キッズ教育について、M-Bankでもいろいろな勉強をしております。
(参考;『子供に受けさせたい世界の幼児教育ーのびのび子育て』)
『のびのび子育て』 月刊クーヨン2008年 09月号増刊 [雑誌]
脳をどう育てるか
◆子供の意見を聞いてみる=言葉、経験、知識を持たない人格が何を考え何を思うかを聞き取る。→子供の人格を尊重する。独立した人格と考える。
◆4-5才は「人間らしい脳の使い方を覚える時期」
→習い事や知識より「心が充実する事」が大切。人の立場、人の気持ちが感じられるか。を教わる時期。
→この時期、他の子供よりも覚えが悪いように感じられても焦らない。最近の研究では、幼児期に平均以下のIQを示した子が中高生でぐんと伸びるデータがとられている。
親が焦って叱ったりすることなく、その可能性をよく見てあげる。
<その他参考図書>
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
簡単な決まり事を作る
◆しつけ、教育、という概念は子供にはないので、分かりやすい、ゲーム性のあるルールを作り、それを共有します。たとえば
「家族のことをバカにしない」
「家で友達の悪口を言わない」
とか社会的にその後も役立つ性格的習慣を真っ先にゲーム的感覚で覚えていくことで、やがて習慣になり、家族の豊かさにもつながる。
逆にその他のわがままやイレギュラーな物事は一緒に考えていく。
完全にできるようになったら、新たなルールに作り、一つは取り除く。
一つできると、脳はドーパミンを出し、感情の快楽を生み出し、3-6歳の子どもであれば飽きるまで何度もやってみる。この経験の繰り返しが集中力を生み出し「スイッチが入る」といった状況を作ったり、「リラックスできる」状態を作ったりしていきます。
満点をとったらその先学習しない
◆それゆえにフィンランドでは、テストをすると成績が落ちる、という発想がある。テストはせず、授業のスピードも日本の1/3。
◆身近なものから学ぶ。自分の生活の傍にあるもの、交通標識、ゲーム、おもちゃ、絵や漫画、そうしたことから学習するテーマを見つけ先生がカリキュラムへと広げる仕組み。
モンテッソーリ教育
子どもがなぜ遊ぶのか、を考えよう。
◆もともとは知的障がい児の治療教育に携わった医師でもあるマリア・モンテッソーリが発見した、子どもが集中する力についての知育がベース。
◆「教具」により「自分一人でできる事」があるという事を教え、「自信」をつけてもらう。
◆数限りない「教具」の中から好きなものを好きなだけ遊ぶことで、興味を持つこと、興味を持ったことに対してアプローチすること、心が動くこと、嬉しくなること、成功体験、繰り返し行いたくなる経験を持つことで「自分は何が好きなのか」が把握できるようになる。
<その他参考図書>
◆子供の仕事は「遊ぶこと」。子供がやりたがることは、その子に不可欠なこと。
「好き」を見つける時期。「楽しい」を知る時期。親はそれをじっと我慢して見守る時期。結果的に集中力が生まれるだけで、決して集中力を伸ばす教育ではない。
◆幼児期は「できるようになりたい」と自然と思える時期。「できるようになるために頑張りたい」と努力を努力と思わずできる時期。自分自身の行動の主人公でいたいと思える時期。訂正せずやってみせ、考えさせ、自分で出来るようになるように教える。
<その他参考図書>
お母さんの「発見」 モンテッソーリ教育で学ぶ子どもの見方・たすけ方 (文春文庫)
◆「秩序の敏感期」
敏感期=非常に一つの事に執着する、反応する時期=秩序と心と生命力の形成
0才~6か月 手を使う・意識の目覚め・動きの獲得
1才 見る・聞く・触る・嗅ぐ行動の目覚め
1才半「イヤ!」を連発・干渉されたくない時期
→自分の秩序にしたがうことで、型を覚える時期。ウグイスが将来美しく鳴けるように心と体の秩序を創るような時期、この時期を抑え込まれてしまうと、上手く鳴けないウグイスになってしまう(たとえ話)
2才 自分の力を最大限出し切りたい・なんでもマネする・おしゃべりの時期
2才半 自分にできないところを頼る時期
3才 一人でするのを手伝ってほしいという欲求・思考に論理性が出る(礼儀・挨拶への理解)
→ひもを引っ張る・クリップではさむ・ひもをむすぶ・キャップをまわす・糸を通す、といった今後の生活でも欠かせない行動を遊びに取り入れると良い。
