音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

型がある、ということ

人に血液型がある理由は、万一疫病で多数の人が亡くなっても型が違うタイプの人間がいれば生存できる可能性が高いから、と記事で読んだことがあります。

yumenavi.info

gigazine.net

 

そうなると、人にはある程度の型が存在することになります。

当然音楽の好みも左右されるでしょう。

好きな音楽のタイプが似ている人がいれば、相反する人がいます。

戦争もそうしたリーダーの型の違いによって起きているのかもしれません。

 

だから最初異質な人が出てくると、理解されるまでに時間が必要です。同じ型の人が集まってくるまでそれは果たしていいものなのかどうなのか、が判断できないからです。

 

この「認知されない」期間がとても大変です。よく相談を受ける機関です。

もっとシンプルに言えば、女性が「私は結婚できないかもしれない」と仰る時期です。

"大丈夫、みんな上手く相手を見つけてるから"

最初から結婚の意思のない人は別ですが、たいてい意思がある人は必ず成し遂げています。したいのにできていない、という場合、たいていしたくないんです笑。

 

これが音楽になるとさらに悲劇です。

だって認められないし、バカにされるし、非難されるし、いいことありません。

この期間でも続けられるものがあるとしたら、「本当に好きなこと」だけだと思います。

生きていくだけなら自由ですが、意味を持って生きるのは大変です。いつもやりたい事とやらなければならない事のはざまで生きています。

 

だからできれば、本当にやりたいことを社会の構造と規律の隙間を利用して上手に少しでも長く(かつ必死に!!)楽しんでください。自分の人生の居場所をちゃんと(仕事より懸命に!)確保してください。一日に10秒間だけでも。。

そこで続けるやりたかったことは、非難されてもずっと続けられます。

それを素直に認めて体感できるようになると生きる意味みたいなものもそこに生まれてきます。その充実感が、人を社会的にしてくれます(非合法な趣味を楽しみとする人、だけが厄介なんですよね・・・)。できればそれが正当な副業になる可能性を含んだ趣味が良いですよね。

 

しばらくすると、同じ型の人が集まってきます。

集まってくるんです。うわさを聞きつけて。すこーーーーしずつ。本当に気がつかないくらい少しずつ。爆発的なSNS集客はある意味事故ですからその時こそ冷静に。

そうして広がります。

 

自分と同じ感覚の持ち主なんてこの世にいないんじゃないか、なんて思う必要はないのではないか、思います。究極的には自分は一人だけですが、人の体の構造に型がある以上、ある程度の理解をしてくれる人=同じ型の人と言っても良いのではないかと思います。あとは思考のバランスを保つために選択肢を持つ、ということでしょうか。

それは相反する思考の可能性を認める、ということです。拙論ではCM7=C△を認めていません。響きが違うから違う和音だと考えるわけです。でもこれができる理由は機能和声がこの等式を認めているからです。このバランスが大事で、全員が全員この等式を認められるはずはない、と考えるゆえに対極にあるべき思想もまた同様に体系化されるべきだったのです。これはすべての事に言えるのではないか、と。

 

だからこのように考えない考え方もあるよ、と初期学習時に教えることで、その人は選択しなければならなくなります。そしてその選択は自由意思によって行われるべきです。

 

講師は、正当な方法を教えるだけではなく、できる限りその人に適切な他の選択肢を提示し、そこから受講生が自分の意志でじっくり選んでいただく状況をしっかり作り、自分の人生を少しでも充実させるように提案するべきであると考えます。

講師と受講生が同じ型である、というのは稀です。それこそ運命の出会い。だからこそ互いの違いを早期に認知し、講師を崇拝させるのではなく、一番自分との違いや距離感を理解しあえる安心できる関係を早期に築ければ、それは尊敬されているのと同じです笑。権威を振り回す必要はありません。振り回してもあなたと違う型の人がいる以上、いつかは攻撃され、あなたを憔悴させます。露出が多い人ほどこの軋轢を受けることでしょう。だから早い段階で相反する存在への理解を推し進めておかないと、ぶれます。

相反する人は、もともとの型が違うのですから、それに準じていないあなたを一生理解できるはずがありません。あなたにとって「絶対にありえない!!」って思うことを、実践してる人をあなたは認められないでしょう?

だから、相反する存在をできる限り理解した上で、それよりも同じ型の人たちとコミュニティーを作り、しっかり自分の社会基盤を創造していった方がよかろう、と思うわけです。井の中の蛙、と言われるでしょうが、まず、その井戸の中でも生きていくことが出来ればラッキーです。そこですらきつくて苦しくて命すら絶つ場合だってあります。まず今の居場所で、自分のやりたいことを見つけてください。何度でも。

 

講師は大変な仕事で多大なストレスがあるかもしれません。でも批判をやめ、誰かのために道を創造しつづけましょう。的外れな批判や、適切ではあるが見方の異なる批判を浴びますが、それは彼女の(彼の)顔形がどういう理由で好きか、嫌いかを論じることに最終的にはなり、結局好き、嫌いに始まった話に必ず戻ります。だから的外れな意見も別に反論する必要はないと思います。その時間に1曲作れ、です。こちらの方が数倍困難です。頭ごなしに罵声を浴びながらそれをかいくぐり愛の歌を書くことに挑戦する、って言うのがプロだなあ、と。

そこだけぶれずにやっていれば、意外と仲間はいつもそばにいますから。