音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

モンテッソーリ教育はじめキッズ教育システムを考えてみました3(フレネ教育)

小学校教師から教育研究家になったセレスタン・フレネ(フランス1896-1966)は生活と表現を中心とする教育を行った。

www.jfreinet.com

   

 

自由作文と対話の名人

◆日々のことをまず文章にし、印刷し絵を添えて皆に配布することで、自分が表現したことが具体的に意味を持つ印刷物になることの意義を自然と感じ、より適切に人の役に立つ発信を求めるようになる。

→これってまさにブログの収益化という最先端のビジネスモデルへの繋がりますね。

 

◆フレネ学校の子たちはことあるごとに「意見交換会」を実施し、様々な意見を想像し、議論し、言いたいことを形にする。<朝の会><帰りの会><コンフェランス(親子の研究発表)><協同組合の集会>、壁にある自由書き込み新聞で意見の発信。

→文系、又は論理的思考の発展に役立ちそうです。また広い意味での社会性、自立性、協調性なども自然とつきそうですね。

 

みんなの前で失敗させない

◆子供の情熱、欲求を最高の段階まで導く

◆本の音読などは、個別学習で先生と一緒に行い、読み間違いなどをマンツーマンで教える(先生の前では失敗しても良い)。

◆皆の前で本を読むときは、「覚えたものを皆に発表する」という前向きな発表意識が生まれたうえでの音読→これはショーに近いものがあり、十分に準備された精神状況があって初めてできるプレゼンテーションである。結果、失敗を恐れない、失敗の中に異議を見つけられる積極性などが芽生える。

→たしかに日本の学校で行われる「教科書を読んで?」はショー的要素もあり、プレゼンテーション的要素もありますが、本人がやりたいと思っていないことをやらされる、という側面があることは事実で、間違えば極端な話いじめにもつながる恐れがあり、皆が戦々恐々と迎える時間になってしまいます。自発的な意識の芽生えになる可能性の低さを感じます。これをやるなら先生は必ず朗読の内容如何に関わらず良い所を見つけて褒めてあげるべきだと、私は考えます。

フレネ教育―生活表現と個性化教育 

 

学校技術

◆「学校技術」とは学校で得られる技術の事。「手紙を書く」「絵を描く」「作文を書く」。これらはまず学校の社会の中で皆と認知しあい、その自信と成功体験を将来社会の中で生かしていく。つまり学校で学ぶことは社会に出てから役に立つ技術をよりシンプルにした形態である、という事。

→学校の勉強は将来役に立たない、と言われますが、この「シンプル化した簡易作業」と「学校で得た知識とスキル」は、あくまでその後自分が気に入った内容からどんどん専門的に拡張して、社会の中で使えるスキル、知識にしていく作業が行われなければならず、これが行われないために「人生で役に立たない」とされてしまうのではないでしょうか。つまり教え方、習っていることの意義、をちゃんと理解して、どれが覚えればいいだけの話で、どれが自分で発展させなければならないスキルで、とちゃんと理解しないまま現在の義務教育が目的と手段と用法がごちゃ混ぜに展開されているのではないでしょうか。

 

相手から反応があることの喜び

◆自分の作った何気ない作文に対して、皆から反応が返ってくると、自分の作文が皆に伝わった、と実感でき、それが喜びとなり、「わかってもらえた」喜びを経験する。結果として「自分が何を突き詰めたいか」「自分が何をやりたいか」という思考に反転する。

→これってSNSで経験するような対社会とのかかわりですよね。

リツイートされる喜び、とか「いいね!」される喜びとか。実はとても基本的な、そして子供時代に学ぶべき欲求なのかもしれません。また普遍的な人としての欲求なのでしょう。SNSはこうした人間の基本的欲求を逆手に取ったサービスなのかもしれませんね。こうした欲求を幼児期に学んだ人間は、SNSの活用の方法もまた違うのかもしれませんね。

   

本当に必要とする子の横に先生がいなくてはならない

◆フレネ学校の教師は、子どもの言うことをしっかり聞いて、適切に答えられなければならない。「大人と子どもは対等に話し合える」ということが前提になっている。助ける、というより、ちゃんと見ているから、必要なことが分かる。教師と生徒が信頼関係にあるので何が必要か見えてくる。

→当たり前なことだけど、とても難しいことですね。

◆フレネ学校の特色である、ということではなく、よく話し合い、お互いがよく聞く、という事を実践するだけで、必要なことが見えてくる。

→フレネスタイル、という結果生まれる特殊なスキルではなく、人として互いをちゃんと尊重していれば、社会は健全さを増していく、というのは全く持って理に適っています。

 

イニシアチブ

◆フレネ教育での学校の仕事は「イニシアチブ」と呼ばれる。掃除や片づけを自分で進んでやって報告する、というもの。

→自分で進んでやる、ということが結果的に、自分が感動したものを誰かに伝えずにはいられない、表現して発信せずにはいられない、という積極性になり、それが「自分が何をやりたいか」という事への答えを見つける積極性につながる、というわけですね。

 このへん、日本の教育を受けてきた私たちは、感動に近い敬意を持ちませんか??笑

 

なぜ「やりたいことが見つからないか」

もうわかりますね。それは子供の時にそうした知性や体験を十分に伸ばせなかったからです。すごい!!と思ったことを十分に発信できず、また発信しても受け止めてもらえなかったからでしょう。日本の社会全体にこうしたことの欠如があるだけで、けっしてあなた自身の責任ではない、ということをフレネから教わったような気分です。

今更過去に何を言っても始まりません。今からでもいいんです。SNSだってフレネ教育の喜びを包含しているじゃないですか。引きこもりだって、十分SNSを通して自分を満たす、という事はできます。それを適切に導ければ、いつだって人は人に認められればうれしいし、それが未来を開くカギになると信じます。

 

モンテッソーリ教育が今は話題ですが、日本社会の根本問題を指摘しているフレネ教育の骨子はもっと応用されていくべきでしょう。またこうした視点は日本の教育システムの根本を揺るがす問題ですから、取り上げたくない、指摘されたくない、という方もおられることでしょう。それは彼らを批判するだけで、彼らが心血を注いで構築してきたことを認めた上げない結果を生むだけです。一生懸命やってきたのに間違っていた、みたいなことを指摘するのはフレネ教育に反する、ともいえます。

 

だから親の側から、一人の先生から、変わっていき、その人に関わった人と一緒に変わっていくことで、時間はかかりますが、良い人間が増えることで社会を整えていくしかないかもしれませんね。もともと世界中まで自分の人生が及ぶ、というのはSNSの幻想であり、本来は自分の目の届くところにしか人生はないので、たとえば自分ならM-Bankに通うキッズとよく話し合い、よく遊ぶことが最大限の貢献だ、という事なのでしょうね。

フレネ学校「愛」について 

(参考文献;「子どもに受けさせたい世界の幼児教育」クーヨンBOOKS3_2010)

『のびのび子育て』 月刊クーヨン2008年 09月号増刊 [雑誌] 

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