→理解はできないが選択はできる。どうしても靴を履かない→駄々をこねる前に二つの靴を用意して自分で選ばせる。選択肢は最もシンプルな自由意思を拡張する。
→(1-2才半)「同じ」事にこだわる。常に同じ場所、同じやり方を繰り返し行うことで生きるための指針を身につけられる。これが壊れると理解が出来ず泣き叫ぶしかない。
ここまでが「秩序に対する敏感期」
周囲の役割=子供に選ばせる・邪魔をしない・毎日の日課・できる事は自分で・こだわりに付き合う
◆「感覚・運動の敏感期」
3歳から物事を分類区別し始める。
・視覚(色・形)、聴覚(音の違い)、味覚(味の違い)、嗅覚(匂いの違い)、触覚(感触や抵抗の違い)これらの質の良い体験をさせる。
・体を動かして臨場感を学ぶ。とことん突き詰めてとことん集中する。いつでも使いたいものがそこにあれば、とことん遊び倒す。やり方をゆっくり見せて教えてくれれば自分でやるようになる。
→「いつまであそんでるの!」「何回言ったら覚えるの!」というような事とはまるで逆のことを子供はします。大人の社会生活を乱す元なのですが、もし一度注意したら、どこかでとことんやっていい時間をつくってあげる。「やりたいことをいつまでもやれる」事を覚えることは人間にとっての最初の喜びであり、人としての満足感を覚えることになる。
・失敗はつきもの=再度手順を教えてあげる
・自分の役割をこなせる=手伝う勇気、共存する責任感を覚える。
自分で出来るように手伝ってください。
監視ではなく、観察なんですね。「ダメ!」っていうんじゃなくて、見てこちらも発見するという気持ちになる、という事なのでしょう。
この時期は大人のほうが子供の秩序作り、心の形成に一歩譲って、大人側のいつもの習慣を変える必要もある、と言えます。
子どもを観察していると、何をしようとしているのかわかります。
全てをやってあげるのではなく、上手く動かせないものをちょっとだけサポートしてあげる、といったことでどうやれば自分で出来るようになるか見て覚えます。
■一気に教えるのではなく一つだけ教える。繰り返し繰り返し見せます。
■子どもは観察してそれをマネします。
■その習得度に合わせて一連の動きを一つ一つ見せます。
■覚えたことを何日でもやり続けます。その行為が熟成すると、晴れやかな感情を覚え、そうした表情になり、次のステップに自分で進みます。自分で決めることができるのです。
■どこまでやったら終わるのか、終わすのか。ルールそのものを子供に作ってもらいます。またそれをどう守るかを見守ります。3歳以降には幼児期の思春期が訪れ様々に悩むが、すべて自然な方向に導かれていくので焦らずじっくり観察します。
■人格が未形成の状態の行為を否定しても理解ができず、意味不明な不安とストレスからムチャな行動に出てしまう。
■察しない。言葉にして意見を言うように仕向けていく。
→「お水」と言っただけでお水をあげてしまうと、自分で考える能力、意見を言う能力、コミニュケーション能力などが育たない。
→悪いことをやった時、子どもを否定するのではなく、行為を否定する。「あなたはそういうことはしないで。」「おもちゃを片づけなさい→このおもちゃは箱に入りたがっています」
<ミラーニューロンの話>
1990年代にイタリアの神経生理学者によって発見された、脳の神経細胞です。
相手が行う行動(特に手、口など体の一部が関わる行動)に対して活性化して相手の行動を映す「鏡」の神経細胞。
これによって子供が動く真似をしたりすることはもちろん、片付けや掃除、遊び方などゆっくりこちらから手本を見せれば、覚えて真似していく、という考えたです。
私は特にそういう記憶があまりなく、何でも自分なりのやり方でやっていったようにも思え、オリジナリティを育てるのにどこまでこの行為が有益か、邪魔なのか、専門家に聞いてみたいところです。
(参考文献)
増補新版 モンテッソーリ教育を受けた子どもたち: 幼児の経験と脳
こちらも分かりやすくて気づきの多い書籍でした。
お母さんの「イライラ」をお母さんの考え方が変わることで軽減することができます。
大人と子供は全く違う
~人間が最初に経験する戦争は、大人と子供の戦争である~
マリア・モンテッソーリ
子どもの仕事は遊ぶこと、自分を形成すること、世界と対峙すること。
そこから将来の生きていくための仕事を見つけます。
<参考>
つづく。。