音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

音楽を仕事にすること

この国では、音楽を仕事にしていることの精神的な意味の探求はとても難しいです。

だからこのことを常に大人が訴えていかないといけない、と思っています。

   

 音楽家は太古の昔から存在していた職業です。

最も古い職業の一つでしょう。神に近い仕事でした。人間はそんなこと恐れ多いから、恥ずかしさからそこを離れ、より世俗的に音楽を楽しむことを可能にしてきました。

それでも宇宙の存在を知ることに最も近い職業の一つだと思います。

だからまずそこに誇りを持ちましょう。とても尊くて理解し難いものを扱っているこの不思議な職業で食べていけることは、まだまだ世界は音楽に優しいのだと思います。

 

理解できる日は来ない

音楽が分かった!!なんて日は来ません。10万年分からなかったのですからわかるはずがありません。分かった気になるのはビジネスとしてのみです。分かった気になるのは人の特質ですから、それはそれです。でも本当は分からないと思います。

素粒子の謎が解明されて「振動とは何か」「渦巻きとは何か」「回転とは何か」が把握された時、音楽の正体も明らかになるかもしれませんが、それでも音楽の与えてくれるビジョンを理解できる日は来ないと思います。

学校では何でもかんでも答えを出させようとしてくるので、答えの出ないことは恥ずかしいことだと信じさせられています。でも

探求し続けることが理解し続けること」

とする以外道はないわけです。答案用紙に「今まさにその答えを理解し続けています」と書けば答えとしては100点だと知ることです。

だから作った曲も、ミックスしたバランスも、演奏した曲も、結局その時点で良かれと思った感覚が最良の理解、となります(というか太古の賢人が悟ってきたのもそこ)。

分からないから諦める必要も、分からないから能力が足らないわけでもありません。

二年前よりも理解が深くなったから音が良くなった、みたいなことも幻想だと思います。そう思い込んでるだけで、実際は何も理解していないままただひたすらに探求を続けているだけです。だから進化したことを鼻にかけることも、それが進化だと思う必要もないわけです。だから

「好きなことを探求し続けないと途中でやめる羽目になる」

わけです。全てのことにあるはずの答えは時間と空間がある限り完結しないことはすでに科学的に証明されているのに、どうして認めないのでしょう。これは学校教育のビジネス化が問題なのかもしれませんが、それは別に大した問題ではないと思います。そのビジネス的側面のある教育を真に受けて育ってしまった自分たちが良くないのだと思います。だから好きなことを探求して、探求し続けることが答えそのものだ、と知る喜びを一人一人が得れば全てが安息になるではないか、ということです。その瞬間「宿題」はありません。「あの動画見て勉強しなくちゃ」とか「あの本全部読まなきゃ」とか感じる必要はありません。もう答えは自分の真ん中にあるので、動画や本で学ぶのは「楽しみ」であれば良いのです。ポテトチップを食べながら見る映画と同じです。なぜ学習する時は真剣にやらなければならないのか、それは興味のないことを手に入れないといけないプレッシャーの中で行う作業だからだと思います。最初からあなたが他者から学ぶべきことなどないと思います。探求の中で他者から自然に得られるものだけで十分探求はより深くなります。

先生方も答えを出させなければならない教育をしながらも、一人一人を労ってあげていただきたいです。それが不条理な社会で若者がうまく生きていく力になります。そして百年先の若者がより自在な社会で力を発揮していけるであろう源流を作ろうではありませんか。

別にデモをしろ、とかっていう意味じゃないです。自分が日頃の仕事を意義を持って探求すればそれがすなわち即貢献だと思います。

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自己表現から始まる個人的探求

最初はバンドを作って、自分のギターソロをいかにカッコよく弾くか、それっぽくクールに弾くか、ということを悩むことから自己表現というものへのおぼろげなスタートが切られます。途中で理論をかじったり、先人のソロを耳コピしながら、自分は自分なんだ、みたいなことに気づき始めます。

その過程を少しでも豊かにするためのツールが不定調性論における音楽的クオリアの活用です。自分の意思こそ全ての中心にできるか、という話を音楽理論の真ん中に置いたわけです。これで少なくとも自己表現だけなら音楽理論は必要なくなります。伝統技法の習得もいりません。自分で感じ入ったことを自分で探求しますから、勉強への時間は感じないでしょう。

音楽を探求していけば、やがて「音楽はもっと崇高なものだ」なんていうことがなんとなくわかります。でも日頃はアイドルの音楽や掛け合いのタイミングはここでいいか、なんて考えながら仕事をするのでどうしてもそういう「納期のない疑問」は自分の中から遠ざかってしまいます。

でも先程申した通り、探求し続けるしかないのですから、諦めたらただそこで終わるだけです。何を探求するかもわからないうちに諦める人も多いです。それを見定めるにはたくさん無駄な仕事をしないと。それで素通りせず考えないと。

・こんなことして意味があるのかな

・これ全く食えないけどこれでいいのかな

・こんな音楽ばかりやってていいのかな

でもその探求そのものが理解だとしたら、どうでしょう。迷いの方向に感情を向けるより少し違う方向に探求できると思います。

・こんなことして意味があるのかな→意味がないからやめる

・これ全く食えないけどこれでいいのかな→他のアルバイトもしよう

・こんな音楽ばかりやってていいのかな→良くない、もっと売れる音楽を勉強しよう

となると、もう人生は糞詰まりです。自己表現がよりエネルギー負荷の必要な方向に向かい、そこはあなたにとって困難なことばかりです。これは貨幣社会が植え付ける罠だと思うのです。食えないのは音楽以外への理想がありすぎるからです。

・こんなことして意味があるのかな→もともと意味などあらゆることに存在しない

・これ全く食えないけどこれでいいのかな→現代日本で意思ある人が本当に食えなくなることはありません。律しましょう。

・こんな音楽ばかりやってていいのかな→好きな音楽への探求なら悩んでもやめられないはず。

という帰結を知っていれば自分で選んだことに迷うことはないです。

でもそのためには普段から音楽以外のこともたくさん勉強する必要があります。

それは音楽が好きで好きでたまらないからそうなるんです。吸収するスピードも違います。

そしてそういう人しか続けられないのがこの仕事です。

それをちゃんと小学生の時から順に伝えていくことで音楽へ社会の価値観も変わってくるでしょう。実際先輩方の教育によって変わってくれていますし。自分も賛同し自分のやり方を発信していきたいです。

もし好きな音楽が見つかったら続けてみてください。続けることその瞬間瞬間が理解の獲得であり、いうなれば答案用紙に100点を重ねることであると思います。

 

 

幸せの獲得のために音楽を行うことは辛いだけです。すでに音楽がやれている時点で最高の出来事だからです。

 

と言って、自分が偉そうに言えることなど何もないのですが、でもそういうことを言って聞かせていくことが若い人たちの助けになる、と信じています。それが自分にとっての音楽業なのだと思います。ここからさてどこに向かうことやら。。。

また少し何か自分の好きな分野の本を読みたくなってきますね。