音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

(動画解説・補足)不定調性論全編解説11〜結合領域和音・対称領域和音

今日はこちらの動画の補足です。

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合理性の疑問点を明確にしておく。

これも学習段階での理解の話です。

機能和声論は長年のビルドアップによって、かなり洗練された方法論となっているように見えます。音楽がさらっと作れるようになっているわけです。考え込むと矛盾してしまう点、考え込んでしまう点を淘汰させ、学習ステップをかなり簡略化しています。

ゆえに学習時は気が付きませんが、一旦現場に出てみると、何も役に立たない、という事に気が付くわけです。もしあなたが学校で役に立つことを勉強できたとしたら、それは先生が優秀だったんだと思います。

この動画で述べているのは、まず

コードネームを見ても信じるな

です。そのコードネームは昨日も別の曲で見たかもしれませんが、本当は初めてみる和音なんです。もしその曲を今日初めて弾くなら。哲学的には毎回初めてでないといけない、という話になりますが。

これって、気持ちだけでも良いです。新鮮な気持ちでトライする、だけでも全然曲に対する表現力が違いますので。でも学校で教えてくれるのはCM7の構造だけです。それに対してどう意識がアプローチしていくか、までは教えてくれません。

そこは一人一人が現場で学ぶしかないんです。不定調性論はそこを学習時に少し考えてみよう、と提案するわけです。

 

それから

和音種類の差別をなくす

という目的があります。

もちろん「和声単位」と9音の構成音を持つ和音は役割が違うので意識の段階においての区別はするのですが、それらの和音がポピュラーであるか、ないか、というような漠然とした音楽性による区別をしない、ということです。

それができる事で、CM7と波の音、ノイズ、惑星の音、いびき、とあらゆる音に意識の上での差が無くなります。「楽音」と言って括るのは、人種差別そのものと同じだ、ということをどこかで覚えておいてください。

雑音とか不協和音とか、騒音とか、これらに限らずモーツァルトだって24時間聴いていれば精神に異常をきたします。睡眠時間を削ってまで聞ける音楽など一般にはない、と認識されているからです(現時点の市民の一班意識では、です)。

ゆえに音は皆同じです。当然和音に区別や差別などあろうはずがありません。伝統的な和声構築法によって、「害のない差別」が機能和声法によって確立されているだけで、それ故に音楽理論の範疇外、範疇内によって議論するとき、人の議論はケンカになってしまうわけです。そもそも内と外を設けている時点で、それはもう派閥闘争ですから、本来それがある必要はありません。それを設けたい人は勝手に設けていればいいだけで、万人がそれに従う理由はありませんし、その人もそれについて闘争する必要もないのです。

そのためには三度堆積による方法とは違う和音集合法を考えなければなりません。

色々な方法が考えられると思います。不定調性論で紹介している方法はあくまで一つの例です。皆さんがCM7を作るとき、どんな意図を思って用いたかを説明できれば機能和声論を用いてもいいし、不定調性論の和声単位の考え方でもいいし、もちろん一番いいのはあなた自身が考えた方法論で音楽を創れれば説明する必要などもありません。

既存の方法にただ乗って安易に音楽をして迷うな、というわけです。

不定調性論の「領域」によってあらゆる和音が平等に作れます。また一つの和音がさまざまな方法で作ることができます。

     

さらに

低音に権利を与えすぎない

機能和声論は、低音に権力が集中しています。それゆえに分数コードや展開された和音の持つ権威はすべて軽んじられています。

しかし誰でもそうした和音が必要であることを知っています。

「自分は音楽家だから、年収1億はもらってはいけない」

とか思ってしまう原因がここに既に生まれて刷り込まれています。そんなことはありません。あなたが適切に労働をすれば相応の報酬を天井知らずで頂いて良いのです。そしてあなたの高い意志によってそれを還元すればよいのです。もらえなければ還元もできません。必要なければ若い方に還元してください。もらってはいけない理由など作らないでください。

そこで和音構成の際にも、和音の構成音喉の音でも「中心」にできる、という考え方を和音構成の根本に置きました。

 

c,e,gは基音をcにした時に現れる自然倍音からなる和音ですが、C△という和音は、c,e,g全ての音が実際になっているのです。つまり、このC△という和音は、

 

cとeとgという三つの音の集合

 

であるにすぎず、あなたの意志で自由に中心音を設定して良い、としたわけです。

これももちろん、機能和声論という優れた方法論体系があったからこそできたものです。そして現代の音楽はこうした伝統をはるかに超えたところに価値を置いているはずです。だから自分たちはそれらの方法論を超えて、時代の価値観に合った考え方を個人で作り上げていかなければならないのです。

 

これにより、通例の三和音はもちろん、四度和音も、テンションコードも、分数コードも、クラスターも、ノイズも、波の音も、同じ「音現象」の範疇で扱え、それに区別を与えているのはすべてあなた自身である、ということにできるわけです。

 

あなたがノイズを「音楽的だ!!」「楽音だ!!」と思えば、それでよいのです。

だから本当にあなたがそう思っていないと、その活動はいつか自分で飽きてしまうでしょう。世の流れに乗るのではなく、あんた自身がどうしたいかに徹する、ということです。それで10億稼げるか、一生で200万しか稼げないか、ということを超えて幸福に、音楽とお付き合いできるでしょう。

 

不完全和声単位を超えて

この命名は差別だなあ、とかって思います笑。いずれ変えていきましょう。

いろんな和声単位の呼び名で一旦区別していますが、学習段階上での区別です。実際に現代曲を作るときには、指の赴くまま、歓声の赴くまま、名前を定めずに和音を作って用いてよいと思います。

その和音がほんとうに響いているか、今の自分の感性を本当に表現しているかだけを考えるわけです。結果としてそれがCM7になってもそれはそれ、というわけです。

そしてまた「コード進行分析」をする人も、ハイこれはハ長調のIですね。なんて身もふたもなくなるような分析はしないでくださいね。

ハイ私もやっていたのでなおさら反省です。