音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

あらゆる心のこだわりが邪魔。

庶民の年の功の話だと思ってさらっと聞いてください。

若い皆さんがもっと楽に生きていくためのちょっとした工夫です。お金も苦労もかかりませんから笑。

   

受講生の方にも時々仕事を振ります。または仕事を手伝ってもらってギャラを払い、仕事を経験する、という経験を一緒にしています。でも食事をおごったり、連れて行ったりはしません。誕生日のプレゼントもあげません笑。私が伝えられる一番のポイントは人生をアベレージに持っていくことではなく、後々自分で生きていけるスキルを付けるための自己発見と自己研さんに励む、自立性を身につける、というその一点だけだからです。

もし凄い人物になれば、全部受け取れないほどのプレゼントをもらえますしね。もし「これでいいんだ」って今思ったら進化もないですし。報酬はリアルに現場を感じて頂くために最もその仕事ぶりを表現できるツールだからです。金で意識をどうこうしようとは思っていません。

 

若い方の一番の問題は「意欲の使い方」です。

バイト明けでも平気で休まないでスタジオに来たり、ヘロヘロでも栄養ドリンクを飲んでめちゃくちゃテンションを自分で上げてきたり、1時間の仕事を2時間ぐらいやってギャラはいりません!とか言って完璧にやれるまでこだわったり、結果的に無理して翌日バイトを休んでしまっても「音楽が自分の全てなんで」とかこだわってみたり。

まあ色々です。

 

自分達もそうでした。

 

世の中も実はそれを若手に求めているところがあるし、それが実践できる人間を「将来有望」などと「良い陰口」を叩いたりします。表向きに言ったらブラック業界であることをわざわざ宣言するだけだからです。

ブラックに見えるのは「日本人が弱くなったから」です。働き方は昭和の時代から別にひどくなってはいません。むしろ便利になって楽になっているはずです。何が日本人の体を蝕んでいるか、はこのブログを読めばお判りでしょう。

 

それによって仕事完了の後、風邪をひいたり、バイトでトラブったり、逆に出来上がった仕事に不満を感じたり(100点が自分で出せなかった等)、いろんな反作用をどうしても起こしてしまうケースがあります。批判を受けることも炎上も避けたいからどうしても頑張ってしまいます。

 

まあそれも若さである程度はカバーできるでしょう。

そんなことより、一番の副作用の原因は、

「こだわりがある事」そのものです。

もっと言えば「感情があることで起きる反作用」

が問題です。

 

一つの作品を全身全霊で作るとどうなるでしょう。

まずグッと身をかがめて硬直して仕事をするので体中が酸欠になり、腰や肩を痛めます。これは昭和の時代であれば、良い仕事をした証でした。でもいまは時代が違うんです。日本人は弱っています。だから結構な炎症になり、それは心臓や肝臓、腎臓に多大な負担をかけます。

といって、せっかく頂いた仕事を全身全霊でやらないなんて、社会人失格だ、と思われるかもしれません。でもそれも幻想だと思うのです。もはや現代では。

なぜなら、あらゆる仕事に意味がなくなってきたからです。人がその仕事に適切な意味を与えようとしなくなった、と言えばよいでしょうか。またはあらゆる仕事を批判しようと思えば批判できる多様過ぎる価値観をインターネットが生み出したから、ということもできるでしょう。

 

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相手がOKと感じる仕事の質と、こちらがOKと感じる仕事の質に多様性が生まれ、また変化が激しい、という状況です。

昔みたいにミキサーと言えばこれが最高!とか、コンプはこれ一台で全てできる!などという時代ではなく、多様な質感に対して価値を与える言葉が溢れしてしまっています。しまいには「宅録が最高」とか「マスタリングはAIで十分」とか、これだけ見ると、マスタリングに100万掛けることがまるで無意味のような発言に見えます。

それを考慮せず、メディアもどんどん発信してきます。競争だからです。

 

だから若手への教育も変わっていかなければなりません。

そして音楽業界や受注仕事も少しずつ変化していくでしょう。

どんなに自分に嘘をついても、音楽制作のほとんどはAIに移行します。なんとなく音楽をやっている人は職が無くなります。弾き語り以外果たしてどれだけ生き残れるのでしょうか。だから音楽家は制作は機械に任せて「AI使い」になる覚悟をしていかなければなりません。

 

