音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

モンテッソーリ教育はじめキッズ教育システムを考えてみました5(コダーイ教育)

コダーイ・ゾルターン(1882-1967)ハンガリー生まれの作曲家・音楽教育者。

コダーイ・コンセプト – 日本コダーイ協会

 

   

子供には真の芸術的価値のあるよいものだけを与えなければならない

→怖い見出しですね。価値とはどこ基準なんでしょう、と思いますよね。

◆それは各民族のわらべ歌である。なぜか。それは「音楽の母国語」だから。わらべ歌以上に、その国の言葉と音楽が一体になった存在はないから。初めて母親から聞く言語が母国語であるように、音楽も同じでなければならない。

→納得ですね。

◆うたうことは子どもの本能的なことばであり、小さければ小さいほど歌と一緒に動くことを要求する。

◆わらべ歌の音域は子どもが歌える音域に特化しており、自然に音楽のリズムや感覚を見つけられる。

→半音を持たないペンタトニックスケールがここでは使用されるようです。つまり、ド・レ・ミ・ソ・ラという音階です。これは本当に使用範囲の世界的に普遍的な音階です。

 

聴衆の教育→聞くことの習慣が芸術への理解を生む

◆ハンガリーの保育園には、基本的にピアノやオーディオシステムがない(下記出典からの引用です。)

のびのび子育て (クーヨンBOOKS) 

◆なぜなら保育者が自然な声で歌うから。わらべ歌遊びの最後は、保育者が大きすぎない自然な声で歌い、子どもたちもそれを耳を澄ませて聴く。遊びがなくても歌に注目し、それを楽しむようになる。コダーイによる「聴衆の教育」

→これが結果として「芸術を鑑賞できる人間」を生むんですね。もっとたくさん増えてほしいですね。芸術音楽への理解者が。

 

歌を遊びの中に取り入れることみせることで自然と歌うようになる

◆保育者が、子どもが絵をかいて、それに歌を歌いながらい色を添えたり、また歌いながら折り紙を折ることで、子どもたちは遊びの中に歌を感じるようになり、しぜんと行動と遊びの中に音楽的感覚を取り入れるようになる。

→なづほど、、音楽というのは、やはり子どもの頃に音楽にどう接したか、がとても大切なんですね。

 

子どもの頃に平均律のピアノで伴奏を付けて歌うことは正しい音程に対して鈍感にさせる。

ここまでくると、多少前時代的ですが、でもそうやって人の声が自然に作るハーモニーから歌に入る、というのはあまりにも自然すぎて全く気が付かないレベルですね。本来、声の赴くままに歌を歌うべきです。芸術音楽の宗教性などがその後邪魔してくるのだと思いますが、そういう点とはまた切り離していかに純粋な声の芸術性を教えられるかではないでしょうか。

 

機械文明は人間をも機械にしてしまう。その運命からわたしたちを守るのはうたうことだけである

コダーイの言葉だそうです。

これもハッとさせられますね。確かに利便性の中に精密さや、合理さを求めて、それが当然だ、スマートだと思ってしまっています。

だから確かなピッチの取れない、歌うたたびに微妙にピッチが異なる人間の声は、なんとも使い勝手の悪い機械のように思えてきてしまいます。

 

でもこれからのコンピューターはそういった人間らしさを兼ね備えようとさえしています。つまり機械はいま発展途上であり、いま私たちはそうした発展途上の存在がもたらす常識にとらわれようとしている、という危険性をコダーイの言葉から発展的に読み取ることができるのではないでしょうか。

楽器を使わず自在に歌うことのすばらしさ、歌が持つ本来の力をちゃんと感じられる子供時代を過ごす、というのはとても素晴らしいことですね。

ハンガリー音楽の魅力―リスト・バルトーク・コダーイ (ユーラシア選書) 

大作曲家を生んだハンガリーというお国柄について書かれています。

 

いっしょにあそぼうわらべうた―0・1・2歳児クラス編

定番のシリーズです。動きと歌と言葉の基礎を学んで自分でどんどん歌ってみ魔性、というコダーイアプローチです。