音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「期待の科学」3

いつも人生に不安を感じていたら子孫は残せない

ゆえに、人間は楽観主義にならざるを得ないように進化したのだ、と書かれています。

   

 確かに、死ぬことが分かっていてそれがいつも不安で頭から離れなければ、子孫を残そうとか思いませんものね。楽観主義は本能を活性化させるための手段であるからコーチングなどで活用されるのでしょう。

でも楽観したら人生が変わる、という事はないでしょう。だから行動して、あきらめず、どんな現実を突きつけられても諦められないくらい好きなことを探せ、と言っているわけです。まあ考えてみれば当たり前のことです。

「期待」の科学 悪い予感はなぜ当たるのか 

 

「人間にとって、総じて未来は過去より明るいということだ」

そう思いたい生命体なんですね。生き抜くためにも。だからネガティブになれば、病気にもなるし、行動力も出ません。ポジティブで成功することもあるでしょう。

でもポジティブでも事故や病気、トラブルは必ず起きます。平等に起きます。

同書によれば、軽いうつ状態にある人のほうが、正確に未来を予測する意見を出している、ということです。ポジティブな人は自分は病気などならないと思っているから、その確率を進めば進むほど減らしていけるのでしょうが、その一瞬を切り取ったら病気の起こる確率は未来をフラットに予測できるうつ状態の人の方が的確だ、というわけです。

面白いですね。

大切なのは、正確な予想ができても、それはポジティブで変えられる可能性が上がる、という事です。

 

脳の働きは、未来の幸福を考えた時、活発になるそうです。

感情と縁が深い偏桃体と吻側前帯状皮質(rACC)という領域だそうです。

 

人生の過程で何をやっても最後は死んでしまう

この事実をどの程度丸ごと受け入れられるでしょうか。脳はそういうことのリアリティを本能的に避けようとしています。そしてこれを本当に理解したら、なにもやる気が無くなりますよね。やっぱり目的を達成し、一瞬でも幸福を味わい、それを連続させ、何も後悔がなく死を迎えたい、と思っているはずです。

そのために脳が事実を騙す必要があるわけです。また脳の欲求に従うことが生命体として図太く生きるための工夫なのでしょう。

真実を受け入れられる人はなかなか少なく、自分の判断で、ほとんど好き嫌いで決めているわけです。そしてそれを補う科学的根拠を探します。そうするとそれっぽい科学的根拠しか見えなくなります。

その科学的根拠も100年後は正しいかどうかわかりません。

だから「俺の方が正しい、こいつはおかしい」というだけ時間の無駄、というわけです。 

だから人生でやりたいことを見つけ、それを職業にしたり、食い扶持にして生きることが一番自分に対して正直になれるし、その精神的な安定が他人への配慮にもなります。

決して何らかの心のメソッドが人生を幸運に導くのではなく、幸運はやはり幸運であり、ポジティブに生きていたおかげで何とか手に入れたたった一つのもの、かもしれません。確率で言えば、もう金輪際あなたには幸運などないかもしれない、というのも客観的な事実です。でもそれは受け入れられないでしょう?また脳は受け入れません。受け入れないように頑張るからこそ自分が求める結果を得る確率も上がるのでしょう。

でも彗星が急に落ちてきたら終わり。何か良いことをやったからご褒美がもらえて生き残れる、ということは保証されません。宇宙の影響力はとてつもなく巨大です。鼻先の細胞の端くれのゴミみたいな小さな存在が隣の細胞のごみを取り除いてあげた影響力がどれほど宇宙に影響を及ぼすでしょうか。いろいろ考えさせられます。でもそんなこと考えても無意味だから、脳は世界を騙して、子孫を残せよ!と呼びかけ続けるのでしょう笑。

     

 

 

ゆえにたとえ今後一切幸福がなくても、万が一の確率を目指して生き抜くのが人の生命力を強くするんだと思います。だから金銭的な達成や、社会的な地位の向上が訪れなくても生命力の幸福度は存在する、というわけです。

お金がたまっても幸福ではない、というのはお金がない人が信じたいやっかみであって、または稼がせず会社員で奴隷のように働かせるための理由に使われるだけであって、そんなことよりも、自分はやりたいことをやっているか、ということを問い続けて自分の人生を自分の意志で貫く方が無条件な幸福を得るわけです。

そこに型があるわけでも前例があるわけでもなく、それは自分自身しか知りません。その幸福度を犯罪行為によってしか得られない人こそ本当に社会的な不幸者です。でもそういう人がいることも事実です。

 自分に幸福をもたらすものは一つだけではないはずだから、一緒に社会のために役立って人に喜ばれて自分も満足する、という事を見つけるために、この地上で満足して生きるあり方として自分の脳を進化させていくことに努力するべきなのでしょう。

 

ホテルの備品が勝手に持ち帰られて困る場合

「当ホテルでは他のホテルで起きるような、備品の紛失はほとんどありません」

と書くのが良いのだという。

人は他の人の評価を気にして生きるので、この方が効果的なのだといいます。

 

でも逆に「じゃあ、一枚ぐらいいいか」って言って盗む人もいるでしょうね。人は多様ですから。ひょっとすると「じゃあ2枚ぐらい無くなってもいいだろう」とか笑。

こういうのは実際にやってみていただいて分かる事ですもんね。客層とかにもよりますし。でも人の本能を突いたうまい言い回しだと思います。

 

なぜスマートフォンを買うのか

面白い見方が書かれています。

2009年のハーバード・ビジネススクールの教授の論文に関連して、同問題(同書には「スマートフォン」とは書かれていない)を、

「自分の選択が他人に知られ、評価されると知っているときには高価で多機能な電子機器を買う人が多い」

ということなのだそうです。使いづらい機能も、ほとんど使わない機能も多く、画面の割れのリスクが高いのになぜ買ってしまうか、の答えですね。サポートが充実した頑丈で燃費の良い国産車ではなく、真逆の某ヨーロッパのスポーツカーを買ってしまうような行動ですね。

言われてみれば納得ですね。自分もそうでした。ここで買っておいてみよう、とか、そういう潜在意識の裏には独特な消費行動欲求があったのですね。

だから宣伝も必要。良いものが必ずしも売れるのではなく、消費行動をしっかり促進して初めて経済的な結果も出る、というわけです。

追加の研究結果で、15機能がついている機器と30機能がついている機器でどちらを選んだ人を他人がどう評価するか、という結果で、多機能なほうを選んだほうが、

・テクノロジーに明るい人

・新しいものに積極的に取り組む人

という良いイメージを他人は持つのだそうです笑。

 ゆえに新しいものを手に入れる人は、総じて何かが優れた人、のように見えるのですね。これもトリックだとは思います。

 

おばあちゃんの知恵が廃れるわけです。

この問題の本質は「地球上での科学的性質や法則は何一つ変わっていない」ということです。

だから新しいものが良い、わけではない、のです。

人が知る「法則」は新しくなっていますが宇宙がそれによって何か新しくなるわけではありません。「科学的根拠」は宇宙の真実ではない、というわけです。怖いですね。権威による洗脳。だから自分でたくさん学ばないと社会的な意見を言うことができない、という考え方は好きです(好き嫌いですが笑)。

重要な学びですよね。