音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

自殺願望への認識(音楽屋としての直感)

相談をもらって。

本格的に死への問題を勉強するなら、自分で哲学を学んでください。哲学という学問は仕事や生活になんの利益ももたらさないもの、とお考えの方もおられるでしょうが、そういったシンプルにしすぎる発想が狭い了見を創り出しているので、少しでも気持ちが落ち着いたときは夢見るより様々な人の言葉を読んだほうが夢は明確に見えてくる、と若輩ながら感じます。

考えて悩むのは、まだ考える力がないだけです。

、、、と、昔の自分に言いたい笑。

思ったより科学テイストな話です。

   

死後は消滅しかない、とどこかで諦めておられるのが自殺への憧れみたいなステレオナイズな発想に繋がっているとかんじます。死んでしまえば終わりにできる、と。脳がそうするよう帰結を作ってしまうと止められません。これからも自死される方はおられるでしょうが、それをとどめられる状態の人は一人でも助けたいですよね。

でもなぜ助けるか、がもっと明確にならないといけないと思います。

相談される側が哲学を知らず、心のどこかで死は消滅だ、信じているとだめですね。

「信じる」というのはレベルの低い話で、言ってみれば科学的根拠がありません。そっちの話は信じるのに、超自然的な話は「信じない」という矛盾にぶち当たり、万人が解決できないことをいいことに、うやむやにしたまま不条理な説得になり、苛立ちを生むだけです。

生も死もどちらも科学的根拠など何一つ明確になっていないのです。

 

仏教はなぜ「空」を説くのでしょう。

キリスト教はなぜ「赦し」を解くのでしょう。

我々にどうなってほしいのでしょう。

悟りを開いたって、死が消滅だったら、永遠に「恐れ」は回避できません。毎週お寺や教会に通う羽目になります。寄付金を出しても解決しないのに。宗教ビジネスにハマるだけです。

また愛が深まってもそれは雑念だからまた「空」から引き戻されます。笑っちゃいますよね。預言者が先生だったら、絶対に僕らは言います。「ちょっともう少しPDCS-死語-を明確に教えて?数値的根拠を出して!」って。きっと預言者も知らないのです。でも感じているけど、その営業トークがいまいち説得力がなかっただけと思います。優れた選手が優れた教師になる、というのはなかなかむずかしい、というのは20世紀になってからわかったことですから。

だから結局、死は消滅で、人生は一瞬の輝きで終わる、みたいにして生きるしかない、と「信じて」いるわけです。またそれが侘び寂び、というとてつもない文化を作ってしまいましたから、分からなくなると日本人は「侘び」で片づけてしまいます。これは科学への真っ向対立です笑。

 

いろいろもったいないと思いませんか?

人を救いたい、という神は、何から我々を救おうとしているのでしょう。

恐れ?天変地異?

 この問いは大事ですね。もし神様に会える人がいたらぜひ聞いてください。

「ちょっともっと具体的にリマインダーに落としといてくれる?」

分からなすぎるから、神の計画。

 

生命ある以上、肉体は安全に生きるように脳に電気信号を送り続けるので、「悟る」というのは、この電気信号を無視しろ、っていう意味です。

 

もう明らかに無理笑。普通無理です。だから人はさらに恐れるばかりです。さらに追い打ちをかけるように、祈ったって地震来るじゃん?友達が死んじゃうじゃん。

そんならもっとリアルを楽しんで、頑張って生きたほうが良くない?どうせ死ぬんだから!!、高校生の言っていることの方がはるかに説得力があります。

そう思いませんか?

しかしこれはあきらめの裏返しなわけです。

諦めて上手く行くことなどなに一つありません。

だから死んでも希望を作るしかこの複雑な生命を有効活用する手立てがありません。

 

教育者としては、そういうことに対する彼らの弁をちゃんと聞かなければなりません。そのような意味ではすべての親も哲学を知っておかないと、彼らを恐れの中に突き落とすことになります。指揮官が「自分にもこの先どうしたらいいか分からない」と言えば、(部下は勝手に行動するので)部下を殺す」と言ったのは映画「U-571」でしたか。指揮官の命令系統は重要ですよね。

 

でもだからといってプラトンを全部読め、と言っているのではありません。

読んだって、それはプラトン一人の哲学にすぎないからです。答えは得られません。得られないと思います。得られないと「信じ」ています。だから迷います。

ゆえに、程よい勉強と合わせて自分のゆるぎない哲学を同時に創れ、と言いたい。

あ、それから、「プラトンの書いた本」を読んでも、理解するのがあなたなら、その本はあなたが書いた本と何ら変わりません。人は見たいものしか見ないので、限られた意味しかない「文字」はあなたの自由な解釈で吸収されるので、プラトンが思っていたようなことはほとんど伝わっていない、と考えたほうが良いです。

「あなたが読む全ての本はあなたが書いている」

と思った方が良いです。そうすると本だけには頼れないでしょう?またあなたが成長すれば本の内容も変わります。これもだいじなこと。

     

だから考えます。

もし肉体が「器」で、死ぬまでの間に、十分に気を高めて、練って、最上級の「意識」を作り、その意識が「生命体」になるぐらいにまで練ってねって練りまくって、準備ができた時、死が訪れる、と考えてみてはどうでしょう。もともと宗教が言いたかったのもそこじゃね?と。

そして永久な魂となって、世界の一部になる。神になるのかもしれません。または親しい人の守り人になるのかもしれません。そういう話が未だ絶えないのは、火のないところに煙は立たない、という意味では、ひょっとすると優れた霊はそうしているのかもしれませんよ?

