音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

なぜ血液型があるのか〜音楽の教育現場から

日頃から様々な方に接していると、色々なタイプの方がおられます。

当然です。自分の教え方が合う人と、合わない人。褒めて伸びるタイプと、課題をたくさんあげて伸びるタイプ。それぞれにそれぞれの教え方があって、失敗したなぁ、と感じる時もあり反省することもたくさんあります。教えることは本当に難しいです。

その中で一つ気が付いたことがあります。ちょっと本筋から離れるかもしれないけど、教える立場に立つ場合は色々真剣だからいろいろ考えてしまうのでしょうか。そんなにこちらは偉くも凄くもありません。

ただあなたのことを本気でどうしてあげたらいいかマジで考えている時間が他の人より多い職業と言ったらいいでしょうか。その中でぽっと気が付くことを自分の備忘録として書いてゆきたいです。

   

人には血液型、というのがあります。これで性格がどうこうとか、相性とか、色々言われますね。

gigazine.net

こういう情報を見ても、気になるのは自分の血液型がどうだ、というだけでそれ以上のことは踏み込まれていません。まだ未解明の分野だからでしょう。

 

音楽を教えていて、気がつくのは、

「人に血液型があるように、様々な型があるのではないだろうか」

ということです。今私はアーシング(静電気除去と自由電子交換で血液をサラサラにして体内の様々な炎症を除去する仕組み)をやっていますが、

www.terrax.site

 

これが効く人、効かない人がいるとしたら、それはそれぞれの人の「型」の違いではないか、と思うのです。血液型かもしれませんし、もっと別のタイプで分類される方法論かもしれません。それが何かはわからないけども「万人に同様に効く」というようなことはありえないのではないか、と感じる、ということです。

 

だから有名人が「これはいいよ!!」と言っても、人それぞれに型があるとすると、効かない人もいるのではないか、ということです。

 

そうなると全て自分で試していかなければなりませんし、自分の「型」には何が効くのか、何が向いているのか、どう生きればいいのか、もこの「型」が性格に判明しない限り、わからない、ということになります。

 

薬のアレルギー反応も、それで説明がつきます。その型が何種類あるのか、どういう特性があるのかがわからないが故に起きることなのでしょう。

 

だから意外と、万人がいいと思っている常識が当てはまらない可能性がある、ということです。

「日本人なら和食」

が合わない人だっているのではないか?ということです。この辺も自分に真剣に向き合い、海外で生活したり、外国人と接していくうちに自然と見いだせるアイデンティティーなのだと思います。

 

これらが解明されて、将来小学校で、

「はい、これが君の型だよ、ふーむ、君はこのままいったら、身長は169cmで止ま流ようだね。あそれから牛乳アレルギーだね。それからアスピリンがダメらしい。あ、納豆が良いようだよ?あ、でもキャビアも効くようだね。海に入ったらダメだよ?入るたんびに遺伝子を気づつけるから入ったぶん50分寿命が縮まるようだ。」

こんなことがわかったら、人生が楽しくなる反面、冒険心が半分になってしまうかもしれませんね。でもそれはそれで進化だからもっと新しい段階に人は進んでいくものだと思います。

 

音楽の好き嫌いもこの「型」によって分けられるのかもしれませんね。

学校で「モーツァルトは素晴らしい!」って言われても、音楽に全く興味のない人は、そういったことをテストでいちいち優れた音楽家としてのモーツァルトを強要されるのは苦痛でしょう。自分が理解できないことへの静かなコンプレックスになるからです。

   

現代は「型」があることはわかるが、詳細まではわからない方が幸せ、なのかどうか。人それぞれですね。

だから音楽理論という意味でも、それぞれの理解や楽手方法があるはずで、たまたまネットで見た方法論が自分にフィットした!!という人は「ネットすげぇ!」になりますが、一方では「こういうデタラメばかり言う奴の言うことは聞かない方が良い、ネットは嘘ばかりだ」と思う人がいる、と言うわけです。いかにも主張がそれっぽい人の方に軍配が上がってしまうのが難点ですが、それもこれも結局はその人の「型」から生まれていることなのではないか、と考えるとちょっと楽でしょう。

 

また自分と似たような「型」を持つ人と出会うというのは最高に幸運です。人生のパートナーでもそうですし、友人、上司、先輩、家族。どのくらい人の「型」があるのかわかりませんが、巡り逢いですね。

また大きな影響力を持った「型」を有している人は、多くの人を率いたり、多くの富を有したり、時代のリーダーになる場合もあるでしょうが、決してそういう人が全てにおいてあなたよりも優れている、というわけではない、ということも理解することができます。

あくまでそういう素養があっただけで、リーダーではあるが欠点だってたくさんあります。あくまでそれは「選ばれた人」ではなく、自身の「型」が生み出した生き方であり、そこに究極の優劣などない、ということになります。

 

この研究の意味がどれほどあるのかわかりませんが、その「型」故に、上手に生きられず犯罪に走る人もいるわけで、その点での将来の悲劇を早期に収められるのであれば、そうした研究が進むことは良いことでもあります。

 

インターネットの出現で、人の様々な側面が浮き彫りになりシェアされています。

ここから学ぶべきことは多様性への理解と、かけがえのない自分への理解であると思います。

そしてAIが社会のほとんどを管理し、人はそれぞれが自分らしく生きていけるように、貨幣の有無で貧富の差が決まらないように、無限エネルギーの発見とそれぞれが宇宙に飛び出して自由に生きていけるテクノロジーを早く身につけないと、この星を自ら滅ぼしてしまうかもしれません。いや、星よりも私たちが先に滅びてしまうかもしれません。

 

だから現状の学習、仕事、活動の何歩も先に行く努力を自分もしなければならないな、と感じ、まず自分ができることは音楽という存在を自身の「型」の発見と育成、活動につなげてもらうための訴えをしようとこうして記事を書いています。

 

そうすれば音楽はもっと違う概念に進歩し人の精神を助ける存在に回帰するのではないか、と思います。

このトピックがどの程度有益なのか、自分でもよくわかりませんが、とりあえず書いてみました。