音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

『138億年の音楽史』より

今日のお題はこれです。

 138億年の音楽史 (講談社現代新書)

本文290ページの中にコンパクトに著者の視点で宇宙の誕生の音についてから商業音楽、DNAの音楽まで専門知識がなくても十分に読み物として面白い内容で展開していきます。幅が広すぎて事実の検証が難しいので、科学書というよりも芸術に対して広い心が持てる人にとってのインスピレーションの書です。

   

ここでは私自身が気に入った内容だけをピックアップしておきますのでご興味を持たれた方は是非。

 

はじめに音があった

ビッグバン直後の宇宙は、「原子大気」のようなものに満ちていて振動を伝えることができたのだ、と書かれています。つまり音が存在出来たのだ、というわけです。

もうこれだけでロマンだ。お腹いっぱい。イメージできません。

またさらに「神の素粒子」といわれるヒッグス粒子の音楽が公開されています。

www.youtube.com

これトロピカルですが、この音に置き換える解釈は不定調性論でも述べている通り「個人の解釈が入り込む」ので、機能和声的にしようと思えばそうなるし、そうしないようにすればそれを避けることができます。

逆を述べれば、まだまだ音楽への理解というのはこの程度なのだ、なんて思ってしまったりもします。12音に置き換えて普通になるのは当たり前です。

でも興味関心はやまないですね。

 

ピュタゴラスという"人"

存在していたのかさえ怪しいピタゴラスという大賢人の厳然たる歴史的証拠のみを徹底的に吟味して解説を付けると、大枠の生涯の流れと、彼が竪琴を奏し、弦の長さの組み合わせで美しい音がなぜ出るかを考え、その調和の根底にはパターンがあり、これが自然の裏に潜む秩序であり、それを数を通して理解しうることをした人物、という記録があるのみだそうです。

 

鍛冶屋の前を通って、そのハンマーの音から世界の調和について気が付いた、というエピソードが有名ですが、事実かどうかはともかく、人は見るべきものや見たいものが定まると、鍛冶屋のハンマーの音から世界の調和を見いだせる、というわけです。

つまり人は好きなこと、興味のあることを追いかければ追いかけるほど、答えが世界の中から見えてくる、という成功者の発想を示していてちょっと震えますね。

 

普段聴いている高速道路のノイズから自分は世界の調和を見つけることができるのかな。

 

アリストテレスは、音楽は魂の動きや状態(やさしさ、怒り、勇気など)を模倣したものだから、聴き手に同じような感情を呼び起こす、と言ったそうです。

これはいわゆる音楽的クオリアについての記述ですよね。

彼は「間違った音楽は間違った人間を造り、正しい音楽は正しい人間を造る」としました。現代においては「解釈の数だけ"正しさ"がある」わけです。

音楽が引き起こす感情や印象についてはこんなに古くからこれほど深く理解されていたんですね。

 

またデカルトも処女論文は「音楽提要」という音楽論から人の感情と音楽についての書かれているそうです。「音楽の目的は、心地よくすること、様々な感情を我々のうちに惹き起こすこと」とあるそうです。

これはまさに不定調性論で、ポピュラーミュージックを理解するときに使う言葉です。

これらを機能解析や和声分析ではない音楽鑑賞の最も重要な認知学、としたとき、人の脳はどのような計算をそこでしているのでしょうか。

いずれデカルトの音楽論もアリストテレスも読んでみましょう。

 

プロテスタントによって作られた機能和声

だいぶ大雑把な解説で恐縮ですが、歴史は行動した人物の力によって作られる、という事を示していますね。

機能和声法といえば現代の商業音楽の全てに影響を与えている基本的な音楽の言語です。これがマルティン・ルターの活動と思惑によって教会に持ち込まれ、影響を与えそこで出来上がった方法論が現代にまで引き継がれた、という事になります。

もちろん歴史の大きな流れは音楽理論などではなく、当時の人たちの精神の存続性を根源的な力として動いていったのでしょうが、その激流に呑まれながらあっさりとその方法論の元が生まれ、それがまさか現代のポップミュージックまでを形続くるものになろうとは、ルターもびっくりでしょう。

 

また逆にそうした手法を絶対と考える思想と、不定調性論のようにそうした思想の背景に隠れてしまった素材を再度平等に土俵に並べることで、機能和声的でない部分に自分を感じるときの拠り所として、自分の音楽を見つける方法があっても良いのではないかと改めて感じるわけです。

     

死への音楽~アウシュビッツのオーケストラ

 こういった記事もあります。

アウシュヴィッツの女性のオーケストラ - Wikipedia

 

死の国の戦慄〜アウシュビッツと音楽家たちをみて 池田こみち

 

美談も含まれますが、大量殺戮の前に聴かされたのはことさら明るい音楽やジャズだった、というのはやはりいたたまれない気持ちになります。

ナチスは音楽を大量殺戮や抵抗運動のために利用した、とありますが、私はそうは思いません。音楽という崇高な精神の芸術を、人の心を操る存在として利用できる、などと考えた時点でそれは稚拙な発想だし、いい迷惑です。決して音楽で扇動されたのではなく、単なる習慣となっただけで、音楽は誰かが用いようと用いまいと、一人一人の心の中で自在に解釈されるべき存在であり、ナチスがどのように音楽を聴かせようと、人はそれに強制されることはないのです。

