皆さんの周りにいませんか。
カラオケなどでぱっと聴くと、すんごく歌が上手いなぁ。。この人、そこらへんのプロよりすごいんじゃないか。。。というようなひと。
その先に行くにはどうすればいいんでしょう。
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①声がいい。
②声量がある。
③音域が広い。
④ピッチとリズムが良い。
でも、なんかぴんと来ない。
こういった印象を与えるボーカリストがいます。
(決して否定的な意味ではなくて、なんとなくそう感じさせる、という場合が多いです)
人によっては「君は歌がとっても上手いのに、なんかすごく普通なんだよねぇ」
とか言われてしまう場合もあります。文句言わないで育てればいいだけなのにね。
さらに①-④のどれか一つでも悪いと
「君はピッチが良くないねぇ」
とか言割れてしまいます。怖い!ですね。
これって
「君、声もいいし、スタイルもいいし、ファッションセンスもイイね」
でも、、
「顔がイマイチだなぁ」
って言っているようなもんです。意味が分かりません。もう嫉妬の域です。
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普通スカウトマンも顔が良い、というのは最低条件(というか潜在的条件)ですが、これはタブーなので、あまり表面的議論としては出てきません。サブリミナルな効果を含んでいるからです。
人は顔がいい人のいうことのほうが信じる、という心理学のデータを聞いたことがあります。
もちろん、たいていのオーディションやレコード会社系のスカウトは本当に時間をかけてちゃんと選別していますから大丈夫ですよ。選別してる身にもなれ!って声が聞こえそうなくらい大変です。
歌の場合。①-④が完璧の場合、どうやってそこから歌を上達させるか、ということを考えてみましょう。
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《歌が凄くうまい人だけど..ケース1》
声のキャラクターはその人とは違う
性格は凄くきついのに、声は萌え萌え!!!っていう人がいたとします。
本人はキリッとしたキャリアウーマンみたいな性格で、本人もそう思い込んでいるだから歌う歌もMisiaとか竹内まりやとか初期の鬼塚ちひろとか、そういうところを選曲し上手に歌い上げるのですが、なんかしっくりこない。
声もピッチもリズムもいいのに、、なんか心に入ってこない。
ちょっとした瞬間の声が可愛すぎる。この声、この子の性格と真逆だ。
みたいに察知するときがあります。
ひょっとするとブリブリのアニソンとか歌わせたら凄いことになるんじゃないか。
でもたいていの人はその選曲を嫌がるでしょう。セクハラだ!!とか言われるかもしれません。
ここでその選曲を受け入れ、トライできるのがプロになる要素を持ったボーカリストの特質です。
なかなかできません。
歌の上達には、まず自分の声が自分の性格とどう違うのかを良く把握できなければいけません。声はある程度は人生経験によって構成されますが、歌で鍛えていない声はどこか純粋無垢で、上記の女性だったら、キリッとした人にあこがれる前の段階での声がそのまま残っていて、節目節目に出てくる、という現象が起きていたことになります。
歌が上手い人を判断するとき、その人の話し声、態度、考え方から来る声とパフォーマンスのギャップがないか、見極めましょう。
《歌が凄くうまい人だけど..ケース2》
完全にボイトレが行き届いている声は厄介
次の人は、有名なボイトレの先生について、まじめに勉強し、練習し、完璧な声を手に入れて、①‐④までをほぼ完璧にこなし、まさに努力で勝ち得た素晴らしい声を身につけました。
しかし、素晴らしいんだけど魅力がない、って感じる時があります。
その後に歌う、ボイトレも何もしていない中学生のほうが凄い、とかって感じるとき折ってありませんか?
10年の血のにじむような努力が醸し出す圧倒さが、無垢な中学生のピッチのずれが声に勝てないのはなぜでしょう。
きっとこれはムキムキのボディビルダーの体を見て、素晴らしくその人の心の内が外見として現れているかどうか、と言われて悩むのと同じです。
ボディビルダーはボディビルダーの大会に出ているときはあまり変わり映えしません。
普段みんなで合コンとかしているときにはじめてその人の肉体の凄さが分かります笑。
女性のボディビルダーとかだと、ホント驚嘆します。
歌に迫力がある人はカラオケ大会とかでは優勝するのですが、様々な個性を持ったプロの世界ではさほどその個性が見えません。
その人の声を取り戻す必要があります。
ボイトレの時間を歌唱の時間に変えます。歌いたい歌をみつけ、ボイトレの替わりにひたすら歌います。歌って歌って歌いまくることで喉が変化してきます。その人の感情の起伏に沿ってアンバランスになってくるわけです。おそらく3か月ぐらい必要です。
そこから改めて個性を見つけていくディスカッションになります。
そうした発想の転換をその人が受け入れられて、自分の真の声を見つける努力に道を開けるなら、それがプロの選択です。
意見が分かれるところですが、「ボイトレは持ち曲を歌い上げる筋肉を壊さない程度に注意深くやっていく必要がある」というのが持論です。
《歌が凄くうまい人だけど..ケース3》
①-④が完璧、何でも歌えるオーソドックスタイプ
このタイプもいろいろ考えさせられます。
才能があって、まじめで努力もして、歌の仕事も詰め詰めであって、でも名前は知られていない、というタイプ。
与えられた曲は20分で完璧に歌える。
こういう人にはこういう人の道がちゃんとあるんですが、もしその人がどこかで「有名になりたい」とか「1ランク上を目指したい」と思ったとしたら、あなたはどうアドバイスしますか?
