音楽教室運営奮闘記

不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

「花火」と「爆発」、どちらが好きですか?~音楽を共感覚的観点から考える2

2017-05-31→2019-7-20(更新)

前回

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和音を聴くと「この和音は、風景が見えて、天候はどんより曇りで、風が吹いていてこれからピクニックに行く約束なのだけれど、自分はずっとこの風景を見ていたいと思っている和音」というような説明をするのは恥ずかしいことだ、と感じていました。自分みたいな人間が言うことじゃないし、それって作者の意図を無視しているし、お前だけだよ、そんなの感じているの。と言われるのはとても怖い事でした。

でも最近はだいぶ楽です。それが自分が感じたことなのだ、と認められたからです。

 

またある風景を見ると、体験したことのない思い出が浮かびます。急に襲ってくるので目をつむって立ち止まるぐらいの衝撃です。匂いでも同じ事が起きます。超常現象か!とか若いころは思いましたが、今はこれがいわゆる共感覚的な、いわゆるトリガーがあって、意識が無差別に反応する、というものだと知りました。見たことのない風景もきっと幼少期、夢、映画、アニメなどで絶対に一度は見ている風景であると思います。

 

クオリアという言葉の使用

自分はこの「クオリア」という言葉に出会ってから、ああこれだ、と思って使用してきました。

 

しかしクオリアというのは、あくまで結果であり、それがどのように起きるのかは説明されていません。

私はクオリア=共感覚的知覚だと思っています。

そして共感覚というのは脳の現象である、と紹介がされています。

この共感覚的知覚によって、いろいろな風景や印象を自分は感じており、それを不定調性論という形の中の物事を考える動機、トリガーとして訴えてきたのです。

 

これは個体差のある感覚で音楽を「分析」するためにこの印象論を用いると、数学のように「絶対的定義」の中で答えを共有できない、という事になります。

ゆえに機能和声論が「誰でも同じように分析できる基礎方法論」が学問として認知されたのでしょう。

でも最後は自分の感覚でとらえないといけませんね。自分の感覚に嘘をついて他人の「いいね」をもらっているのが辛い人はなおさら。

  

脳のなかの万華鏡』にこんな質問があります。

“もし読者のみなさんに、「煙や爆発は好きですか?」と聞いたら、「はい」と答える人は少ないのではないかと思う。しかし「花火は好きですか?」と聞いたら、全員一致で肯定的な答えが返ってくるのではないだろうか”

結局「自分がそれをどう見るか」にかかっている、ということですよね。

花火と爆発は現象としては同じことなのです。何が違いを感じさせているのでしょう。

音楽だって「空気の振動現象」だと思ったらべつに騒音だって、おんなじですし、その騒音すら音楽的表現になりうる現代において、自分の見方を自在に展開できないと、見たいものしか見れない、という状況を「把握しながら楽しむ」ことができません。

   

花火が煙と爆発の現象なのは分かってますけど、あの色、形、夏の空気、人の波、想いみたいのを全部頭の中で、まるで音楽鑑賞のように聴いているのだと思います。その全体の印象をクオリアといい、花火が良いな、って思う人みんな持っている能力であると思います。

しかし皆同じ花火を楽しんでいるようでいてい、違う映画の中の花火を見ているんだと思います。

 

一人一人感覚は違うので、適切に基礎を学習したら、勉強しながら、どんどん自己表現、自己発信することで独立した自分の音楽活動をすべきなのでしょう。

 

特に今専門学校や大学などで音楽を学習されている方は、1年だけでも基礎をみっちり学んで、二年目からどんどん発信していただきたいです。

 

勉強は一生しますし。終わりがありませんのでとっとと「創造」に入って頂きたいです。

 

勇気をもって、自分の勝手な感性をあなた自身が信じてあげてください。

自分を信じる、っていうのは、天狗になるんじゃなくてすごく勇気がいることだと思います。奢る、というのとは違います。あなたが全てを否定された時、あなたが全てを失ったとき、それでも自分を信じられること、を言うと思います。

 

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