音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

音楽の読解についての諸問題

不定調性論的な発想による音楽思考から人生の諸問題への取り組みについての話です。

 

   

  

楽譜分析を重視しない。
音楽を理解しようとするときの話です。

これには異論もあるでしょうし、タブーもあるでしょうから、それぞれの立場で理解してください。

楽譜には100%音楽の様相・意図・解釈を落とし込むことはできません。実際に鳴る音とは全然違います。

と言って、楽譜研究をしなくて良い、という意味ではもちろんありません。

専門的に学習すればスコアの読解は欠かせません。しかしそれはサッカーする前のブラジル体操のようなもので、サッカーそのものではありません。楽譜読解はある時邪魔にもなります。それが分かっていれば楽譜読解はシンプルでエキサイティングです。

 

楽曲の演奏を支配するのは自然現象です。

人の思考と行為が原因によって引き起こされたものが様々な空間状況を経て空気、空間、時空を経由して聴衆の耳に届きます。

聴衆の耳に入ったものが最終結果であり、それは本人以外聞くことはできません。作者や演奏家はそのきっかけを作ったにすぎません。ましてやスコアは「台本」です。演じる人によってその表情が変わります。短調だから悲しく聞こえる、という先入観がそれを生むだけで、もしその前の瞬間好きな彼女から告白されていたら、その短調は完備で美しく聴こえるでしょう。ただそんな自分の感情をそのとき理解できるかどうかは別です。

 

場を支配するもの=感情

ここまで言ってしまうと、「音楽芸術が人の手によって生み出されたもの」というのが幻想である、と聞こえるかもしれませんが、全く逆です。

結局、演奏者の音、気迫、衣装、振る舞い、隣のお客の雰囲気、会場のライト、その日の気分、その日に自分に起きたこと、これらが全て弾き手、聞き手の印象に関わってきて、そこに相互の印象が生まれます。

演奏したものは演奏したものなりの、聴衆一人ひとりはそれぞれの印象を感じるわけです。

それはどうすることもできません。5曲めの後の休憩中に彼女と喧嘩して、後半を聞かずに彼女は帰ってしまい、6曲め以降は一人で聴いた、なんてことになって、6曲め以降の印象が最高だった!!!という人は、まあ音楽を仕事にすべきで、人間社会に出てくるべきではありません笑。

そして十何年経た後、その曲を聞くと、当時の状況が思い出されて、笑えるのか、懐かしいのか、怒りがこみ上げるのか、その人が生きた人生によってだいぶまた異なるでしょう。つまりどれだけこのブログで音楽を分析して見せても、それは最終的なあなたの答えではありません。

その人にとっての答えは、その人が今感じたことだけ、その感情だけが答えです。

それでいいんです。

あなたはあなたなりに一生懸命生きて、その印象を感じた、それだけでいいんです。全く難しいことはありません。音楽はそれだけです。それしかありません。

そしてどう感じたかを自分に認めてあげて、その気持ちを次の仕事に、明日の生活に反映させてあげてください。人が理解できない気持ちになっているもしれません。それでもいいんです。

あなただけでもあなたの感情を理解してあげてください。

それがまず音楽を楽しむ第一歩です。

 

 

 

     

 

メタ理解があるからこそ、個人の理解を大切に

情報化社会によって、インフルエンサーが自在に巧みなマス意見で世間を席巻するでしょう。「〇〇とは〇〇である。」という見解の発信です。

それはいかにも説得力があり、話題性があり、画期的で、印象的で、多くの共感を呼ぶ形式になっています。

でも、あなたはその人物と対等であり、何も変わらず、同じ位置に立っています。

だから彼が何と言おうと、あなたはあなたです。

こういった巧みな、生きやすさを与えてくれる意見とは別に、あなたはあなたの意見を感じていいんです。もちろんそれに共感して、自分が変われるのであれば、変わって、成長していいんです。あなたにその言葉をかけてくれた彼(彼女)が凄いのではなく、その言葉を探り当てたあなたが優秀なのです。

そして自分のその意見で、自分の思考を切り開き、自分の道を作り、自分の等身大の幸福を手に入れてください。手にしていいんです。幸福になってください。

 

どこまでも与えていく勇気 

これが一番難しいです。自分など8年苦労してやっとわかるような気になってきました。

例えば最初は、丸一日働いて自分にギャラが入って来ず、それらは全て事務所の経費に消えてしまう、という状況が許せませんでした。そしてがむしゃらに仕事を2倍にして頑張っても、やはり膨らむ経費や借金に消えていきます。自分には全く関係のない経費や、誰かの人件費、交通費や光熱費に消えていき、自分には一銭も入って来ない、という状況に耐え抜いた時期がありました。

それを考えると、すぐイライラしてしまい、制作などなどおぼつきません。生産性が下がります。なんで自分に入って来ないんだろう!!とイラつくわけです。

 

でもハタから見たら、そんなの当たり前で、経営している以上、自分の経費は一番最後になるべきです。でもいつまで頑張ってもいつまで待っても、自分に対する支払いはなされません。

 

私は考えました。"ここで諦めるのが普通だろう。"

でもこのまま耐えて、耐えて、ギリギリまで追い詰めたら自分はどうなるだろう。倒れて終わりだろうか。ブチギれて夜逃げか。しかしある日それは急にやってきました。

「自分の仕事によって生まれたお金で、誰かを助けている」

と思えるようになったんです。そうなると、誇らしいです。何も借金を抱えていようが気に病むことなどないのです。支払い続けているのですから。

そうなると、今度は180度考えが変わりました。

「もっと頑張って稼がないと!!もっと人を幸せにしないと!」

自分はきっと人に尽くして喜びを感じることのできる人間なのでしょう。だから貧乏教師などやっているんです。

それからあらゆる儲け手段を勉強し、「音楽で稼ぐ」なんて枠を超えて、無理やり音楽と絡めて笑、いろんな稼ぐ手段を見つけてきました。レンタル代金の値上げなどもして、とにかく経費負担が減るようなやりくりを始めました。邁進です。全く収入が変わりました。

