテンションに満ちており、
G7でのオルタードテンションの使用可能な根拠がここに現れてきます。
つまり、
Dm7 G7(b9,#11,b13) CM7
というような進行は、G7の上で、D♭リディアンm7スケールを用いている、という発想でもあるわけです。写像先をまぜこぜして使っているわけです。
しかしこのオルタード的コードの響きは慣れないと、これを想定して弾くことはできませんから、セオリーとして認知し、指に覚えさせ、意識に根拠づけないと用いることができません。多少アウト感が強くなっても「これは理論的に代理できるから」という説明が自分の中でなされることで意味を感じ、やがて音楽を感じるようになります。それがアウトモーダルに対しての意識学習だと思います。
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中心軸システムでもおなじです。
Dm7 G7 CM7
において、中心軸システムを拡大解釈すれば、
Dm7 G7 Bb7 CM7
などと進むことができますが、これも「中心軸システムで許されている。理論上進むことが許されている、ジャイアントステップス的な響きでもある」として、本人の頭の中に描ける範囲を超えた音でも、セオリーで決められている、という免罪符によって使えてしまうわけです。
ここでの問題は、本当にあなたがその音楽に対してその音を必要と思っているか、その理論的根拠は本当に納得のいくものか??という点です。
これは権威からの洗脳という側面もあります。
ネガティブハーモニーも「本人の意思を超えて、セオリーによって自動的に用いる」という方法の1つです。自分の想像を越えて良い音がでる、みたいなことって優れたエフェクターやシンセのアルペジエーターがやたらカッコ良かったときみたいな意識の状態に似ています。
写像に慣れてくれば、アイオニアン的フレーズを脳内でフリジアンに変換できる人が現れてくるかもしれません。
私はその前にAIがより複雑な写像形式を編み出し、さらに、人知を超えた写像まで行って、人間は数式をプログラムするだけで、コンピューターが一つの楽曲から、無限の美的グラデーションを持つ曲をいくつも作ってしまう方が早いと考えています。
純度100%の写像はAIに任せる
例えば、あなたが完璧に美しいと心から感じる(異性のまたは同性の)顔立ちを思い浮かべてください。
「統計上美しい顔」ではなく、あなたが情動的に心から好意を向けられる顔立ちの事です。一人一人好みが違うでしょう。100点満点が一人一人違うんです。
ネガティブハーモニーが完全であったと仮定した時、変換後にどうしても「この音だけこっちにしたい」と思っても、それを変えれば、ネガティブハーモニーの絶対性は崩れます。「劣化する」といえます。
しかし本当にそうでしょうか。あなたの今の自分の意思が入り込むこと、あなたの好みが入り込むことは「劣化」でしょうか。もし劣化するなら、あなた自身の追求やプロモーションが足らないからでしょう。
自分が良しとするものを用いず自分の音楽が出来るのか
一般教育はあなたが社会の役に立つためにあなたを均整化し、常識とされる一般教養を最前列に置くように下されたものです。しかしそれは決してあなたが好きなことをやってはいけない、という意味ではありません。
ネガティブハーモニーの方法論はアイオニアンーフリジアン写像です。
もし面白いと感じなければ、次に行けばよいと思います。
最終的には、写真や映像、現象や感情を「音楽に写像できるか」という問題にたどりつきます。おんなじですよね。
また音楽は感情を自分の感覚で空気の振動現象に写像する、という表現芸術です。
芸術全般が情動の写像とも言えます。それが上手くいかないから毎日悩む笑。
ネガティブハーモニーはその点、写像先が決まっているんです。つまり
「嬉しい」と思ったら、この音とこの音で表現すれば嬉しさが表現できるよ?
と言っているのと同じです(ニュアンスちょっと違うけど)。
ネガティブハーモニーを完璧に身につけたとしましょう。
そうやって日々作品を作っていくと、いずれ「自己の意思」に出遭います。理論が導き出す音と自己との違和感にも出会うでしょう。その時あなたがどう立ち向かうか。
音楽表現はその自己との向き合い方で方法論が決まると思います。
不定調性論は、「あとは自分次第」となった時にどうすればいいか、その時自分の独自性でどう立ち向かっていけばいいか、を常に想定しているように感じます。
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アートで食えないのは、食おうとしないから。