音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

起立/礼のピアノから和音の進行感を考える〜様々な仮想起立礼音源と音楽の"聴き方"について

2018.1.17⇨2020.2.1更新

 

ジャーン(起立)、ジャーン(礼)、ジャーン(直れ、着席)

のあれです。「修礼」といってましたね。

弾き方の例

じゃーん(C)

f:id:terraxart:20181121122434p:plain

じゃーん(G)

f:id:terraxart:20181121122442p:plain

じゃーん(C)

f:id:terraxart:20181121122434p:plain

最初と最後は同じです。

調べてみますと、起源は少なくとも昭和初期に起こったものだそうです。

この記事では、皆様が良く知るこの"音楽的進行感"を題材にして、和音が連なることについて、様々な"感じ"を得ることを体験していただきたくて書きました。

もしこの記事を読んで何も感じなくても、あまり気にしないでください。あくまで音楽の流れに心象を感じるタイプの人に向けた記事です。

もともと私が和音の流れに鮮やかな心象を感じるタイプだったので、この記事を作ったまでです。ご了承くださいませ。

 

「起立礼」感を展開する

C-G-C

これらの和音には機能と名前がついており、

C=トニックの和音→G=ドミナントの和音→C=トニックの和音です。

いわゆる「T-D-T」と訳されます。

(音源が再生されない時は、お手数ですがページをリロードしてください!)

 

修礼については以上です。

 

=======

 

ここから先は「進行感」についての話です。

不定調性論です。

以下のトピックは下記の動画で表現したことと同じですが回りくどいので記事を読んほうが早いです。

www.youtube.com

 

"トニックの和音は安定している"、"ドミナントの和音は不安定"と覚え"させられ"ている人もいるでしょう。
この進行は、安定ー不安定ー安定となっているから落ち着くのだ、と刷り込まれているはずです。

この、礼をしたくなる感じ、着席したくなる感じを不定調性論では、刷り込まれた「進行感」と捉えます。

もともとあなたはこの号令で礼をする必要などないんです。

社会への義理でそういう感覚を思い出してるだけです笑。

まずそう感じてしまうこの感覚が(学校教育や動画文化等で)「刷り込まれた感覚」である、ということに気が付くことが第一歩です。

 

しかしこれを認めてしまうと、急に行動に支えがなくなります。

この先こそがクリエイターの居場所です。

最終的に「自分とは何者か」という問いが待っています笑。

 

当然この和音進行を聴いても、我々が予想する感覚とは異なる感覚を感じる人(民族)もいるかもしれない、というスタンスを持っておく、ことこそがグローバリゼーション(?)です。

シマウマは白地に黒ですか?黒地に白ですか?

www.terrax.site

 

 

しかし現状の日本にいる限り、別にこの"催眠状態"でも不便はありません。

全員同じ音楽教育を受けているからです。

 

それではいくつか実験してみましょう。

C-Db7-C

 

いわゆる「裏コード」です。

f:id:terraxart:20211021083205p:plain

理屈はわからなくても、この音の流れを見ていただくとわかる通り、Cからちょっと狭くなってまたCに戻ります。この「狭くなった感」がここでのポイントです(音の配置によって広がった感も作れます)。この"感じ"がこの和音進行において

"なんかギスギスする感じ"

"擦れたような感じ"

を感じ取れるかもしれません、人によっては「まぶしい」とか「きつい」とか「重い」とか色々感じると思います。もしそう感じたら、それをあなたの曲表現で使ってください。

または音楽鑑賞の感想として活用ください。

 

太陽の熱い感じを歌にしたい!と思ったら、

・そうだ、裏コードが俺にとっての眩しさなんだ、サビの終わりではあれを使おう!