 

これを思うと、

まず早死にするなんてもってのほかですね。気がちゃんと練れていない状態で自ら死ぬ、というのは全くもってナンセンスです。

また、生まれて五年ぐらいで病で命を落とす、としても彼らの中では我々の80年を超えたレベルで気が練られるのかもしれません。かれらは生んでくれた親を永遠に守る人に今なっているかもしれません。死を悟った子供たちの言葉を見るとそんな風に思えてならないのです。

宗教が悟りを開け、と教えるのも世俗の恐れを排除し十分に気を練れば、新たな存在になれる、という意味と捉えることもできます。

実際賢人たちは書物にせよ、銅象にせよ、様々なところで様々な姿となっていまだ生き続けています。

でも、これをただ「信じる」だけではナンセンスですから、本当にそう思えるようになるまで勉強して、自分で生き続けて考えていかないといけません。

 

教える側も「死んじゃいけない」とだけしか言えない状態を何とかしましょう。これは「押すなよ!絶対に押すなよ!」と同じレベルです。興味しか湧きません笑。

死んでしまうのがいかにナンセンスか、人類の生命体としての進化の過程の未解明が引き起こした悲劇です。量子力学が素粒子のエネルギーの移行システムの解明を行えていない悲劇です。悲劇というと言いすぎですか。300年後の人たちより少し分からないことが多すぎる、という意味です。

肉体がサナギで、その先に完全体になる、というのが人類が学ぶべき最終形態であるとしたら、どうでしょう。どう生きればいいでしょう。

「頑張った人は死が消滅でない」

とか、めっちゃ現代人的エゴな発想ですが、少なくとも「そういうことにしちゃえば」生きているとき責任もって生きられますよ。愛に溢れますしね。悪いことは何もないです。ただ「信じ」ているだけでも。プラシーボ効果というのは馬鹿にできません。後はいかに本当に「信じ」るかです。具現化する覚悟で。

 

これには一切のお金はいりません。「知ればいいだけ」ですから。またこれは個人的な問題なので、これらのことが本に書かれているわけでも、宗教が教えてくれるわけでもありません。自分の命を練って練って導き出す安息であると思います。

 

預言者が人にどう生きればいいか、ということを述べている言葉の意味を、こうしたことに置き換えてみてみると、なんで悟りを開け、とか誘ってくるか、赦しなさいと書いてくるか、いろいろ見えてくると思います。自分なりで良いです。出来ればよい方向に解釈しましょう、本はあなたが書いたのですから。

 

じゃあ、音楽家はどう生きればいいか、っていうと、決まっています。

自分の作品に、演奏に全身全霊を注ぎ込むだけです。

それが駄作でも失敗作でも関係有りません。

「これめっちゃやりたい!!!」ということをただ真剣にやればいいだけです。

仕事とか学業とか、家の手伝いとか社会奉仕とかは、やりたくなければ適当にやってください。でもやりたくないことをやられても迷惑なので、早々に家出するとか、退社するとかしてください。そして自分がやりたいことをひたすらやってください。私どもは、それが多少社会貢献になるように、何とか考えます。

「自殺をめっちゃやりたい!」とかっていう場合は笑、上記の理由からその不利益を考えると止めざるを得ません。音楽が大好きなのに、親が辞めろっていうから「音楽辞めたい」と言っているのと同じだからです。十分に気が練れていない状態の魂が、まだまだ可能性を持った肉体を放棄するなど笑っちゃって見ていられません。

俗っぽく例えれば、5000兆円が自分の部屋のタンスの中にあるのに、また見えているのに、それが扱いきれないから、委棄して引っ越してしまうようなものです。ちょっと1兆円を困っている人にあげればいいじゃん!!あんた死ぬんでしょ?戦地に行ってお金バラまいて社会貢献してから死ねばいいじゃん!5000兆円持っているあなたができる事たくさんあるのに、死んじゃうっていうのは命が練れていない典型ですから笑、そりゃ殴ってでもとめます。

事故で亡くなるとか、病気で亡くなる、とかそういうことをどう解釈すればいいか、とか、やっぱり普段からいつ別れ別れになっても大丈夫!という強い愛が大事ってことですよね。そうしたら普段の争いとか事件とか、もっと減ると思うんだけど。

 

科学とか宗教とか思想とか哲学とか、そういうのはここでは関係ありません。

 

でも死ぬ自由だってあっていいと思います。

死んだ後の自分の役割を知っているかどうか、が明確であれば。放棄ではなく進化する意思が明確かどうかが分かっていれば。

死んで好きな人を見守るんだ、という言葉が本気ならば、できるかもしれませんが、ひょっとするとまだ十分に命が練れていないと、魂が生命体として進化していませんから、ひょっとすると死んですぐ消滅しちゃうかも。それなら生きている状態でもう少し気を練った方が良いですよね。

音楽家なら十分な作品を残し魂を分け与えているのかどうか、でしょうか。

 

教育するっていう立場ですが、本当に今は学校で学ばなかったことをたくさん勉強させられています。あの勉強って何だったんだ、と思うレベルです。だから分からないなりに、学問の隙間にある大事な事をもっと若い人たちに投げかけられればいいな、と思っています。

できれば、全てを放棄して別の世界に行くのではなくて、全てを放棄して別の県で生きてほしい笑。好きな事だけやって。そういう時期を経て、命を練る、っていうことを通して本当の魂人になってから死にゃいいじゃん、短い人生なんだから。

ちょっとした希望を持てるように発想を変えるっていうのはクリエイティビティですよね。