音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

127,(事例61);Superstition(2017)

スティービー・ワンダーの名曲です。

この曲のコードもそのサウンドはもちろんなのですが、実はスティービーらしさがちゃんと出ています。

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==「スティービー・ワンダー楽曲研究レポート」「スティービー・ワンダー楽曲研究-リフトハーモニックリズムが作る音楽的クオリアと作曲技法(日本リズム研究会機関誌16掲載)」を参考に編集を加えています==


Stevie Wonder Superstition

事例61;Superstition
Intro(CDタイム 0:10-)
(使用音)e♭-d♭-a♭-b♭-g♭/e♭(E♭u4)
Aメロ(0:30-)
E♭u4(E♭mに該当)
A'メロ(0:50-)
E♭m7
Bメロ(1:09-)
B♭u4 Bla3 |B♭u4 Ala3 |A♭u4 |A♭7(またはB♭7(♭13)) |

(Bb7  B7(b5) |Bb7   A7(b5) |Ab7  |)
間奏
E♭u4(13) |E♭u4(13) |E♭u4(13) |E♭u4(13) |

(一般にはEbm7で考える)
~Aメロ~A' メロ~Bメロ~間奏-Bメロ後半~Intro
~Aメロ~A'メロ~Bメロ~間奏
間奏2(3:41-)
E♭m7(9) E♭m7 |E♭m7(9) E♭u4 |
~間奏パターン~A'メロ~間奏2~fade out

この楽曲は調性的にはE♭マイナーと位置付けられるが、旋律のリフが様々なパターンを作ることによって展開を構成している。いわゆる和声進行によって展開を作るのではなく、旋律パターンのリピートが繰り返す雰囲気をそれぞれ堆積することで、同じE♭マイナーに還元される流れがそれぞれのリフに彩られた雰囲気となってセクションを作っている。
※キーがある、というよりも主要モードによって構成されている曲、と解釈してみてはどうだろう(2016付記)。

 

 

機能和声論では、C△にさまざまなテンションを載せる。
CM7
CM7(9)
CM7(9,#11,♭13)
といったテンション表記でその和音の色彩感にバリエーションを与えながらギリギリのサウンドになっても、同一のベースによる類似したサウンド、と考えられている。

 

同曲のリフは、テンションとして表記するほどの重要性は帯びていない。基本はあくまでもE♭u4=e♭、b♭,d♭という単純三和音である(E♭u4は不定調性論における四度領域三和音を意味する。その構成音は、三度のない7thコード)。

つまりe♭をセンタートーンとした場合の三度が明確でない雰囲気をそのセクションが持っていることを表現している。従来の表記であれば、E♭7omit3という表記になろうが、これではE♭7を前提としてしまうため、アレンジの際にE♭m7という選択肢はいわば、楽譜の意図と異なる別のアレンジとなり、同様にE♭m7omit3としても同様な解釈が発生してしまうため、はじめから3度の存在しない和音形態を不定調性論は持っているのである。

 

A'メロ
今度はm3rdが鳴るため、E♭m7と表記した。これも同様にE♭u4(♭3)などと表記しても良い。ブルースの場合は、m3rdと三度が定められてもM3rdが混入してくる場合もあるためm7コードである、と限定しないほうが本来は良い(機能和声的発想に吸い込まれてしまう)。実際に原曲のこの部分ではm3rd音がM3rd音にチョークされたような音感(くいッと持ち上げられた感じ)を持っている。場合によってはE♭7(#9)という表記も伝統的にはブルース的なコード表記として見慣れているかも知れない。

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そして和声的要素と、低音の動き、そして横へのリフの流れが持つ雰囲気が混然一体となっているのがBメロである。
B♭u4 Bla3 |B♭u4 Ala3 |A♭u4 |A♭7(またはB♭7(♭13)) |
(一般の楽譜表記 Bb7  B7(b5) |Bb7   A7(b5) |Ab7  |)

のB♭u4 は先の和音と同様に三度を持たない7thコードである。またBla3というのは不定調性論で水平領域和声単位と呼ばれているコードで、構成音は、

Bla3=b,f,g#

であり、これはこの前の部分で鳴るB♭u4のベース音であるB♭が単純に半音上がって演奏され、結果的に縦割りした時の和声的解釈がBdim7のような構成になっている、というだけであり、それを不定調性論的に表現したに過ぎない。

 

ここではベースがうねるようにB♭のまわりを動き、最後にA♭に落ち着き、ブレイクではベースが明確には打たれない。このA♭7のところはベース音が存在しないため、調性音楽的にはB♭7(♭13)とかB♭7(#9)のような空間に感じられるだろう。

これはもうこの曲を演じる個々人が決めれば良い空間であり、通常ドミナントが来る空間である。こうしたスポットは「ハーモナイズポイント」と(不定調性論では-(2016付記))いうが、明らかにドミナントの雰囲気があるものの、明確に打ち出されていない。これはそこまで「ドミナントにしなくてはならない」という意識が彼らにないためであり、我々機能和声にガッチガチに固められた意識がない、という点が背景にあることが興味深い。

 

和音のイメージが進めば、サブドミナントとかドミナント、という本来意味の分からない曖昧なイメージではなく「裏側を突き上げるような和音」「S時カーブを急速に滑っていくようなリフ」という感覚で音楽を捉え、その感じたように演奏することが、結果的にスティービー・ワンダーとは違うあなた自身の同曲が完成するわけである。それが良いか悪いか、そういうことはあまり関係がない、と私は思う。


このBメロのようにコード進行ではなく「旋律的に動く」のはクラシック音楽(またはコード進行で考えないタイプの作曲による音楽)の特徴であり、流れに必然性が与えられるかどうかが、機能論ではなく音楽家のその音楽性に由来する。

 

急にコーダルな音楽が、モーダルな音楽に変化しているのに、ここを単純な「B♭7」という概念をあてがってしまうと、この曲の持つ曖昧なコード感によって作られているブルージーな流れ、勢い、汚さ、荒さ、が再現できない。

そしてそうした音楽を自在に表現するために、不定調性論は、ブルースの持つ独自性を機能和声に入れ込むための工夫を施していく。

 

===

「君を愛している」

という言葉は皆さんはどう聞こえますか?

とても美しく響くでしょうか。

しかし本来、仏教用語では「愛」は愛欲を表わし、本来たいそう忌み嫌うニュアンスを持つ意味合いを持つ用語です。

つまり「君を愛している」というのはとても強い所有欲を表わした感情的言葉であると言えます。でもまあ半分当たってるし笑、でも「愛」という言葉の中にもっと多くの意味とニュアンスをこめてその人は述べたわけです。

でもこうした意味の洪水によって、それらはあまりに簡素な響きにも聞こえます。

もっと自分の言葉で、今言いたいことだけを言う、ということは当然音楽にも要求されます。コードネームはCM7と書くだけで急に汎用的な意味に感じます。

だから普段さらっとコードから曲を作ってしまい、マンネリに陥っている場合は、ときには、コードで考えるのではなく、メロディの流れで自分が信じる方向に作ってみると「CM7ではないCM7」が生まれると思います。

 

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