という動機になります。周囲の人は、

・裏コードは眩しくはないやろ

・裏コードはむしろ寒いだろ

・そうはならんやろ

なっとるやろがい、とかいろいろ言うと思います。でもそれは一切無視してください。これは義務教育で社会的協調を求められているわけではありません。

自己表現、という闘いです。

 

 

どんどん行きましょう。

C-Dm7 G7-C

 

ジャズのII-V(トゥファイブ)です。おしゃれですね。礼が二段階になりますね。

トゥファイブは"そうろう文"と同じで、モダンジャズの慣用句です。江戸の文章さながらにとにかく曲構成の段落部分にII-Vがつきます。

そういう慣習から逃れたポップスでのII-Vは、ここぞ!!というときの決め台詞になりめちゃくちゃかっこよくなります。

www.terrax.site

ポップスはジャズが進化した形です。

 

おまけで。

 

さきのII-Vに「テンション」という音をのせることで、くるっとターンしてからお辞儀するような起立礼ができます。これもジャズ文化であり、ポップスに吸収されていきました。

 

さらに

C-Aaug/G-C

 

イキスギコードです。

f:id:terraxart:20211021085441p:plain

これも先の裏コードと比較してみると面白いです。今回は裏コードとの構造の比較をしやすくするため、ガバガバに拡張した感じにしてみました。これによって・歯がうくような、腰が抜けるような、捻られるような、緊張感があると思います。これも好きに感じて下さい。"イキスギコード"の命名もまたその人がそういう印象(あまりのかっこよさに性感帯が刺激されて、昇天するような感覚と表現すると面白そうだから的な)を持ったコードからの命名と解釈が可能です。

(この"音の配置"を「ヴォイシング」というのですが、イキスギコードを逆に裏コードみたいにヴォイシングによってギスギスさせることもできます。ヴォイシングは沼です。)

 

ここまでは音楽理論どおりです。

ここから先は音楽理論自体が未整備で、これらを説明するには、どうしても不定調性論的思考が必要になってきます。

 

G-C-G

を聞いてみましょう。

サブドミナントによる終止です。

 

これも解決していませんか?いわゆる「アーメン終止」ですね。

慣れない時は6回ぐらい繰り返し聞いてみてください。徐々にGに終止感が生まれます。

その「終止感」を生んだのは誰ですか?

音源のせい?宇宙と科学の真理?それとも脳の認知機能?

 

では、一旦安定の起立礼を。

C-G7-C

 

GがG7になることでさらにCへの解決感が増しましたね。では一旦これもひっくり返してみましょう。

 

G7-C-G7

 

これでG7で一発で解決感を感じた人は、ブルースマンです。

感じない人は下記のフレーズを一回聴いて戻ってきてください。

<sample>

 

別に<sample>聴いてもG7は不安定だよ、という人もいるでしょうが。

この差異は、あなたの中のブルース音楽経験の有無と濃度によります。

 

これらの和音の「安定感」「不安定感」「解決感」という存在を不定調性論では「音楽的なクオリア」という名でくくっています。

様々な和音の連鎖した時に感じる"心象"を「進行感」として重視し、その感覚を元に音楽を連鎖していく方法論です。

www.terrax.site

 

また、「解決感」や「終止感」は私が感じているそれとあなたが感じているそれは別物である、と考えます。これは独自論だ、とするわけです。

「私はこの進行に解決感を感じるけどあなたも同じ?」

ではなく、

「私はこの進行に私なりの進行感を感じるけどあなたもあなたなりの進行感を感じますか?」

とするわけです(不定調性論的思考)。

 

脳の機能が同じであれば、同じように反応します。しかし

 私の進行感あなたの進行感

だと思うのです。もちろん全く同じだと感じる人もいるという解釈(一時的な納得の作用だが)も可能です。

 

もともと違うものを一緒だと決めつけて話を進めると、時折会話に齟齬が生まれます。

そして個々が違うからこそ、同じコード進行で違うメロディが生まれる

と考えるほうがつじつまが合う、と私は考えています。これは私の個人の感想です。

 

では「あなたなりの進行感」を感じて表明してください。

C-G7-G


このときのGだって安定和音です。G7がGに解決しています。どんな進行感を感じましたか?

