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音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「音楽を学ぶ」から「音楽で学ぶ」~ハーバード大学は「音楽」で人を育てる

2017-07-10→2019-7-27(更新)

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ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育

 

「音楽を学ぶ」から「音楽で学ぶ」

グレゴリオ聖歌が単旋律である目的は「聖書の言葉がはっきり聞き取れるように」として、四度、五度までの対旋律が許容され、後に三度、六度が登場し、増四度は「悪魔の音程」として"悪しき音は精神を堕落させる"とされて忌避されました。

   

音楽は別にこれ以上になる必要はなかったんです。あとは「伝統」と言っていますが、絶対的にこうしなければ美しくない、とか、たとえば天皇陛下が定めた、とか。神が下りてきて石板に書いた、とかそういうものではなく、言葉は悪いですが、頭がイッちゃってる超天才たちの慣習をごった煮でまとめたものが「伝統」ですので、誰も責任をとってくれる人はいないんです。だからしっかり伝統技能を学習した人こそ、己の道を見つけていただきたいものです。

そんなルール、誰が決めたの??

自分を殺してまで大切にするほど大事??

あなたがこの世界でやりたかったことは?

というメッセージを、勉強をしっかりやっている人に程、伝えたいですね。

ビートルズはジョンとポールが何としても売れたい、と魂に誓ったからこそ売れたのであって、だからと言ってその方法論が「正しい」とは誰も決めていません。

もしあなたが同じように「売れたい!」と思うなら、音楽より先にマーケティングを勉強すべきです。ただそのとき、ただのマーケティング学を学ぶのではなく、「音楽でマーケティングを学ぶ」でなければなりません。ビートルズが「"ビートルズ"で売れる音楽を究める」を実践していたように。

 

私は音楽で売れたいとは思っていませんでした。ただ毎日音楽をやれたらいいな、という想いだけで生きていたら、実際そうなりました。もうちょっとお金持ちを目指せばよかったな。。とか思いますが、あんまりそういうのもむずがゆく、人って自分のイメージに収まるようになってるんだな、と感じます。

 

   

不定調性論的なMITの音楽へのアプローチ

マサチューセッツ工科大学(MIT)では、

「音楽がいかに思考や感情を伝えるものか」

「音楽からどのようなストーリーを見いだせるか」

を学び、それをストーリーテリングの技法として応用することで、プレゼンテーションの能力、効果的に相手に情報を伝える能力に活用させる、としています。

音楽の最も特殊な感覚は「人それぞれの解釈が可能なストーリー」であり、どんなに理論だてて話しても、相手は異なる解釈をしてしまう、ことです。

つまり「相手がどんなふうに解釈してもいいような、抽象的でかつ共有できる雰囲気を持つ情報を伝えながら、多数の人に真意を伝えらえる」というスキルを学ぶことが音楽学習の最も社会で役に立つ学びへの応用だと思います。

これはもう楽器演奏が一番です。言葉でないもので人を納得させることができれば、それは言葉を得た時、素晴らしい説得力と意味の空間を作り出せる、という発想でしょう。

 

だからその音楽が自分に対して何を訴えていて、自分がそれを返すとしたらどんな表現をする、というようなことが瞬時にできるためには感性の習熟(コミュニケーションスキル)が欠かせません。そのためにはいっぱい音楽を聴いていっぱい勉強して最終的に誰でもわかる言葉で伝えなくてはいけないのでしょう。

 

「時間がなによりも貴重だと理解している新入生は、より多幸感をもって有意義に日々を過ごすことができている」という統計があるそうです(上記図書より)。

 

「優秀だ」と思われたいがために楽器をやるのは本末転倒です。

しかし楽器を始めて本気に取り組んで上手くなってしまった場合には、その人自身の心が大きく変わり、立派な志が持ててしまう、という点も音楽の魅力なのかもしれません。

 

またプラトン「国家論」では、

悲しみを表現するハーモニーは混合リディア調か高音リディア調、イオニア調も柔和で弛緩なので酒宴用の旋法、勇敢さや節度はドリア調とフリギア調、

という表記があるそうです(同参考図書)。

これも言ってみれば、当時の「音楽的印象」であり、クオリアであり、それを感じた自分たちの感性を構築し、国民に訴えかけていた、と言えます。

それを感じられないような人間は、大切な場で人を率いていくことはできない、という発想につながります。

調和=ハルモニア、の力が国家や民族を平和に導いていく、というソクラテスの言葉にも通じますね。

 

穿った見方をすれば、音楽がもたらす抽象的なイメージを操作できれば、人を自在に動かすことができる、先んじることができる、ということが言えます。ある意味でビートルズがやったのはこうした音楽的知覚の革命であったと思います。

   

音楽療法

これも私は専門でないので語れないのですが、同参考文献によれば、アリストテレスの弟子テオフラトスはフリギア調の笛の音が腰痛を和らげる、と言ったそうです。

こうした伝説から、音楽療法の伝説が生まれ、体を動かしたりすることが人に良い、というやり方が確立されているのだとわかります。

でもあなたにはあなたの本当に自分が好きな曲、本当に楽しい思い出を封じ込めた曲、というのがあると思います。だから若い時に楽しいと感じた音楽をいつも生活のどこかに置いておくこと、で日々の励みになり、年老いた時もその音楽を聴くことで細胞が喜ぶ、という自分なりの音楽療法が確立できると思います。

 

 

ワシントンDCの音楽総合施設

ワシントンDCの音楽総合施設「ケネディセンター」が発信している音楽ツールキットの中の言葉に全て含まれています。一部抜粋します。

・(前略)アートと世界の文化を同時に学ぶことで、われわれが住む世界の多様さを理解することができる。

・芸術は生きるために必要な力、例えば批評力、創造的思考力、問題解決能力、共同作業する力、持続力を養うことができる。

・芸術の体験を通じて、認知、感情、精神運動を司る神経回路を築くことができる。

・芸術は学校の学校環境を協働と発見の場に変えることができる。

 

チェリストのヨーヨー・マは「音楽を学ぶ」は音楽そのものをいかに学ぶかであり、「音楽で学ぶ」とは音楽を通して人間、世界を理解する、という視点があることを述べています。

音楽が与えてくれる情報は、音楽だけでなく、様々なものが含まれていて、それを受け取れる感受性の豊かな人は、音楽を聴くだけで様々な多様性を自動的に学ぶことができる、と言い換えることができます。

 

つまり、音楽に興味のある人は、音楽を通してあらゆることが学べる感性を育てたほうが、「あなたに合った学び方を構築できる」というわけです。30人のクラスで皆が先生の方を向いて座って学ぶ事だけが勉強ではない、と改めて気が付きますね。