音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

(動画解説・補足)不定調性論全編解説6〜存在しない音を探して

こちらの動画の補足を致します。


不定調性論全編解説6〜存在しない音を探して

   

もしあなたが違う音楽を選択していたら

この仮定自体がバカげているかもしれません。でもあり得る人だっていると思います。親父がジャズギタリストじゃなかったら、運命の彼女がバンジョー弾きじゃなかったら、一緒に組んだ時ドラムをやっていなかったら、等と考えることがあるでしょう。

もしそうなった場合はあなたは違う音楽をやっていたかもしれません。その場合今のあなたは違う音を発しています。その音はどこに行ってしまったのでしょう。

これは寓話かもしれません。

不定調性論は、あらゆる音の可能性を考えていきます。

「Aという和音の上で、どんなソロが弾けるか」

という時、通例は用いることのできるスケールを列挙するでしょう。それか実際に弾いてみてスケールではないアプローチで表現するかもしれません。しかし、たまたまその日風邪で休んであなたは演奏できないかもしれません。そしてもしあなたが今の音楽の道を進んでいた場合、あなたは今どこかの会社でパソコンを打っているかもしれません。この「Aという和音の上で、どんなソロが弾けるか」という問いは、数学の問題の「動く点p」と同じです。かなりそぎ落とされた問題提起です。その削ぎ落された問題だけを考えていると、いざソロを弾こう!!となったとき、スケールのポジショニングしか頭に浮かびません。それは音楽ではなく、義務教育からたたき込まれた「やらねばならない人の義務」となってしまうわけです。

いまあなたはステージに立ち、みんなの支えでライブができている、とします。

そのような中で自分がソロを演奏する、というのはどれほど幸運で、どれほど貴重な体験でしょうか。その時に湧き起こってくる感情があるはずです。そしてそれがソロになり、「あなたの訴え」になるわけです。その過程でスケールポジションなり、教則ビデオで学んだことが礎になります。でも礎の上に立っているのはあなたの人生です。

だからスケールに基づかないかもしれないし、ギターを振り回してぶっ壊すのがその時の自分の自己表現かもしれません。

でも学校ではギターをぶっ壊すことを教えてくれません。教えられるはずがありません。社会のために必要なスキルが優先されるからです。

だからあなたは自分自身で、今何をすべきか、どういう結果自分がここにいるのか、という原点に立ったうえで今なすべき表現を考えなければなりません。

だから「アドリブの取り方」という本に掲載すべきはスケールではなく、「その今の心をどうフレーズ化するか」であるべきです。スケールは本の後ろに表にすれば済むことです。ギターだったらチョーキング一発で全て表現できてしまうかも知れません。それはスケール本には書いてありません。それはあなたの心が導き出した答えであり、大切なのは、あなたの心が今はたらいているかどうか、です。そのために不定調性論は「感性」という言葉を繰り返し使っています。この「感性」というのはもっと人の根源的な存在であるので、普段の勉強をただやっていても育ちません。でも普段の勉強で「感性」が鍛えられるならそうすべきだ、と思い実践しています。

 

現実的でない音は出せるのか

 あなたの頭の中に「この曲は10億人の合唱で歌いたい」という欲望が浮かんで来たらあなたはどうしますか?

現実的には現代では難しいですよね。またはこんな「現実的でない欲望」は通例浮かんでこないかもしれません。

でも「感性」っていうのは常識を超えているので、より適切な答えをテクノロジーや人類の知識をとは関係なく瞬時にあなたに伝えてきます。これがコントロールできないと「あ、今死にたい」と思ったら飛び降りてしまうのではないか、という暗い衝撃的な欲望です。いきなりはなかなか身につくものではないと思いますし、やってて怖くなるような感性の成長にも出会うことでしょう。

しかしそれをより大きな心でコントロールして代案を探していきます。

インターネットで訴えてもいいですし、世界中をめぐってひたすら合唱を録音しミックスしてもいいでしょう。あなたがそう思ったのには必ず理由があると思うのです。世界中を旅したいからそう思ったのか、たくさんの人に会いたいからそう思ったのか、そのアイディアを恐れず、自分が望む方向に意識を拡張していけば、真の望みが見えてくると思います。

たいせつなのは「それが音楽を辞めることになる目的になっても恐れない」ということだと思います。あなたはあなたの願望から自分の生き方を見つけるべきだからと思うからです。

音楽学校にしても、大学にしても、生徒が辞めてしまっては困ります。だから音楽の版に内でサポートできるようにコントロールします。これも意識的に行っている、というより無意識的にそうなってしまうのです。

あらゆる可能性が生じても恐れない心でその願望の先を一緒にサポートできるのがこれからの音楽スクールや芸術関連の教室が行うべきことでしょう。

 

なぜそれを考えるか

おそらく、気持ちをフラットに保つためであると思います。

誰もが触れたがらないことですが、もしあなたがオリンピックの聖火を運ぶランナーとして10kmを走るとします。その際きっとすごい責任感を感じると思います。

「それを感じないようにしろ」

とするのが、この考え方に通じるものです。

「それを感じないなんて人でなしだ」

「そんな奴は聖火を運ぶな、汚れる」

と考えるのが普通でしょう。それには賛成します。でもよく考えてください。あなたがどんなに仕組みの中でしっかり動いてもあなたはいずれ死ぬのです。あなたの体はあなたに対して不都合を起こし、あなたのプレッシャーに耐えられず自ら崩壊していきます。

だから「それを感じないようにしろ」というのは、「背負えるギリギリのような重い責任感を背負う必要はない」という意味です。聖火にあなたの心を真っ白にしてもらえればいいのです。後は走るだけ、もし拒まれれば自分の火は消え、世界中から非難を浴び、自分はこの世界から消えなくてはならない、ということになっても良し、という人であろう、という意味です。

