バンドの一向はヴァンの中か、道路脇で寝ることが多かったので、孤独になることは滅多になかった。彼らはガソリン代と食事代を工面するのに精一杯だったので、モーテルに泊まることなど論外だった。ガソリンは、バンドのTシャツがたくさん売れた時しか買えなかった。
「食事にするかガソリンにするかという選択はよく迫られたけど、ガソリンを選ばざるを得なかった。」...Heavier Than Heaven
お前が憎い。奴らが憎い。でも一番憎いのは俺自身。
スメルズで稼ぎ出した100万ドルはカートの健康を保つための医療費、娘のため、弁護士費用に消えて行きました。その過程で92年には自殺願望を高め、公言し、ホテルも一階に泊まるよう配慮するなど、周囲も苦労したようです。カートにとっての死はある意味で"完成"とも取れる欲望や意味を含んでいたようです。
人が幸福を目指すように、必死に助けを求めながらも彼カートは死を目指していたように感じます。
前回
5曲目"Lithium"
パターン1
D F# |B G |Bb/F C/G |A C |
パターン2
D F#/C# |B G |Bb/F C/G |A C |
パターン3
G A# |G A# |G A# |
短三度、長三度の根音移動が効果的に使われています。ちょっと表情を持っている曲です。何もする事が無い、休日のどんよりとした曇り空のようなAメロです。歌い方に焦燥感が出ています。彼の和音の三度への印象を表現しているようで、寒々しく、どこか裸の彼の心の中(というか"ある若者"の心の中か??)をのぞくようです。
皆さんは、
C |E |という進行や、
C |Eb |という進行にどんな印象を感じますか?
「退廃」とか「生きるのめんどくさい」とか「まだ生きてるんかオレ」的なイメージを感じますか?
もし感じたら是非曲にしてください。
たとえそれがニルヴァーナとは全く違った音楽になっても。それを表明する、という行為こそカートが残した"表現することに意味が生まれる"という大きな遺産だと思います。
この曲も不定調性的な和声進行です。
裏にいったり表にいったり、ダイスが回転するように主音の概念がぐらぐら動くコード進行です。これを拙論では「和声単位作曲技法」としています。
上記は読むのが大変なので、まとめて書きます。
・人は和音の連鎖にそれぞれ独自のイメージを作ることができます。
・その情感は理論で紙に書くことができる、というよりも脳内でぼんやりと感じるぐらいの心象です。
・A1というコードの後にB1というコードを繋げた時に、あなたの中に沸き起こる感情がどういうものか、がなんとなくでも表明できれば、その心象が「今作りたいと思っている音楽に沿っているか、合わないか」がなんとなく心象で判断できます。あっていれば採用し、沿っていなければまたぼんやりと別の和音を考えます。実に日本的な思想による、音選択です。
・この時音楽理論的思考をどのくらいするか、も個人差があります。個人の性格や学習歴にもよるでしょう。しかし最後は、自分がぼんやり感じる「この和音よりもこっちの和音かな」という感覚に全てを委ねるようにして作曲するのが不定調性論的思考として表明している方法論です。
・こういった何と無く感じる心象を「音楽的なクオリア」と言っています。これを感じるかどうかも個人差があるので、不定調性論的思考は、音楽的なクオリアを感じる人が用いるべき方法論である、と言えます。
===イン・ユーテロの話=======
『死にたいくらい自分が嫌いだ』と言うタイトルをつけるなら、訴訟も辞さない、と告げられて、やっとカートは他のタイトルを考え始めた。「ヴァース、コーラス、ヴァース」が候補に上がったが、最終的にはコートニーの詩から取った『イン・ユーテロ』に落ちていた。
(中略)
カートはできる限り『Nevermind』から程遠い作品を目指していたのだ。
こんな状態の人が作ったとは思えないキャッチーでパワフルな傑作だけど。Nevermindから離れることで彼らは自らの退廃性を生き埋めにしているかのような作品になりました。新作で「聴きやすさ」を作ったカート、本当に死ぬほど苦しんでいるジャンキーだったのか信じられません。やっぱりエンターテイナーだったんだ。ただのアウトローグランジ野郎じゃなかった。
========
6曲目"Polly"
パターン1
Esus4 G |D C B |
パターン2
D C |G Bb |
この曲も一貫しています。ここでのsus4も三度ではなく四度を鳴らしているというだけで、sus4としての効果を持っていません。不定調性でいうu4コードです。
わざと感情を隠して見せない進行感とでもいいましょうか。
皆さん自由に感じていいと思います。
パターン2もまるで心の中は嵐のように凄い風が吹いているのに、まったくそれを表面では表現しない、なんとも云えない若者の不器用な気持ちの表現を感じます。
(本当に不器用な人間は音楽で感情など表現できない)
7曲目"Territorial Pissings"
A |F |D |D |
これだけです。
気張ったところがないし、孤独や迷いを隠すところもなく「すみません、これが限界です。」とあっさり宣言するような虚脱感。日本人の侘び寂びに似たものも感じます。
このA-F-DはDが主和音だとすると、V-IIIb-Iになります。
A-Fにまた長三度(短六度)の移行が見られ、ニルヴァーナらしさ、というか、このアルバムらしさが出ています。
この曲。明るいですか?暗いですか?長調とか短調とか関係ありますか?私はこれを不定調性と括ることで伝統音楽を無視することなく独自解釈を積み重ねる価値観を作りました。