これまた意見が分かれるところですが、もしオンリー1を目指すなら、自分が本気で歌いたいジャンルに特化することをお勧めします。
R&Bなら、ひたすら英語を勉強し、本場のR&Bを身につける訓練をして、他のジャンルは捨てる、等覚悟が必要です。
ブルースやジャズボーカルでも構いません。
ただしとっても厳しい人たちのいる世界(感覚だけ、偏見だらけ、上下関係の厳しい、という意味です)なので、今の環境が心地良いなら、有名になろう、なんて思わないほうが良いでしょう(というかその人の人権を守るという意味で)。
でもそれでふつふつとするならできる限り早い段階で、一つの世界に特化して極めて見ることをお勧めします。
何となく何でも歌えてしまう、というのはその人の自在な性格によるところもあるので、むしろ一つのジャンルに特化するのは難しいものです(それを面白くない、幅が狭くなる、それでは人の役に立てない、と思って現状を選択している場合があります)。
でも、
1つのジャンル=自分というジャンル
はたいてい一つしかありません。ヴィブラートを何種類も駆使されても声の性格は変わってしまいますから(使う筋肉も違うから、普通は不可能)、その声が持つ魅力は一つの音楽でしか上手く出せないことがいいものです。
ポール・マッカートニーのような七色のボーカルを持つ人は、世界でも稀ですし、誰でもできるんじゃないか?みたいに思えるほど楽にこなしていますが、とても難しいです。
もし1ランク上のキャリア、という意味では、「特化する」という決断ができるのがプロの選択の一つです。
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つまり、厳しい選択を迫られ、そこに将来性を感じ、投資できる人がやはりプロの投資家であり、と食っていける人の手腕と判断と言えます。
基本的に考え方のアプローチがまるで違いますので、中々180度思考を逆転させる、ということは難しいものです。
声の特質、その人の性格、可能性、年齢、性別、スタイルによって、様々な方向性で自分を確立する方法はあると思います。
それは一人で悩んでもなかなか難しいので、一度そういったことに長けている先生とディスカッションする時間をもって、お互いにノートを取りながら将来設計を考えて、消去法をして、目標ラインを決めて、しっかり計画を立ててみる(綿密でなくてもいいです。目標の風景設だけしっかりと)、ということで自分という存在が見えてくる場合があります。
これが適当になると、その人は自分で判断せざるを得なくなり、結局安易な道を取ってしまいがちです。 結果として上記のケース1-3が生まれてしまう、ということもあろうかと思います。
先生方はしっかりその人の目標、可能性、を見極めてそれを見据えてレッスンをしていかないといけない、というわけですね。
迷ったらデモを1日聞け
一週間流しっぱなしで良いです。迷わなくてもひたすら聴いてみるといろいろ分かります。
歌手の歌声、というのは、人の生活の中に入ってきます。
その声を聞くと、その歌声を聞くと、その時の情景が浮かび上がってきます。
そういう声になりえるかどうかを判断するには、その声をずっと聞きこまないといけません。
一瞬個性がないように聞こえる歌は、世間の人もそう思います。
だから聞き込んで出てくる魅力が最初から出るような歌を選曲し、それを頭からババーンと出さないとインパクトがありません。
もし一日聴いて飽きてしまう声は、改善の余地ありです。
でもたいていはどんな歌声も魅力的です。味があるものです。
それを聞き分けてじっくり指導を掛けていくのがとても大切です。あとは本人もその魅力を納得し、伸ばすことを決意できるなら、そのチームはヒットを作ることができるでしょう。
だから30分でれっすん、というの最初はなかなかできません。
といってその人の目標を3回のレッスンで把握する、というのは失礼です。そこに対価が掛かっているからです。でも本人も自分の夢を設定できていない場合もあります。
その辺の見極めを体験レッスンで出来る限り時間を取って行い、方向性をいくつか定めた後でレッスンで見極めていき、目標を確定させる、ということを行うのが音楽教室の役割です。
あなたの人生の事を一緒に考えてくれる場所であるべきでしょう。
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