「おー斬新だww!」とか感じたりするかもしれません。

「えーこんなのありえん」という方もあるかもしれません。

最後のGでHELP!のAメロが歌い出せる人は、ビートルマニアです。

この進行感を実際に曲でやっているのがビートルズの「Help!」です。

www.terrax.site

同曲ではA7-Aで曲が始まります。

最初はずっこけるんですが、これだけヒットしていろんなところで聞くと慣れてしまうんです。慣れることで理解できてしまうんです。

ビートルズが広く示し証明したのは、コードさえ知ってれば、自由につなげて音楽を作れる、という思考法です。まさにゴリアテに挑んだダビデです。

そして彼らはジャズに変わり世界を征服しました。

つまり、あなたがずーーーっとあなたの音楽を続けていたら、いつの間にかあなたの音楽が世界に浸透してそのサウンドも受け入れられる、ということです。

 

 

次です。

CM7-GM7-CM7

はどうでしょう。ポップス好きの人は受け入れやすいかな?

ジャズではコンスタントストラクチャという技法に展開していきます。同じコードタイプを連鎖させる方法です。拙論では和声単位作曲技法と言います。

 

これはどうでしょう。
CM7-Fm6-CM7

 

礼を忘れて遠くを見つめてしまいそうです。 

 

どんどん弾き方が「ポロロン」になっているのに気がつきました?

<がーん!>

 

このがーん!バージョンでは、遠くを見つめる感がうまく出ないと私は感じたからです。これも「音楽的なクオリア」を生かす実践です。

 

ではこれはどうでしょう。
CM7-F#M7-CM7

ちょっと熱に浮かされたような。一般には非機能進行と言われるものです。

この進行には機能がない、というわけです。

これには理由があって、音楽理論が固まった当時こうした進行には価値がなかったんです。

やがてジャズが生まれ、フュージョンが生まれ、当ブログではこの進行はニルヴァーナ的な進行である、と言えます。こすれるような感じでカッコいいと思うのですがどうでしょう。

そして現代人はこの流れに進行感を感じてもいいと思うのです。

 

まとめ

結果として、進行感を感じる人にとっては、どんな和音を二番目に持ってきても、何らかの「礼の効果」「進行感」を感じることができる、とはいえないでしょうか。

不定調性論では、これらの様々な和音進行を同列に扱うために「機能感」を取り払い、和音進行のルールを取り払うために膨大な時間と労力を使いました

見知らぬ国のストリートで流れる聞いたこともない音楽に感動できるのは、あなたがその土地でそれを感じようとしたから感じたもので、それは音楽理論で説明するよりも不定調性論的思考で捉えた方がしっくりくると思います(それを録音して帰国後に再度聞いてみるとそんなに感動しないことも…)。

音楽理論的思考(言葉)と不定調性論的思考(感覚)の両方を持てれば社交的音楽家としてのバランスは取れると思うのです。

一部のフォーク、ロック系先輩ミュージシャンが音楽理論や楽譜を嫌うのは、彼らが強烈な独自論、つまり自身が感じたことを言語にしないまま音楽で表現できるスキルと方法論を持っていたからです。

売れる売れないは学習内容ではなく、出逢った人のその人の方法論とあなたのやり方でうまく化学反応が起こせるかどうかで、音楽理論はほとんど関係ありません(だからと言って不要論と絡めるのは無知)。

音楽理論に詳しかったジョージ・マーティン一人だけではビートルズは成り立ちません。でも、マーティンなしに中期以降のビートルズの進化もあり得ませんでした。

 

もし既存の学習が肌に合わないなら、自分の作品を作れる方法論を自ら作れば良いだけのことです。 

 

あなたが好きだと思う音楽の一時解釈(変化、深化する)や美しいと思うものに対する感情を誰かの言葉で代用せず、自分の言葉で表現して、それを楽しむスキルを努力して磨いていかなければなりません。

好きを極めるのも、普通に学習するのも同じだけの労力が必要です。後はどういう気持ちでそれを学ぶかという体感を「努力」と感じるか、「夢中」と感じるかではないでしょうか。

 

参考

www.terrax.site