そのためには毎日、自分が求める仕事をすべきですし、やりたいと思うことに全身で取り組む必要があります。少しでも義務感のある仕事を大人だから我慢してやったりしてしまっては、いずれ身体は病に侵されてしまいます。少なくとも自分が望まない病を、という意味です。世間ではありません、あなたが望まない、という意味のレベルにおいてです。

     

選択されない音はどこに行くのか

選択されない音に意味はない、とするなら、あなたは選択した音に固執していることになります笑。固執はきっと酸欠を生み、体を蝕みます。命には固執は良くありません。煩悩とも言えます笑。

しかし固執無しに音楽はできません。

じゃあどうすればよいのでしょう。病になることへの問題は先延ばしにして今を楽しめば良いのでしょうか。いかにも「数万人のファンが待っている」とか「会社を維持しなくてはならない」とかという問題にすり替えて「自分の体はどうなってもいい」とか嘘をつきながらそれを行うのでしょうか。

この問題は勉強しても解決しないので学校では教えません。

80年間家族のためにがんばれればそれだけでいいじゃないか、と言われるだけです。

家族しか大事にできない人間になると、社会は壊れてしまうと思うのです。

自分の家族だけを愛する人だけの社会に真のつながりがどうして生まれるのでしょう。

 

これはきっとまだまだ問題提起すらされ始めたばかりの問でしょう。

古代人はそれがよくわかっていた、と言います。初めて組織を作り、つながりを作り、自分だけではない、と知った彼らにとって社会は素晴らしいものだったに違いありません。そうした社会が当たり前の私たちがその価値を感じられないのはある意味当然です。でも感じられないからと言って罪があるわけでもないと思います。

考える場を設ければよいと思います。それも音楽をやる人は、音楽を通してそれを考えるべきであると思うので、音楽理論という体系の中にこの話を埋め込もうと思うと、このようなテイストになるのかもしれません。

これは別に常に座標で考える必要はありません。

 

あなたにとって今のあなたの音楽は何なのか、自分はそれでいいのか、何を本当は今日やりたいのか、と考えることを避けない、あきらめない、頑張る!!という意味です。

頑張らないで毎日は楽しく生きられません。

 

貨幣経済から逃れる

なかなか難しい問題ですが、裕福になろうと思うと、どうしても貨幣経済に入らざるを得ないのですが、税金対策をしなければならないほど、つまり貯金をしておかなけばならないほど安心を求めて、それを裕福とするならば、貨幣経済のワナにハマってしまいます。私はレッスンで何名かの会社社長、役員という方にもレッスンをしています。

お酒を飲めばそういう話になります。

「お金は貯まらないよ」

と皆さん教えてくれます。

もちろん彼らのレベルで、なのですが、大切なのは「お金を回していくシステムを適度に作れるだけのシステムを組み込めれば貯金はいらない」というのが貨幣経済と上手に付き合うやり方だ、ということです。

つまり老後のために金を貯めよう、と思わせて色々な金融商品を買わせるのがこの国の最後の手段です。

でもそれにハマれば税金や様々な支払いで結局全てを失います。そういう仕組みになっているんです。そのための貨幣経済です。庶民に働ていもらう事、お金を使ってもらうこと、が大切だからです。だから金を納めてくれる範囲で健康あるか、薬を買ってくれるレベルで病気であってくれればいいんです。それはもはや奴隷に対してなされることです。

ゆえにまず悪いストレスのない自分の仕事を確保し、貯金は3か月暮らしていける程度にして、あとは上手に運営していくのが良い、ということです。

そしてぱったりいつの間にか倒れて死ぬ、という肉体を創るために、まあ自分はアーシングをはじめとした対策になるのですが、自然との会話を大切にする、というような生活を送れば、さほど「憂いによる現代的ストレス」はなくなります。

病気になって半年病院で苦しんで、多額の金を放出して死ぬ、という貨幣経済が作り出した完璧なシステムにハマってしまっているから、それを維持するための別の仕組みが出てしまうわけです。それを破壊しようとするアーシングのような原始的健康法など絶対にみとめないでしょう。でもそれによって人が健康になって、全く別の手段で人が豊かになれることが分かれば対策も変わるでしょう。

それまで何年かかるか分かりません。

貯金がないことは恐れるに足りません。それより、それによってストレスを感じていることが問題です。それは現代が求める、薬と病院に頼る生活しか待っていないからです。

さあ、これは根源的な問題を含んでいます。

 

音楽家はこれに取り組んで解決したうえで、音楽をやらないと、音楽に殺されてしまいます。音楽をやりたい、と願うなら、まずこの問題を解決してから取り組みましょう。

 

ぎゅーーーッと頑張っていきなりパタッと倒れて死ねたらどれほど幸せでしょうか。

 

そんなイメージ持って仕事出来たら幸せですね。

 

でもなかなか自分で悟りなど開けません。でも音楽を仕事にしている以上、音楽が作り出す世界観や問題をもっと見つめ、それを音楽を制作する力に変えていきたいと思っています。

 

もし音楽が「タバコ」と同じ、害の多いものだとしたら、どうでしょう。害とは社会的な負の性質を浴びてしまうあなたにとっての害、という意味です。

なかなかタバコを吸っているとき、その害を直視することはできないでしょう。

でも直視すべきです。そして害のない音楽をやるのではなく、覚悟して自分の求める音楽を追求する人生を社会に見せながら、次の世代の人たちがより柔軟な発想で芸術活動を行い、AIが生産仕事をしてくれて、より豊かな気持ちで人が芸術をより高いレベルで使用してくれる社会を願おうではありませんか。