音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

第1感 「最初の2秒」が「なんとなく」正しい

マルコム・グラッドウェルの著書の紹介です。

 

   

この辺の著書を参考にしだしたのは、次の記事である、「本番で緊張しないようにするにはどうすればいいか」ということをレッスン内で解決する必要性を本気で感じたからです。

第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい 

 

今回は、その「緊張」についての話題以外の、「直感」について触れておきたいと思います。

一気に結論に辿り着く脳の働きを「適応性無意識」と呼びます。

音楽でいえば、ぱっと出来たメロディ、ふっと浮かんできたメロディ、制作中何となく選んだプラグイン、なんとなくそうした展開、そういったそれまでの活動経験から生まれる直感的な回答は、その後熟考して得られる結論と同様に、またはそれ以上に実は適切である、ということを指摘しているのが同書のポイントです。

 

同書の中では、様々な事例が書かれていますが、音楽に関わりのある人にとって一番興味深いのは、その緊張についての話と、最後のエピローグの話です。

仕切り越しのオーディション

と題されたエピローグで、人の先入観と、物事のあいまいさについて述べています。

まず、あるイタリアで活躍するトロンボーン奏者がミュンヘン・フィルハーモニーのオーディションを受けた時の話から始まります。33人の応募があり、選考委員に見えないように仕切りを設けてその向こうで演奏して公平さを競う、というやり方でのオーディションでした。演奏者のキャリアなどで演奏に審査員の先入観が入らないようにするためです。

 

オーディションが終わり審査員だけになると、音楽監督である男は、その演奏を聞いたとき「ほしいのはこの演奏者だ!」と叫びました。

しかし その後その人物を見た音楽監督は「どういうことだ!まったく!勘弁してくれ!」と叫びました。

それは合格した人物が、女性だったからでした。

 

「女性がトロンボーンを吹けるわけがない」

「トロンボーンは男性的な楽器だ」

こういう先入観が音楽監督を襲ったことでしょう。彼女は見事次の2回のオーディションも合格し、その地位を得ましたが、1年後第二トロンボーンに降格になります。そして裁判を起こし、様々な屈辱的な経験を経て彼女は8年後第一トロンボーンに復帰します。

     

 

いかにクラシック音楽を私たちは「目で判断している要素が大きいか」ということが分かります。

よく見る広告でも、容姿麗しい女性ピアニストや、華やかな女性四人の弦楽四重奏の写真を見ます。そういう写真を見るたびに「ああ、この広告を作った人は音楽の何たるかがまるで見えてないのだろう」と思ってしまいます。

 

マーケティング上、お客さんもそうした目で音楽を見ている、見せようとしている、という点でお客さんの程度もそのように見積もられている、ということになります。

本来音楽の個性は、演奏者がどのような趣旨と目的でそれらの曲を今演奏するのか、が大事であり、その曲が今新しく解釈され、新しく生まれる瞬間が一番の演奏会の楽しみであり、演者のカリスマ性というのはおまけです。格闘技の王座奪還戦に近いイメージです。ときにそれはショパンVS演者というスペシャルマッチでもあるからです。

もしマーケティングという意味では、そちらのほうの面白さを広告で教えずして、音楽は何時日本人の心に浸透していくというのでしょうか。もちろんショパンと自分を比較して対等である、と思っている演者が少ないのも問題です。挑戦者はみな王者に食って掛かっているではありませんか。それで負けるからこそ次への希望が見え、より大きな人間になっていく、というのが見ている側もすがすがしいものです。

 

勇壮なベートーヴェンの楽曲を演奏するオーケストラの団員がもし八割女性であるとしたら、さすがにイメージがおかしい、とかいう人もおられるかもしれません。女子十二楽坊、というわけでもない限り、男性と女性は半分程度になるのが確率上自然です。でも音楽が上質であるならば、それはそれで革命的な選択でしょう。でも果たして古参のお客さんがどう感じるでしょうか。この辺が難しいですよね。

 

こう書かれています。

「仕切りがあったからこそ、彼女はミュンヘン・フィルにふさわしい力があると認められたのだ」仕切りがなければ、演奏を始める前に不合格になっていただろう、というわけです。

 

この場合、無意識の瞬時の判断が物事の正確な判断を狂わせる、ということについて述べられています。同書の表題とは真逆の事を述べています。そして筆者は添えます。

「だが実は(無意識の瞬時の判断)は制御できる。」

そのために同書は本編の中で様々なトレーニング事例を述べます。特に緊張感の克服についてはヒントをもらったので次に記事にしていきます。

次の話も面白いです。

「メトロポリタン美術館では秘書や学芸員に頼んで、購入を考えている作品を意外な場所に飾ってもらった。たとえばコートをかけるクローゼットの中。ドアを開けるとそこに作品がある。その作品に好印象を持つこともあれば、それまで気づかなかった欠点がふいに見えることもある。」

現代美術とか「こんなの自分でも出来そうだな」みたいに感じるときがありますよね笑、これは物を知らないからですが、そういった作品もこうした試みの中でその価値が認められていったものなのでしょうか。

 

筆者がひげを伸ばしたら、やたらスピード違反で捕まるようになった、職務質問をされるようになった、という話も実際問題、世の中、というのはそうした「鍛えられていない、無意識の瞬時の判断」によって出来上がっているのだな、と感じさせられます。

 

もちろん優れた経験と勘を備えた警察官は、そうした先入観の先にある感覚を研ぎ澄ますトレーニングの大切さを知っているのでしょう。

 

では音楽の世界ではどうなのか、ということでたまたま今月号の「DigiRECO 9月号」の中に、楽曲コンペについて書かれていて、その中でプロデューサーは、

応募された作品は全部聴いている、正直言えばかなり大変な作業、

最初は作家名を見ずに、先入観を持たないように作品だけを聴く、

ということが書かれています。

 

結果的により良い作品、というのはやはりそうした厳しい目があって選ばれていくべきですから、あとは応募する側の精神面ですよね。

「どうせ自分の作品なんてちゃんと聞かれていないはずだ」

なんて思ってしまうのは、落ちた時の言い訳なのかもしれません。

 

そして採用になればなるほど、「ちゃんと聞いてもらっているぞ、気が抜けないぞ」という無意識への定着が起き、採用される人ほどどんどん良い作品のために集中していくことで、ヒットメイカーも限られて育っていく、ということなのでしょう。

 

無意識の直観力は、意識していない分怖いですね。

だからこそ、どうやってこの直観力を磨くか、ということについて考えることも創作者は必要なのでしょう。

音楽の場合、正解がなく、かつ形すらない存在ですから、なおさら無意識の暴君が暴れやすい分野です。聴く側も、やる側もかなり深いところまで意識を鍛えていかないとなかなか「ほんとうに理解できる」という境地には達せられないだけに、表面的なプロモーションで終わってしまうのでしょう。そして結果としてあいまいな答えしかないだけに「価値」が拡張せず「成功する数が少ない」業界なのでしょう。

でもこれだけ無数のが曲がリリースされている現代は、もっと好意的に迎えたいですね。人が自分なりに様々な直感力を信じ始めたからこそ、これだけのジャンルの音楽が認められている、ということなのでしょう。

 

不定調性論も作者の感性の育成をとても大切にしています。「自分にとっての正解を信じる力、構築する力」が大事だと考えています。