2017-08-07→2019-8-3(更新)
前回
欲求があるから、行動が起こせる
これをやりなさい、これをやるべきだ、では人は「本気」で行動できません。
信頼していないからです。脳は実際に得られた時よりも、得られるかもしれない、と思ったときの方が活性化する性質があるそうです。
今日もこちら。
ギャンブルがまさにそれで、お金が儲かる事よりも、儲かるかもしれないと思うことが極度に習慣化して中毒になります。脳の報酬系の作用の強力さを感じます。負けても「次は必ず」となりますから、さほど負けに絶望感を感じないそうです。
「自分は当たる」と思い込んでいるからだそうです。
でもこれって逆手にとれば、「俺は夢を絶対叶える」と信じる事でもありますよね。
ギャンブルは負けることが大半、という仕組みになっているわけですが、人生の目標は誰でも平等に戦うチャンスがあるわけですから、夢が叶う、という人もいるわけで、これが脳の効果であれば、もっと早い年齢から教えてもいいと思います。音楽や芸能活動への練習、努力の側面をいかに有益に行うか、というところに通じているからです。
褒める教育、応援、自己暗示、いろいろな要素を自己流に開発していかなければならない多くの技術者、アーティスト、アスリートにとって、脳科学の学習は欠かせない分野になるのではないでしょうか。
邪魔なCMはドラマを面白くする
2009年の実験が紹介されています。同じ番組をCMなしと、やたらCMが入るバージョンでみてもらったら、CMが邪魔してくる方がその番組に対する評価が高かったそうです。
CMが入ることで、次の展開への期待がそそられているのに人は意外と気が付かないんですね。これも脳が、未来を予測し、次にどうなるか、を考えずにはいられない器官であるからという性質によるものなのでしょう。
たとえば、音楽の3時間の講義を、30分おきに休憩を入れて、次の展開に期待させて実際にそれなりの内容にすれば、効果があることになります。もちろんほかにも応用できるでしょう。
期待感を求めるから満足しない
幸福を求める、というのは、結果的に「現状への不満」を露わにしてしまい、現在の幸福度を下げたままにしてしまう、という事です。
でもこれって、未来に強い希望を頂けば「報酬系」が活発になるのではないかな、と思うのですが、漠然とした未来への幸福に強い臨場感を持って臨むのは大変です。
ちょっとしたことで失望の度合いも大きくなる、という事なのでしょう。
いまが幸福だ、これを幸福とすべきで、ここから動き出そう!と思えればよいのでしょう。
高いワインは本当に美味しいか
ポイントは、上手に自分が美味いと本当に思えるワインを探す、ということだと感じました。「好きだと思うと好きなる」という事が同書にも書いてありますが、まさしく脳が引き起こす一番のトリックなのだと思います。そのため評価が定まってしまうまではなんどもなんども露出しておく、という宣伝方法はファンを増やすのに重要な宣伝方法と言えます。
音楽制作で一番のタブーは、
「ちょっとhighをもちあげてくれる?」
「分かりました」
「。。。。。。」
「あ、いい感じだねえ」
「あ、まだ上げてませんよ?」
です。
どんなに優れた人だって、これがあり得ます。プラシーボしかり、高級ワインしかり。
脳はそれくらいあいまいだから、それを商売にしている人は、夜も眠れない恐怖もあるでしょう。
味覚は特に「期待の情報に乗っ取られやすい」のだそうです。ワインがブラインドテストで伝統の味を簡単に凌駕してしまう田舎ワインが出てくることがあるのもそういう理由でしょう。
ゆえに音楽のコンペなどの作品も、音が良く、イントロが素晴らしい、と人の心をつかむ、というのは一種のプラシーボと同等の効果である、と考えることができると思います。
ましてや優れた作曲家の作品だ、と言われて聴かれて、期待の遥かに下であった場合、期待値が高かった分不味く感じるそうです。
音楽のコンクールも、コンペも(特に応募作品が多い場合)、歌謡何とか大賞も、そうした意図が入らないわけがありません。
音楽は自分で「いいなこれ」って思ったものが最高なんです。
でも人がイイナっていうものを聴いて、影響をされて自分もいいな、って思うと、自分は他の人と一緒でマトモダ、っていうことで報酬系が満たされることもあります。
どんだけあいまいなのか、分からないくらいあいまいなのがアートの世界。
ワインは「こういう味のやつがいい」と頼んで持ってきてもらうのが一番いいように思います。自分は薄いのが好きだから100円ワインとか、とてもおいしいし笑。