2017-07-15→2019-7-28(更新)
参考
宇宙の誕生の音から商業音楽、DNAの音楽まで専門知識がなくても十分に読み物として面白い内容で展開していきます。
はじめに音があった
ビッグバン直後の宇宙は、「原子大気」のようなものに満ちていて振動を伝えることができた、と書かれています。つまり音が存在した、そうです。
また「神の素粒子」といわれるヒッグス粒子の音楽が公開されています。
これトロピカルですが、この音に置き換える解釈は不定調性論でも述べている通り「個人の一時的解釈が入り込む」ので、機能和声的にしようと思えばそうなるし、そうしないようにすればそれを避けることができます。逆を述べれば、まだまだ音楽への理解というのはこの程度なのだ、なんて思ってしまったりもします。12音に置き換えて普通になるのは当たり前です。
ピュタゴラスという"人"
存在していたのかさえ怪しいピタゴラスの歴史的証拠のみを徹底的に吟味して解説を付けると、大枠の生涯の流れと、彼が竪琴を奏し弦の長さの組み合わせで美しい音がなぜ出るかを考え、その調和の根底にはパターンがあり、これが自然の裏に潜む秩序であり、それを数を通して理解しうることをした人物、という記録があるのみだそうです。
鍛冶屋の前を通って、そのハンマーの音から世界の調和について気が付いた、というエピソードが有名ですが事実かどうかわからないそう。
アリストテレスは、音楽は魂の動きや状態(やさしさ、怒り、勇気など)を模倣したものだから、聴き手に同じような感情を呼び起こす、と言ったそうです。
これはいわゆる音楽的クオリアについての記述ですよね。
彼は「間違った音楽は間違った人間を造り、正しい音楽は正しい人間を造る」としました。音楽が引き起こす感情や印象についてはこんなに古くからこれほど深く理解されていたんですね。
またデカルトも処女論文は「音楽提要」という音楽論から人の感情と音楽についての書かれているそうです。「音楽の目的は、心地よくすること、様々な感情を我々のうちに引き起こすこと」とあるそうです。
これはまさに不定調性論で、ポピュラーミュージックを理解するときに使う言葉です。
プロテスタントによって作られた機能和声
機能和声法といえば現代の商業音楽の全てに影響を与えている基本的な音楽の言語です。これがマルティン・ルターの活動と思惑によって教会に持ち込まれ、影響を与えそこで出来上がった方法論が現代にまで引き継がれた、と同書から解釈できます。
当時の人たちの精神の存続性を根源的な力として動いていったのでしょうが、その激流に呑まれながらあっさりとその方法論の元が生まれ、それがまさか現代のポップミュージックまでを形作るものになろうとは、ルターもびっくりでしょう。
死への音楽~アウシュビッツのオーケストラ
こういった記事もあります。
アウシュヴィッツの女性のオーケストラ - Wikipedia
美談も含まれますが、大量殺戮の前に聴かされたのはことさら明るい音楽やジャズだった、というのはやはりいたたまれない気持ちになります。
陽気な音楽を奏でることで殺戮を繰り返していたのは、残虐というよりも、処刑する側の狂気を押さえるため、緩和するため、殺す側のストレスを抑えるために用いていたいとしか考えられません。やりたくないことをさせられ、その弱い自分を守るために音楽を用いるなどもってのほかだし、そうやって音楽が大量殺戮の道具に用いられてしまったという事はやはりは恥ずべき歴史でしょう。
それでもそんな凶器の地獄のような状況でも、ナチス側の人間はそれによってストレスを緩和されたのだとしたら、音楽の持つ力、それによって心が動かされる力、というのは、先のアリストテレスの言葉からもある大いなる影響を人に与える、という事を歴史が証明していることになります。
もしそれが役に立たないと思ったらナチスも使わなかったでしょう。
『音楽』という言葉の誕生
日本では鎌倉時代に書かれた「平家物語」にはじめて「音楽」という言葉が使われたそうです(これ正しいかな??)。それから明治時代の文部省令で「音楽」と呼称されるまでは日本に「音楽」という総称は存在しなかったのだとか。
「音楽」の歴史の浅!!
ゆえに「音楽と脳」の関係とか、音楽と病気の関係、音楽と宇宙の関係などもあまり議論されておらず、音楽はあくまで「あそび」という範疇をいかに究めるかといった範囲でしかとらえられていないように感じます。
近代楽譜の基礎を作った人
あるベネディクト会修道士が作った近代五線譜の基礎。
まあこの辺は比較的有名なエピソードでしょうか。
これがなかった時代は、あいまいな口承で無数の典礼聖歌が受け継がれていた、という事です。ネウマ譜などもありましたが、正しい音がどこか分からず、たいそうあいまいだったそうです。
一日の多くの時間が歌うことに費やされ、神への務めを果たす時間がない、と嘆くように作られたこれらの記譜法についての彼の論文は画期的だったことでしょう。
最初は一本の線を引き、それが何の音か把握できるようにした・・・
それすらなかったのですから、当時の環境が想像できます。適当だったのかな笑。
またドレミファソラシドの起源ともなる階名唱法の発明のための言葉との連携も見事です。先のWikiにも載っていますね。
DNAの音楽
オオサンショウウオの遺伝子メロディーを奏でる : 科学とロマン、そして生命の未知なる領域 - 広島大学 学術情報リポジトリ
いろいろな音楽化が進んでいますが、恐らく方向性が機能和声の中での理解、というところで終わっていると思います。
つまり人が理解できる音楽理解はもっと複雑で、言語ではない感覚で理解できる存在である、というところから理解を深めないと意識と音楽と脳は直感的に理解できないのではないでしょうか。
最後に一つ。
熱帯雨林の環境音は、100-130KHzあたりにまでその上限は含んでいるそうです。
それに対して都会の音は5-15KHz。
人間は高周波を浴びることで、免疫物質が高まり、ストレスが軽減され、リラックスの効果がある、という事です。
これって本当でしょうか。振動が細胞に影響を与える、としか考えられません。本当に物質の究極の単位は振動するひも、なのでしょうか。
このあたりはもっと詳しい論文を読まなければならないですが、現代人が森林浴でリラックスできる、というのは高周波のせいかもしれませんね。