同じパターンを繰り返すことでどんどん萎えていた意識が勃起するような不思議な錯覚に陥ります。パンクやロックの魅力でもあります。隠れていた野性味とか反抗心を揺り起こしてくれます。
たとえばこれを
key=D
V〔D〕 IIIb subT | I T |
と分析できて、カートの言いたいことの何がわかるでしょう。でも学校が教えてくれるのはここまでです。
不定調性論的思考では、ギターの音を聞きます。声を聞きます。ビートがもたらす脈動を聞きます。そこから確かに「疾走感」「振り切る」「扇動する」「打ち砕く」という感情を拾っていきます。時には言葉や記号にするのではなく、ヘッドバッキングでそれに応えます。脳はただちに全てを言語化できません。ビートに反応する脳機能も発見されています。言語よりも、記号よりも高度な感応手段を持つのが脳です。言語化、記号分析はその感覚を還元しているだけで楽曲が表現している何かのフレッシュさが失われているとも言えます。
これらの表明は音楽理論の専門家ではない、一人の若者たちが編み出した民衆の音楽理解の方法です。それを楽しむ場がライブでした。
教室で聴く音楽理解もいいが、ライブで汗だくになるのもまた、その個人が感じている感想を表明することと同じことではないか?と彼らは音楽を通して言っているのです。
あとはみなさんがこの曲を聴いた時、どう感じるか、です。
・もし何も感じないなら、そういう脳機能を持っているので、それを活かす人生にしてください。
・もし何かを感じるなら、そういう脳機能を持っているので、それを活かす人生にしてください。
というだけです。人それぞれです。教育現場であなたを確立することは難しい時代です。これまでは「ベートーヴェンがわからないなら音楽やめなさい」というような風潮がありました。それしか価値観がなかったからです。
でも今はいろいろな生き方ができます。生き方を創造することもできます。
自分が一生懸命になれる分野を探して邁進していただきたいです。自分が正解だと思ったら正解というのが実際の世界の有り様でしょう。
カートは自分がやっていることを人が理解するのが理解不能だったのかもしれません。毛嫌いフェチとも言えます笑。
それまでの音楽にない適当な、こんな"雑なやり方のオレの音楽"になんで熱狂するのか理解できなかったのかもしれません。彼の生い立ちからくる自己否定のためですが。
でも現代なら答え合わせできます。
彼は人の暗部を音楽によって実にロックに、実にポップに表現できた人でした。
世界中にいた同じような音楽的なクオリアを持っている人をメジャーな場所に引き上げたんです。つまり"ベートーヴェンが理解できず虐げられたきた全ての感性"に対して先陣を切って市民権を与えたわけです。支持されない方がおかしいです。
ビートルズもまた同じムーブメントを起こしていました。ビートルズも「素人細工」と揶揄され続けました。社会の多くの大人が彼らがやろうとしていることを理解できませんでした。
当時はそういう教育ロジックが不足していましたから、不安分子は社会から反抗して生きるしかなかったのですが、現代はニルヴァーナの功績によって、またテクノロジーと脳科学の進化によって、そういった思想でも広告収入を得て生きていくことができる社会となりました。
その分、尖って生きる必要がなくなってしまったため、Youtube自体がぬるいメディア慣習に染まりつつあります。
メジャーが生まれることで、常に新しいアンダーグラウンドがなければなりません。
そこを居場所にする人が必ずいるからです。カートの苦労もまた、アンダーグラウンドだった自分がメジャーになっていくことそのものにあったのではないでしょうか。
現代は自分がどう感じるか、を表明しても良い時代になりました。
昔は表明する場所がなく、パンクをやるか、学校のガラスを割って何か事件を起こすしかありませんでした。
自己否定しながら上手に音楽を表現する、なんて狂人ですらままならないでしょうが、カートはIn Uteroを作った。もうそれだけで燃え尽きてもおかしくない、なんて思えてしまいます。自分の中の悪魔を調教してレイプして一枚のアルバムを作ったような。
これが才能というやつか!
8曲目"Drain You"
パターン1
A C# |Gb B |
パターン2
E D |B |×4
他これに付随したキメがあります。
このアルバムの中の曲としては展開も示唆に富んで凝っています。
一小節に二つのコードをキメて演奏していく、のがパターンになっているようで、
これはさすがにここまで聴いてくると、バリエーションの限界を感じます。
このアルバムは1枚で完結する運命にあります。
ビートルズも同じことを感じていたでしょう。故にあれほどアルバムごとに違うテイストを発明し続けた、という意味でもモンスターバンドでした。
まるで自分の人生に限界を感じていくような、"突き破れそうにないと思わせてくる限界"をカートも感じたのでしょうか。
ニルヴァーナ和声が作り出す感覚は「退廃的」でどうしようもないくらいルーズだから、これを弾いて、毎回歌うのは相当精神的にもヘビーなのではないでしょうか?
ましてや繊細な人物なら。
だから弾けば弾くほど落ち込むわけで。
この諸刃の剣。どうすればよかったいのでしょう。
カートの生き方はあれ以外存在しないような人生のように思わされます。
そういう意味でオアシスやレディオヘッドは、その先のもっとアクティブな答えを見つけたのかもしれません。
このアルバムの歌詞。意味があるのかな?これもフェイクなんじゃないかな、本当はこのコード進行の感じにカートの本性の叫びが繰り返されているだけなんじゃないかな、なんて感じました。言葉にうまく乗らなかっただけで。
ネヴァーマインド<デラックス・エディション>
その4に続く。