「感情が邪魔」というと語弊があるので付け加えます。

嬉しい感情も悲しい感情も体にはとても良い効果があります。仕事も創造的になります。

でもそれを頼って武器にしてしまうと、つかれます。情緒不安定になります。感情が入ると心が乱れるので仕事も出来不出来が激しくなります。そのまま偉くなっても

「今日は気分が乗らない」

とか言い出して、力が発揮できない理由を自分で作ってしまいます。こだわりだと思ってしまいます。でもそれは自分の首を絞めます。

感情は自由に表現し、心を豊かにしていくべきですが、心を感情で満たしてしまうと、心は言うことを聞かなくなります。人の心は幻想のようにもろく不可思議な存在だからです。

 

「不定調性論」では、音楽の印象を「心」を用いて把握します。その和音が適切か、このコンプのかかり具合が適切か、を教科書や前例に求めるのではなく、今の自分の心に聞くわけです。だから肝心の心が「今日は調子でない」等と思い込んでしまうようなレベルでいると、自分の心を信じようとはしなくなり、周囲の人の言葉だったり、教科書に書いてある設定だったり、和声学の教科書の伝統に、雑誌の最新号に掲載されている売れっ子プロデューサーの言葉に頼ってしまいます。それはそうなるように仕向けられているからなおさら魅力的に見えますが、全部あなたが作り出した幻想です笑。

そうやって、根拠に基づいた周囲も納得のいく答えはをその場では出せても、本人が一番不安です。

「もっと勉強しなきゃ」「このメーカーのコンプももっと使えるようにしなきゃ」

みたいに思ってしまいます。

こうなると学んだ知識で価値観がどんどん変化して、「もっと真理がほかにあるのでは?」みたいになって、新しいプラグイン購入に歯止めが効かなくなります。「一番わかる音楽理論」と言った本を買わずにはいられません笑。これは単に貨幣経済のワナ、であり、本当は新しいプラグインに真理などありません。

 

それより、心が豊かにフラットに柔軟にその状況を把握できて、なにも参考にせず

「うむ。これは今回については適切だろう」

ということができれば、どのメーカーのコンプでも関係ないし、和声学の教科書もいりません。あなたの耳が全てなんです。オオカミが森で生き抜くために学校で勉強しますか?偉い人間が彼らに何か教える必要がありますか?新しい狩りのテキスト要ります?

 

そうした野生の勘と余裕と自信が生まれるからこそ

「あ、ちゃんと和声学の勉強しよう」

と逆に思うわけです。この場合の勉強はそれで得た知識によって心が右往左往することはないので、本当に良い学習ができます。

「教科書にこう書いてはあるが、俺はこうだ」

と改めて思えます笑。ましてや教科書にあなたの好みが補完されようものなら「さすが俺」笑。まあ、それも日に日に変わっていくので、過信しませんし、謙虚になるし、心はどんどん柔軟に透明になります。

 

自分の真理はやっぱり自分の中にしかありません。そして「真理」なんてどこにも無い、ということを信じ始めます。。

 

仕事の場合もときに真理のぶつかり合いになります。でもお金を払っている人がその真理担当者なのですから笑、あなたの真理ははっきり言っていりません。むしろ邪魔です。相手が求めているものを作ってあげたいと思える行動が一貫すればよいのです。それができれば5分で終わることもあります。でもこれは楽しているのではなく、ガーーっと集中してやって終わってみたら5分で終わった、とかそういうことだけです。

 

といって自分がどれほど完璧か、とか言われると、そんな風なことは思えません。

やりながら求めていくのがクリエイティブの仕事ですから、成果や報酬が完璧であったことの証にはなりません。それが終われば次、次、とこなしていき、そこにこだわらず、相手の求めるものを提供し、一日菓子パンでもかじれたらなんと幸せな一日でしょう。それ以上を求めたら、それこそこだわりになってしまうし、ちょっとでも時間があれば悩んでいる人の助けになりたいです。戦場や飢餓の国を助ける、なんてことまではできそうにないので。せめて駒沢に来てくれる人だけでも生きる希望を一緒に見つけてあげたいです。おそらくそれもこだわりなんでしょうね。般若心経になる笑。そういうのも関係ないけど。

 

だから大きな声では言えませんが、一番自分を苦しめるのは「あなた自身」です。

でも、その心を殺して仕事をしてもダメですし、感情に依存して仕事をしてもダメです。といって「無心になる」なんて2000年ぐらい修行しないと無理ですから、全ての「心」といつも真剣に向き合い、一瞬堪能したら、さらりと受け流し呼吸が乱れないように努めるだけです。

 

ほらブログ書きながらも息止めてる。

 

いつもぎりぎりで気が付いて自分を律する四十路。

健康を大事に日々の仕事を楽しみたいところです。

成果を一緒に喜べる一瞬、あとはまた淡々とやっていきましょう。