音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

「期待の科学」2

欲求があるから、行動が起こせる

これをやりなさい、これをやるべきだ、では人は「本気」で行動できません。

本当に信頼していないからです。脳は実際に得られた時よりも、得られるかもしれない、と思ったときの方が活性化する性質があるそうです。

   

 

今日もこちら。

「期待」の科学 悪い予感はなぜ当たるのか 

ギャンブルがまさにそれで、お金が儲かる事よりも、儲かるかもしれないと思うことが極度に習慣化して中毒になります。脳の報酬系の作用の強力さを感じます。負けても「次は必ず」となりますから、さほど負けに絶望感を感じないそうです。まあ限度があるでしょうが。「自分は当たる」と思い込んでいるからだそうです。

でもこれって逆手にとれば、「俺は夢を絶対叶える」と信じる事でもありますよね。

ギャンブルは負けることが大半、という仕組みになっているわけですが、人生の目標は誰でも平等に戦うチャンスがあるわけですから、夢が叶う、という人もいるわけで、これが脳の効果であれば、もっと早い年齢から教えてもいいと思います。音楽や芸能活動への練習、努力の側面をいかに有益に行うか、というところに通じているからです。

褒める教育、やって見せる教育、アドバイス、応援、自己暗示、いろいろな要素を自己流に開発していかなければならない多くの技術者、アーティスト、アスリートにとって、脳科学の学習は欠かせない分野になるのではないでしょうか。

 

邪魔なCMはドラマを面白くする

2009年の実験が紹介されています。同じ番組をCMなしと、やたらCMが入るバージョンでみてもらったら、CMが邪魔してくる方がその番組に対する評価が高かったそうです。

CMが入ることで、次の展開への期待がそそられているのに人は意外と気が付かないんですね。これも脳が、未来を予測し、次にどうなるか、を考えずにはいられない器官であるからという性質によるものなのでしょう。

 

たとえば、音楽の3時間の講義を、30分おきに休憩を入れて、次の展開に期待させて実際にそれなりの内容にすれば、効果があることになります。もちろんほかにも応用できるでしょう。

 

期待感を求めるから満足しない

幸福を求める、というのは、結果的に「現状への不満」を露わにしてしまい、現在の幸福度を下げたままにしてしまう、という事です。

でもこれって、未来に強い希望を頂けば「報酬系」が活発になるのではないかな、と思うのですが、漠然とした未来への幸福に強い臨場感を持って臨むのは大変です。

ちょっとしたことで失望の度合いも大きくなる、という事なのでしょう。

     

高いワインは本当に美味しいか

ポイントは、上手に自分がうまいと本当に思えるワインを探す、ということだと感じました。「好きだと思うと好きなる」という事が同書にも書いてありますが、まさしく脳が引き起こす一番のトリックなのだと思います。

 

音楽制作で一番のタブーは、

「ちょっとhighをもちあげてくれる?」

「分かりました」

「。。。。。。」

「あ、いい感じだねえ」

「あ、まだ上げてませんよ?」

です。

どんなに優れた人だって、これがあり得ます。プラシーボしかり、高級ワインしかり。

凄い人が「これはフランスのコンクールで10年連続金賞を獲っているワインです」と言われたら、旨そうな気がしてくるし、旨いと言わないといけないような気がしてきます。同書ではインチキをして金賞を実際に取ってしまう例が書かれていますが、もうめちゃくちゃタブーです。

脳はそれくらいあいまいだから、それを商売にしている人は、夜も眠れない恐怖もあるでしょう。

味覚は特に「期待の情報に乗っ取られやすい」のだそうです。ワインがブラインドテストで伝統の味を簡単に凌駕してしまう田舎ワインが出てくることがあるのもそういう理由でしょう。

ゆえに音楽のコンペなどの作品も、音が良く、イントロが素晴らしい、と人の心をつかむ、というのは一種のプラシーボと同等の効果である、と考えることができると思います。ゆえにいくら歌詞が素晴らしくてもサビのメロディが素晴らしくてもイントロがつまらなければ消される、というわけです。

イントロの音の良さに全力で取り組みましょう。これは秘訣、というより脳の仕組みなのです。

ましてや優れた作曲家の作品だ、と言われて聴かれて、期待の遥かに下であった場合、期待値が高かった分不味く感じるそうです。

音楽のコンクールも、コンペも(特に応募作品が多い場合)、歌謡何とか大賞も、そうした意図が入らないわけがありません。ましてやその賞によって会社の次年の利益が左右されるのだとしたら、そこに人の思惑が入らないわけがありません。そういう脳の仕組みだからです。

 

ゆえに、そうした競争は、そうしたことで利益を上げないといけない人達のゲームですから、一般の人がそれに巻き込まれる必要はありません。必要に応じて使えばいいのです。

 

音楽は自分で「いいなこれ」って思ったものが最高なんです。

でも人がイイナっていうものを聴いて、影響をされて自分もいいな、って思うと、自分は他の人と一緒でマトモダ、っていうことで報酬系が満たされることもあります。

どんだけあいまいなのか、分からないくらいあいまいなのがアートの世界。

いろいろな思惑や偶然が左右する世界。そこで生きていくためには自分の確固たる道を作り、それに邁進することで、一人、二人、とファンを増やす活動しかない、という事も分かると思います。波に乗ってもそれは「皆と同じであることを満たそうとする他人の報酬系が個人にもたらしたもので自分の音楽の魅力の割合はごくわずか」とか思っておけば良い、というのが脳の事を本当に理解したときに見えてくる真実なのかもしれませんね。それを人が受け入れるとき、アートは大きなパラダイムシフトが起きるのでしょうが、脳そのものが進化しない限り、この構図は変わりません。

 

ゆえにその性質を上手に使って音楽活動に取り組む、というのが未来人の音楽なのでしょうか。どこか、幽霊はいないかも、ってもうほとんどの人が思ってしまった現代で生きようとする霊能者、みたいな感じにもなりますね。この辺は即断せず、もっと勉強しよう。

 

ワインは「こういう味のやつがいい」と頼んで持ってきてもらうのが一番いいように思います。自分は薄いのが好きだから100円ワインとか、とてもおいしいし笑。