陽気な音楽を奏でることで殺戮を繰り返していたのは、残虐というよりも、処刑する側の狂気を押さえるため、緩和するため、殺す側のストレスを抑えるために用いていたいとしか考えられません。やりたくないことをさせられ、その弱い自分を守るために音楽を用いるなどもってのほかだし、そうやって音楽が大量殺戮の道具に用いられてしまったという事はやはりは恥ずべき歴史でしょう。

それでもそんな凶器の地獄のような状況でも、ナチス側の人間はそれによってストレスを緩和されたのだとしたら、音楽の持つ力、それによって心が動かされる力、というのは、先のアリストテレスの言葉からもある大いなる影響を人に与える、という事を歴史が証明していることになります。

もしそれが役に立たないと思ったらナチスも使わなかったでしょう。

 

音楽が持っている崇高な力、この人類が発見した大きな力の使い方を二度と誤りたくないですね。

音楽家は、政治家以上に、軍人以上に人の心を威圧することができ、コントロールすることができ、癒すことができるわけです。

そのくらい大きな力を持つ音楽家という職業の力をもっと科学によって証明していただき、数々の芸術家がもたらす力と同じようにもっともっと人々に役立つ職業として、世界中に認知され、趣味としての音楽という安らぎを多くの人が手にしてくれることを願わずにはいられません。

 

『音楽』という言葉の誕生

日本では鎌倉時代に書かれた「平家物語」にはじめて「音楽」という言葉が使われたそうです(これ正しいかな??)。それから明治時代の文部省令で「音楽」と呼称されるまでは日本に「音楽」という総称は存在しなかったのだとか。

なんだかすごーーく歴史の浅い存在のように思えますね。

ゆえに「音楽と脳」の関係とか、音楽と病気の関係、音楽と宇宙の関係などもあまり議論されておらず、音楽はあくまで「あそび」という範疇をいかに究めるかといった範囲でしかとらえられていないように感じます。

これって素粒子のひもが振動をして世界を作っている、という発見がまだごく最近なのだから、宇宙の振動と、DNAの振動、音楽や宇宙の振動と、それらが人体や生命に与える意味をもっと膨大な情報によって処理して理解するためにはもう少し時間がかかりそうですね。

「がんが治るのはこの旋律」と定められる日もきっと来るでしょう。

音楽家が音楽の持つイメージや力を信じて発信することでその未来が近づくとしたら、こんなにやりがいのある仕事もないのではないでしょうか。

 

つまり「音楽で病気が治る」のだとしたら、音楽はもっと科学になり、人類の関心事となると思います。

まだまだ研究はこれからで、じつはほとんど何も解明されていないのではないか、と感じませんか?

音楽家はどんどん脳と体の勉強をして、音楽がどのように作用するか、もっと分子レベルで、遺伝子レベルで、素粒子レベルででの学問と融合させていくと、まだまだいろいろな信じられないような発見へと進み、音楽文化そのものが概念を変えて存在できる時代が来るのではないか、と考えます。

 

近代楽譜の基礎を作った人

グイード・ダレッツォ - Wikipedia

あるベネディクト会修道士が作った近代五線譜の基礎。

まあこの辺は比較的有名なエピソードでしょうか。

これがなかった時代は、あいまいな口承で無数の典礼聖歌が受け継がれていた、という事です。ネウマ譜などもありましたが、正しい音がどこか分からず、たいそうあいまいだったそうです。

一日の多くの時間が歌うことに費やされ、神への務めを果たす時間がない、と嘆くように作られたこれらの記譜法についての彼の論文は画期的だったことでしょう。

最初は一本の線を引き、それが何の音か把握できるようにした、そっからかよ!!

と思いますが、それすらなかったのですから、当時の環境が想像できます。

またドレミファソラシドの起源ともなる階名唱法の発明のための言葉との連携も見事です。先のWikiにも載っていますね。

 

DNAの音楽

オオサンショウウオの遺伝子メロディーを奏でる : 科学とロマン、そして生命の未知なる領域 - 広島大学 学術情報リポジトリ

いろいろな音楽化が進んでいますが、恐らく方向性が機能和声の中での理解、というところで終わっていると思います。

つまり人が理解できるもっと大きな音楽理解を発掘していくことで「音楽」という芸術はもっと大きな科学の体系の中に組み込まれた言語的存在であり、それを言語ではない感覚に寄って意識を超えて理解できる存在である、というところに理解を持っていく時代が来ると思います。

言語でなく無意識で理解できる音楽の知。

またそれを汲み込んだ全く別の表現方法。そういったものへの理解がいずれ進むでしょう。

 

最後に一つ。

熱帯雨林の環境音は、100-130KHzあたりにまでその上限は含んでいるそうです。

それに対して都会の音は5-15KHz。

人間は高周波を浴びることで、免疫物質が高まり、ストレスが軽減され、リラックスの効果がある、という事です。

これって本当でしょうか。

ジャングルに暮らしていた時代、人は獣に襲われる危険を浴びていたでしょうから、リラックスというより、集中力が高まるという事ではないでしょうか。

集中力が高まれば、生命力が増し、免疫力もアップするでしょう。

このあたりはもっと詳しくい論文などを読んでいかなければならないと思いますが、現代人が森林浴でリラックスできる、というのは高周波のせいかもしれませんね。

 

たまには森に、海に行こう。笑。