たまの不定調性進行分析
60, 夢の中の君 / たま
メジャー10枚目「東京フルーツ」から。
とってもかっこいいです。
で、この曲カッコいいところがもう一つあって、
Aメロ
Bb |% |C |% |Bb |C |Bb |% |
Bb |% |C |% |Bb |C |Bb |% |
B
C |% |% |% |
Bb |% |% |% |
C |% |% |% |
Bb |% |% |% |
C |% |% |% |
Bb |% |% |% |
C |% |% |% |
Bb |% |% |% |
コードが二つだけ。
Bb-C-Dと行かない。
Bb-C-Dmと行かない。
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二つだけのコードに制限することによって、どこかへ動いていきたくなる欲求が様々な想像やミスディレクションを起こすのでしょうか。
聴き手にそういう魅力を感じさせる能力がある時点で、そういうことがちょっと真似できない部分で、大事だと思います。
ここにお金を払ってもイイ!!って思わせるミュージシャンの文化的価値があるのであって、プロだから、とか、メジャーだから、とか関係ありません。
あなたがそれを享受したいか、もうそれだけですから。
そして「あなたにとっての価値」なんて誰も教えてくれません。
だからあなた自身が積極的に見つけてください。
その嗜好が変態だったら、ゴメンナサイ、なんです。
でもいいじゃないですか。ちょっと人と違うことって素晴らしい。
才能や変化に富む人生を送れます。その代り犯罪になる恐れと戦わないといけない、とかそういうことはあるでしょうが(これ、ブーメランだな笑)。。。
自分の嗜好を社会的に許容できる範囲に落とし込むことが「学校で学ぶべき事」だと思います。
常識と自分をすり合わせ、どうやって自分は生きていけばいいんだろう、って言う点に真剣に取り組みましょう。数学の公式は忘れてもいいです。でも自分お人生を送るためのノウハウは絶対に身につけてきて!!
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このI-IIは不定調性では、どちらかをセンターコードに定めるのですが、この曲を見ていると、センターコードが入れ替わっているようにも感じます。
(どっちでもいいよ、そんなの笑)
またAメロとBメロ以外のセクションの間でも、センターが入れ変わり、互いが別の配置になっているような箇所があるように感じます。
センターコードをIとして考えて、印象を書き出すと、
Aメロ
VIb |% |VIIb |% |VIb |VIIb |I |% |
I |% |II |% |VIb |VIIb |I |% |
B
I |% |% |% |
VIIb |% |% |% |
I |% |% |% |
VIIb |% |% |% |
I |% |% |% |
VIIb |% |% |% |
I |% |% |% |
VIIb |% |% |% |
もっと細かく分けられるかもしれません。
このように印象だけでディグリーを分けていくとI,II,VIb,VIIbというコードが感じられます。
故に二つのコードに感じない、というのはあるかもしれません。
ま、これは私の印象です。もっといろいろ感じる人もいるでしょう。
こうした感覚的コード機能を、自由に配置できる不定調性で、より従来の機能論から脱出した音楽を作って頂きたいです。
これ動画をぼーっと見ていて、2コードしかない、ということに気が付く人がどのくらいいるでしょうか。坂本龍一氏のRiot in Lagosも1コードだとは思わなかったけど、そういう錯覚に似ています。
歌詞の雰囲気が変わるに従い、それぞれのコードの雰囲気が変わっていくのが良く分かると思います。
いってみればモーダルハーモニーの延長線上にあるポピュラー楽曲のジャンルと言えるかもしれません。
これ弾き方とか、アレンジとか、歌詞の抑揚とかでも違って感じられるし、それを表現できるミュージシャンの感性もとっても大事。
そして、説明できてもマネは絶対にできません。
それを知っている人も少ないし、教えてくれるとこもあまりありません。
ライブに行って会いに行こう。
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I-IIという和声を持つモードはリディアンですから、リディアンモードの楽曲とも言えます。
もちろんそういう概念など知らなくても、楽曲を作ることができます。
そこが大切であり、素通りしても大して音楽性が刺激を受けない、という理論学習が成り立ってしまう点が、この場合の音楽を学ぶ際の問題点になるわけです。
それを勉強したら、自分の人生観が変わるような刺激を受けたいと思いませんか?
たま情報提供;マーサ
シンガーソングライター マーサ(大櫛雅子)のブログ♪