 

これって考え方だけだったんです。戦略とかじゃなくて。稼ぐ方法はゴロゴロ転がっていたのに自分でシャットアウトしていたんです。自分の事業のみで稼ぐ方法を見つけなきゃ!なんて。視野が狭い。

 

でも、なかなか本当に使命感を持って、他人のために稼いで、自分は受け取らない、なんてできません。未だに頑張りや意識は低い方だと思っています。

アーシングで無限のパワーを得たので、なんとか24時間働いて、食わなくてもなんとか元気でいられていますが、いつまでこうしたパワーが続くのか、という不安もありますから、早く安定できるように頑張りたいものです。

 

それでも考え方が変わっただけ、自分にとっては成長でした。

文句を言わず、もっと頑張ればいいだけです。

 

なぜ音楽を勉強して、なんでも理解できるようになっても、こうした人生の問題にこれまで取り組めなかったのでしょう。

それは音楽の学習の解釈と、人生の学習の解釈を見誤っていたからだと感じます。

「勉強」をしたのに、人生に活かせていないなんて愚かだったなあと思いました。

効率が悪いだけです。

 

どうやったら音楽好きな人間が、音楽を通して、自分を成長させていくことができるのでしょう。それも基本的な音楽の学習段階からにおいて。つまりドの音はこれ、レの音はこれ、これがハ長調、これがドミナント、なんていう段階において平行してどうやって「生き方」を学べばいいのだろう、と感じたわけです。これが学べなければ単なる「勉強への逃避」じゃないですか。

 

不定調性論は、個人の印象を全ての理解の根源にせよ、と自分で言ってるではないか。

何か人生の問題に接し、ポジティブでいられるか、ネガティブになるか、それは物事をどのような印象で解釈しているか、だけです。

お腹が減って辛い時「未開の地にはまだお腹をすかせている人がいる」というような理解では全然ありません。それは欺瞞であり、自分に嘘をつくことです。本当の意味で彼らのことを理解することはできないでしょう。そうではなく、自分が生きていく喜びの方に目を向けるよう努力するわけです。

どうやったらこの理不尽を味方にできるか!!

これは自己から厳しい抵抗に合うでしょう。理不尽は理不尽であり、それが見方によって好転するなどということは考えられないからです。理不尽を理不尽と思っている間は。この仕事が好きだからなんとかこの問題と戦えたのでしょう。

 

結局はとても時間がかかり、それに脳をフル回転させているからこそ、フッと答えが出たのでしょう。「問題に取り組むこと、取り組み続けること」がいちばんの早道だったわけです。自分はそういうすっきりとした回答を得られて運が良かったです。

自分が働いた金で楽に支払いやがって!!!って最初は本当に思っていたのに...。

どうして意見が変わったかといえば、「必ずこの問題は自分を成長させてくれる」と信じていたからでしょうか。

 

現実生活の中にパターンなどありません。

一人ひとり皆違う人間で、答えの種類もニュアンスも状態も全て異なるものです。

音楽理論のように、変にパターンや形式、伝統があると、人間が未熟だとそれに惑わされてしまいます。正しい答えがどこか自分の外にあるような気がしてしまいます。

 

例えば、ですが、もし自分の納得のいく曲ができず、これから作曲を一時休止し、30冊の理論書を読もうとしたり、専門学校に通おうとしているなら、7日間だけ待ってください

まず自分で本当に曲ができないか、もう一度だけ本気でイメージを膨らませて取り組んでみてください。あなたのやり方でいいです。全くめちゃくちゃでもいいです。やってみてください。オーケストレーションでもEDMでも作りたい曲を遠慮せず作ってみてください。

1コーラスだけでもイントロだけでも構いません。とことん集中して1週間だけ取り組んでみてください。そして周りの人も7日間だけ許してあげてください。

若い人なら1週間自分に命をかけたらきっと答えが出ます。学校に行くのはそれからでもいいです。

学校は何もしてくれません。学校であなたに必要な知識は学べないんです。学校はあなたではないからです。環境が変わったことで多少の経験は得られますが、あなたが何を学びたいか、より明確にしてから行かないと「自分からの逃避」になりかねません。

 

あなたがどのポイントを学ぼうと明確にしているなら、それはどこでも学べるんです。一人でも学校でも。

 

個人差があるので、この辺は一人ひとりアプローチが違います。

また成長のステップがあります。

あとは、その考え方の精度、理解の形の精度、印象とイメージの精度を高く高くできるように日々問題に真っ向勝負でポジティブに取り組むだけです。

そういったことを教えてくれる先生、友達、家族がいるなら、その人は世界一幸運です。もし10代でこの秘密の鍵を得たのなら、それは何にも替え難い知恵であると思います。

「自分の将来のためになるように、自分の判断を構築する」です。

ヤワな印象や解釈は自らを滅ぼします。一緒に鍛え上げていきましょう。

 

私はいくら本を読んでも自分が体験するまでまるで気がつきませんでした。

 道をひらく

「私には3つの財産がある。それは学校へ行かなかったこと、健康に優れなかったこと、決断に弱かったことだ。」

自分にこの条件が揃っていたら30年ぐらい親を恨んでいたことでしょう。