音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

水平思考の世界2~論理が答えを引き出すとは限らない

2017.8.17-2019.8.10(更新)

前回

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『水平思考の世界』の言葉

なかなか自分を刺激してくれる言葉があるので、この記事ではいいとこ取りでピックアップさせていただきます。

新しい穴を掘り始める理由は、古い穴への不満、古い穴に対する全くの無知、人と違うことをしたいと言う気質的な欲求、単なる気まぐれなどである〜しかし掘る穴を変えることは、稀なことだ。なぜなら従来の教育がそのように仕向けている面があるからである。教育は先達がすでに掘ってくれた穴のありがたみを分からせるように設計されているからだ。

よくよく噛み締めたい指摘ですね。

 

議論に負けるということは、既成のアイデアから抜け出して新しいものの見方を獲得するということである。

自分よりもっと勉強している人や、もっと優れた見方をできる人はいるわけで、そうした人からの指摘を心から受け入れられるには、自分が日頃から一生懸命自説に取り組んでいる必要がある、と言えますね。

 

見慣れない状況は常に、見覚えのある部分に分解される

人にとっての見覚えのある部分の序列、というのはそれぞれ違うはずなので、新しい作品を聴くと、それぞ自分が把握できる単位の情報に分解して把握しようとする、ということだと思います。

議論によって相手を論破するのは、「自分の見覚えのある部分」がより多くの人に共感を与える、というだけで、別に宇宙的な真理ではありません。たまたま同じような人が住んでいる国にいたから、その説が支持されたのであり、それは今現在は常識かもしれないが、いずれはわからないわけです。だから議論に値するのは、本当に自分の人生において大切と考える内容について、人と話し合うことで、自分の観点が変わったり、生き方がより良いものになるかどうかであり、どうでも良いことを争点に議論の勝ち負けだけで議論が展開されても時間がもったいない、ということを知る必要があります。

 

「すでに適切な説明がなされたものについて、新しい情報に照らして、慎重に考え直してみようとする人がどれだけいるだろうか?」

これも常識人には耳の痛い話でしょう。多くの権威によって、歴史的価値とも言える価値が確定されているものをも疑え、という教えです。なるべく見て見ぬ振りをする視点だと思います。

 

「想像力には限界があるが、偶然には限界がない」

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作曲も偶然の連続です。自分がコントロールしているように見えて、様々なトラブルや思い違いによって生まれる偶然的なフレーズに助けられています。

作曲思考としての不定調性論も、こうした自然科学、先端科学、脳科学などがもたらすデータをどのように創作活動に活かしていくかをどんどん学んでいくレッスンにしていくべきだと訴えたいと思います。

 

 

 「おそらく新しいアイデアを生み出す際に最大の障害となるのは、全ての段階で常に正しくなければならないという考え方だろう」

同書では、マルコーニ(イタリアの発明家、無線開発者)の無線通信の話が載っています。無線電波をどんどん遠くに送る実験で、大西洋の向こう側に電波を送る実験を考えたが、当時の専門家たちはこのアイデアを一笑しました。電波は直進するから、地表のカーブに沿わず、宇宙空間に電波は逃げてしまうだろう、と考えたからですね。

しかし実験は成功します。当時の専門家たちもマルコーニ自身も地球の「電離層」があることを知らなかったが、見事にその電離層によって、電波は跳ね返されたのです。自然の構造がマルコーニが考えた論理性とは違っていたことにより、常に厳格なまでに論理的であったならば(他の専門家であれば)絶対に到達し得なかった答えを得たわけです。

世界は全て解明されている、とは考えてはいけない、ということですね。

 

現代においても、実は自然界のことはほとんど分かっていません。我々の文化や思想、常識は、その上でに成り立っている砂上の楼閣であり、新しいこと、新しい創造物を作る場合は、それらの楼閣を片っ端から壊す覚悟で作業にあたる必要があります。そして失敗によって自分の考えを新たにして成功するまでやめない、という姿勢が必要ですね。

 

その他にも本書には、偶然発見されたペニシリンの話や、アドレナリンの話などが掲載されています。

通例の思考(本書では「垂直思考」という)の弱点は、

・結論に至る道が1本でも見つかったら、他を見つける必要がなくなる

・新しいものを作るとき、既存の論理を指針に進めてしまうと、結果が出ない場合がある。

 

目の前の金網を破ろうとして必死になる、というアレです。一歩下がって裏から回れば少し脇に回れば金網はないかもしれない、ということに気がつかない、よくあることです。また前者は、裏に回れば良い、という方法を見つけると、それ以外の方法を探る必要はない、ということが裏目にでることもある、ということです。これは映画などでよく使われますね。相手が裏に回ることを予期して、そこに罠を仕掛けておけば、観客も見事に騙されます。さらに観客を驚かせるには「そんな手があったのか」と思わせなければなりません。普段でも使えそうですね。

 

本書には二人の母親とソロモン王の話が載っています。

赤ん坊の母親だと主張する二人の母親を吟味して、ソロモン王は

「赤ん坊を二つに切って双方に半分ずつ与えよ」

と指示します。

すると本当の母親は「我が子が殺されるのを見るよりまし」と相手の女性に赤ん坊をゆずります。これにより王はどちらが母親であるかを見定められる、とした寓話です。

問題の解決のために、一旦解決から遠ざかることによって見える答えがある、としたわかりやすい寓話ですね。

 

もちろんこれだって「両方の女性が本当に自分が母親だと思っていたら」解決しません。そうした場合あなたならどう考えるか、こういう問いを問いかける必要が現代ではあると思うのです。

水平思考の世界 

締め切りに追われているとなかなか音楽でもこういう思考に転換できることは稀ですが、意識して共有することでもっと音楽制作の現場や業界が変わるかもしれません。進化を信じて古きもの、古代の知恵を学習しようではありませんか。