音楽教室運営奮闘記

音楽と教育と経営の雑記ブログ~不定調性論からの展開

音楽を共感覚的観点から考える1

音楽鑑賞は個人の感覚の差異で生まれる

 

 

「クールなジャズ」

って言葉がありますね。この言葉、皆さんはどう理解しますか?

音楽が冷たいわけない、とか考える人は多分音楽を楽しめません笑、"利用"するだけでしょう。

こうした言葉が共感覚的な人間の感覚から生まれているのではないか、と『脳のなかの万華鏡』(リチャード.E.サイトウィック&デイビッド.M.イーグルマン著、山下篤子訳 2010-参考文献①-)書いています。著者二人は共感覚研究の第一人者だそうです。

こちらです。 

もし結構多くの人がこの感覚を有しているのだとしたら、というか、音楽を楽しめるほとんどの人が何らかの程度の差こそあれ、共感覚的な感覚を有しているのであれば、音楽そのものが共感覚的発想の具現化の方法であり、芸術全般にそれが言えるのではないでしょうか。

 

このテーマについては、不定調性論とも大きくかかわるものですので、参考文献を手元におきながら一つ一つ考えていきたいと思います。

 

参考文献①によれば、脳の左半球に色を知覚する領域と文字や数字の認識に欠かせない領域はすぐ隣どおしに存在しているそうです。だから文字の外見が引き金になって、色覚領域が活性化するというのです。

 

脳の構造はみな大体同じなのですから、みんなこの性質持っている、と言われても不思議ではないですよね。

 

同著書より。

2005年の研究(エディンバラ/ジュリア・シムナーたち)では、何らかの共感覚を持っている人は23人に一人の割合でみられるそうです。

 

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不定調性論をずっと考えていた時、いろいろな人に相談したのですが、自分にとっては明らかにおかしなことなのに、誰もあまり気にしていない。ということが気になって「ああ、きっと自分はくだらないことを考えているんだろうな」と不定調性論研究は何度も挫折しました。

自分が悩んだ問題はこうです。

「ある和音αが、ある和音βに移行した時、その時自分はある印象を鮮明に感じる。」

そして

『C-G7-CとCm-G7-Cmにおける二つのG7はそれぞれ異なる雰囲気を与える。」

というものです。とくにこのG7の印象の差異は明瞭でした。外見は同じでも全く風景が違うわけです。色合いも情感も、とにかく心に感じるあらゆる情景が異なる、と感じたのです。

 

なぜ同じ和音なのに、こんなに表情が違うのか。この和音には今何が起きているのか。

 

自分の音楽研究の出発点でした。

でもそれは自分の外で起きているのではなく、自分の中で起きていることだったんです。それはつい最近、研究発表を経る中で教えられたのです。

そうなると、個人差があることになり、この個人差は相互が言い争って解決する問題ではない、と感じました。

不定調性論は最初から「個人の感覚に委ねるためのプログラム」を設定していました。色々考えた末の設定なのですが、この設定こそ音楽の相互理解には欠かせない、と考えています

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上記したように、文字を見ると色が見える、というようなことは自分もなんとなく「頭の裏のスイッチを押す」と感じることができます。どんな風なフィルターも設置できます。まるで目で見ている風景とその背面に別のスクリーンがあり、そこにはいろんな風景、感情、ストーリーが移っているんです。

 

映画の字幕がありますよね。あれが映画の邪魔だ、とは感じないでしょう?

あの感じで、必要だと思えばそれが見え、必要でないときはみません。

 

その代りそれを見続けると非常に疲れます。

 

インターネットにある共感覚テストをやってみたのですが、

www.cavelab.cs.tsukuba.ac.jp

いつまでも続く問題にヘトヘトになりました。脳というのは最もエネルギーを使う器官だ、と聞いたことがありますが、普段使わないところをフル稼働するととんでもなく疲れるのだな、と知りました。多分このテストでは、共感覚的な認知がどんどん弱くなって、正確に計測できないのではないか、と感じました。あくまで私の実感なので、適切な意見ではないかもしれません。

 

あれは自在にみることのできるものであり、普段使わない感覚であり、それを「使おう」と意識するとやっぱり脳はフル稼働して疲れてその能力を休止しようとすると思います。

 

わかりません、これも私だけの感覚なので。

 

人それぞれ(オンリーワン)でいい、という意味

この本来の意味は、ものを感じる際の感じ方が一人一人違うから、それで良い、という意味だと思います。

 

私自身はAという文字を見た時、赤だったり、濃い黒(?)だったり、公園だったり、ハリー・ポッターだったり、とにかく いろいろです。そのビジョンが「何かを作ろう」と誘導してくれるエネルギーになっているんです。

 

「A」をみてハリー・ポッターてどこから来るんでしょう。ハリー・ポッターという言葉を知ってから生まれた感覚だと思うのですが、これは今さっき感じたものです。

きっと記憶とか、雰囲気とか、頭の中で勝手に道筋を構成し浮かんでくるのでしょう。

 

これが「感覚の個人差」であると思うのです。

 

「リズム協会」に提出したレポートは、私がまだ自分の感覚が「共感覚的なもの」というのを知らずに提出したものでした。

ci.nii.ac.jp

 

発表時、みんながぽかぁんとしていたのを覚えています。

「何を妄想しちゃってるんだコイツ」

という感じで笑。

でもいろいろ良くして頂いて、今は同協会の幹事をやらせていただいています。

そしてこの感覚的なものが個人のものである、と分かったので、一般的な研究を辞め、不定調性論を推し進めようと感じました。

これは記録です。できる限り自分の感覚に忠実な教材と記録を残しているつもりです。

 

自分がしゃべっている動画も記録として残すことにしています。

youtu.be

 

このブログでは、音楽理論的な話はあまりしないで、ひたすら共感覚的認知について自分の感覚も含めて(決して自分は強い感覚の持ち主ではないと思います)書き残しておきたいと思います。

 

以前は、和音を聴くと「この和音は、風景が見えて、天候はどんより曇りで、風が吹いていてこれからピクニックに行く約束なのだけれど、自分はずっとこの風景を見ていたいと思っている和音」というような説明をするのは恥ずかしいことだ、と感じていました。自分みたいな人間が言うことじゃないし、それって作者の意図を無視しているし、お前だけだよ、そんなの感じているの。と言われるのはとても怖い事でした。

 

でも研究が進んだおかげで、だいぶ楽ですね。

そして今では自分の創作の時のエネルギーとか、ぼーっとするときの楽しみにしよう、と思っています。

 

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